聖書講座

聖書講座に行ってみた3

荒井献氏の聖書講座が中野桃園教会であったので行ってみました。
第3回「フィリピにて①」

「福音と世界」の「新約釈義 使徒行伝」をテキストに講義されてます。
今回は四冊分(使徒行伝16:11-16:18)の範囲です。

・フィリピとはどういう都市か
植民市(コローニア)。租税の免除などの特権。イタリア本土と同等に扱われる。(ローマの統治については弓削達氏の本に詳しい)
ローマ軍の除隊兵とイタリア農民が移住し、ローマ的・軍事的な性格が与えられた。
住民は自分自身をローマ人であると意識していた。

・フィリピは実は第一の都市ではない
「マケドニアの地域の第一の都市」(16:12 荒井訳)のところに異読がある。
フィリピは4つの区のなかでは第一の都市であるが、マケドニアの第一の都市ではない。
新共同訳は「マケドニア州第一区の都市」と「区」を補って地理的に正しく訳している。
この表現はおそらくルカが多少誇張していると思われる。

・「祈りの場」
現在フィリピの「リュディア受洗チャペル」がある場所は発掘から川端にあったことが判っており、荒井氏は「こういう教会が建っていても通常当てにならないものですが、この場所は正確なのではないか」とのこと。
境壁法(外来の宗教の集会所は境壁の外でなければならない)にも合致する伝承。
ルカはここだけ会堂と呼んでいない。これはこの地域の呼び名であったのをルカが知っていて書いたのではないか。

・フェミニスト神学
集まりに女性が多かった理由として、女性の性的少数者(レズビアン)の集まりだったのではないかという注解書もあるが、まったくの想像に過ぎない。
またリュディアを「紫布染色職人」と見て、奴隷職人であったとみるものが多い。
これは英語の注解書に多い説であるが、ラテン語ではpauperariusは「紫布商人」とも「紫布染色職人」を意味しても、ギリシャ語では別の語で区別する。また、碑文から「紫布染色職人」にも裕福な人がいたことが分かっている(例外的な存在かも知れないが)。
「フェミニスト神学の山口里子さんはあんまり私の説を認めてくれないが、珍しくこの説は認めてくれました」と笑って話された。
ルカが描く異邦人は、宦官や百人隊長、キプロス総督などステータスの高い人々が多い。リュディアもある程度裕福であったか。
山口里子さんにしばしば「献さんは文献主義者で想像力が乏しい」と叱られてしまうとのことでした。

・ルカの男女のバランスの取り方
「ペテロの異邦人信徒のコルネリウス(男性)」の物語に対して「パウロの異邦人信徒のリュディア(女性)」を描いてバランスをとっている。

・リュディアがパウロの話を「聞いていた」という動詞は、「マリヤとマルタ」のマリアがイエスの話を「聞いていた」のと同じ動詞⇒模範的な信徒として描いている。
ルカは女性に対して受動的な役割を与える。

・長血女の癒し(ルカ 8:43-48 並行マルコ 5:25-34、マタイ 9:20-22)
「この方の服にでも触れればいやしていただける」(マルコ 5:28)と思ったという女の意思の部分をルカはカットしている⇒(受動的)
「苦しみ」(マルコ 5:29, 34)から解放されたこともカットしたり、表現を変えたりしている。

・ルカは女性が宣教したとは描いていない。
リュディアの受洗後も、家を提供したことまでしか描いておらず、彼女のリーダーシップへの関心はない。
フェミニズム神学のなかには、ローマの家父長制に組み入れられたリュディアを再植民地化していると評する学者もある。
これは確かに言えることかも知れない、と。

・「神を敬い人」
異邦人でユダヤ教の神を敬う人々がいたことがヨセフスや碑文に出てくる。女性が多かったとのこと。
川端に集まった女性たちはそのような人々であったのではないか。

女性が多い理由は分からない。
現代の教会で女性が多いのと同じなのではないでしょうか。
(ローマの諸宗教も)家父長制的でそれに比べて身を置きやすかったのでは。
キリスト教徒比較して、ユダヤ教はしばしば女性に抑圧的であると言われますが、ユダヤ教には知恵文学の伝統もあります。
知恵は女性名詞。神の属性を女性形で表現している。
ヨハネ福音書の冒頭にあるロゴスは男性名詞ですが、天から下るロゴスを知恵に置き換えてみると、キリスト教が知恵を男性化したことが見えてくる。
当時の家父長制的な宗教のなかではこれは突出していたのでしょう。

...などでした。

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使徒行伝16:16-18 パウロはたまりかねて振り向き

(使徒行伝16:16-18)について予習。

「祈りの場 προσευχὴν」は前回も出た語ですが、いまひとつピンと来ないです。
「祈祷」と訳しておいてもいいような。
「祈祷」があると思って川辺に行って、そこに女性たちが集まっていてパウロたちは話をした。
「祈祷」に行くと、占い師の女奴隷に会ったと…訳せばそれでいいような気もします。
「祈りの場」というと何か施設があるみたいですが、川辺にそのまま座って話しているような感じですし。

新共同訳、口語訳で16:16は「祈りの場所に行く途中」と訳されていますが、どうして「途中」と訳せるのか分からないな。
祈りの場に到着してから女奴隷に会ったとは書いてないので、まぁ途中なのかなと思うけど。
「~へ行くと」とか「~へ出かけると」ぐらいの意味かなとは思いますが。
祈りの場に向かうと女奴隷に出くわしたという文脈だから、途中と訳しているのだろうか。

途中ということは、この女占い師は、祈りには参加してなかったということか。
それが道ばたでパウロに会ったからと言って、なぜ「いと高き神の僕」だと思うのでしょう。
占いの力でパウロがやっていることを見抜いたのだと言いたいのだろうか。
それならば、ちゃんと占いのパワーがあったけど、それを台無しにしてしまったという話なのでしょうかね。
占い師とはいえ道で会っただけで何か分かるわけもなかろう。
パウロがここで知りあった女に占いを辞めさせてトラブルになったのだけど、金儲けが目当ての連中は文句を言っても、その女占い師はパウロを「いと高き神の僕」と認めているんだよ、というだけ話だったのかも。占いで女が「いと高き神の僕だ」と言い当てた方が面白いのでこんな話になった感じがします。パウロは預言を重んじますが、こういう占ないは馬鹿にしそうな気がします。

イメージ的にはシモン(使徒 8:18-20)のエピソードと重なるのですけど、関係ないのかな。
訳してみると下記のような感じになりました。


16
Ἐγένετο δὲ πορευομένων ἡμῶν εἰς τὴν προσευχὴν
παιδίσκην τινὰ ἔχουσαν πνεῦμα πύθωνα ὑπαντῆσαι ἡμῖν,
ἥτις ἐργασίαν πολλὴν παρεῖχεν τοῖς κυρίοις αὐτῆς μαντευομένη.
また、このようなことがあった。祈りの場へ我々は行くと、
預言の霊をもつ女奴隷に会った。
彼女は占なって多くの利益を彼女の主人にもらたしていた。


17
αὕτη κατακολουθοῦσα [τῷ] Παύλῳ καὶ ἡμῖν ἔκραζεν λέγουσα·
οὗτοι οἱ ἄνθρωποι δοῦλοι τοῦ θεοῦ τοῦ ὑψίστου εἰσίν, οἵτινες καταγγέλλουσιν ὑμῖν ὁδὸν σωτηρίας.
彼女はパウロと我々についてきて叫んでまわった。
これらの人たちはいと高き神の僕であり、救いの道を宣べ伝えていると。


18
τοῦτο δὲ ἐποίει ἐπὶ πολλὰς ἡμέρας
διαπονηθεὶς δὲ Παῦλος καὶ ἐπιστρέψας τῷ πνεύματι
εἶπεν παραγγέλλω σοι ἐν ὀνόματι Ἰησοῦ Χριστοῦ ἐξελθεῖν ἀπ’ αὐτῆς·
καὶ ἐξῆλθεν αὐτῇ τῇ ὤρᾳ.
幾日も彼女はこうしてまわっていた。
パウロは苛立って、振り返って霊に言った。
イエス・キリストの名において彼女から出るように私は命ずる。
するとその時、出て行った。

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使徒行伝 16:11-15 祈り場があると思って

(使徒行伝16:11-15)について予習。
例によっていろいろ訳をカンニングしながら、biblos.comのパージングを参考に訳してみました。
一応、一度は他の訳は読まないで訳してみるのですが、できた訳文は途方もない誤訳の山だったりします。
…まだおかしいところもあるでしょうけど。
新共同訳と口語訳を見て、やっと「あぁそんなことを書いていたのか」と思ったりします。
カンニングしててもなお、なぜそのように訳されているのか良く分からないということは多々あります。
そこはちびちび続ければそのうち上手くもなるのかなと気長にやってます。


11
ἀναχθέντες δὲ ἀπὸ Τρῳάδος εὐθυδρομήσαμεν εἰς Σαμοθρᾴκην, τῇ δὲ ἐπιούσῃ εἰς Νέαν Πόλιν
我々はトロアスからも出航し、サモトラケ島へ直行し、また次にネアポリスへ。

12
κἀκεῖθεν εἰς Φιλίππους,
ἥτις ἐστὶν πρώτης τῆς μερίδος πρώτης τῆς μερίδος Μακεδονίας πόλις κολωνία.
ἦμεν δὲ ἐν ταύτῃ τῇ πόλει διατρίβοντες ἡμέρας τινάς.
そこでフィリピへ、
そこは主要な地方、マケドニアの街の主要な植民都市である。
我々はこの街に数日留まったのです。

13
τῇ τε ἡμέρᾳ τῶν σαββάτων
ἐξήλθομεν ἔξω τῆς πύλης παρὰ ποταμὸν οὗ ἐνομίζομεν προσευχὴν εἶναι
καὶ καθίσαντες ἐλαλοῦμεν ταῖς συνελθούσαις γυναιξίν.
安息の日に
門の外の川沿いを、(私は)祈りの場があると思って、我々は行った。
そうして座ってともに集まった女性に我々は語った。

14
καί τις γυνὴ ὀνόματι Λυδία πορφυρόπωλις πόλεως Θυατείρων σεβομένη τὸν θεὸν, ἤκουεν,
ἧς ὁ κύριος διήνοιξεν τὴν καρδίαν προσέχειν τοῖς λαλουμένοις ὑπὸ Παύλου.
そしてティアティラの市のリディアという名の紫売りで神を讃える或る女性が聞いていたが、
彼女の心を主が開き、パウロから語られたことを注意深く聴いている。

15 ὡς δὲ ἐβαπτίσθη καὶ ὁ οἶκος αὐτῆς παρεκάλεσεν λέγουσα·
εἰ κεκρίκατε με πιστὴν τῷ κυρίῳ εἶναι, εἰσελθόντες εἰς τὸν οἶκον μου μένετε·
καὶ παρεβιάσατο ἡμᾶς.
また彼女と彼女の家も洗礼を受けた時、彼女は言って促した。
もしあなたがたが彼女の信仰が主にあると判断するならば、私の家に来て泊まりなさいと。
そうして彼女は我々に強いた。

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聖書講座に行ってみた2

荒井献氏の聖書講座が中野桃園教会であったので行ってみました。
今回は二回目です。
第2回「デルベ、リュストラ、トロアスにて」(使徒行伝15:36-16:10)

「福音と世界」の「新約釈義 使徒行伝」のテキストに沿って講義されてます。
三冊分一気にやるのであちこち端折って駆け足気味の講義でした。
お話の内容は下記のような感じでした。


【一度目と二度目の宣教旅行の違い】
・パウロの一回目の宣教旅行
一回目の宣教旅行はバルナバの補佐であった。
行伝14章で、人々がバルナバを主神「ゼウス」と呼んだのに対し、パウロは「ヘルメス」と呼ばれたところにも勢力関係が現れている。
名前を挙げる時も「バルナバとパウロ」(14:14)の順番。
14:14でパウロらが「使徒」と呼ばれているが、これはルカの使徒観とは異なる。
ルカの使徒の条件は、生前のイエスの弟子であること、復活のキリストに出会っていること(行伝1:22-23)。これはルカの時代の「使徒」観であり、それ以前はもっと広い意味で用いられた。パウロも自称している。その後、12人に限られるようになり、一世紀以降パウロの使徒性が疑われた。
14:14は「伝承」がパウロらを「使徒」と呼んでおり、それをルカがそのまま残したのであろう。

途中から、サウロ(シャウール)⇒パウロと呼び名を変えているのは、おそらく旅行が地中海沿岸地域に入ったため、ギリシャ名で呼んでいるらしい。名前の変化と回心とは関係ない。


・パウロの二度目の宣教旅行
バルナバ(4章では土地を売って献金、パウロを捜してアンティアオキアへ連れて行った人物)と別れてゆくことになる。
マルコ(コロサイ 4:10によるとバルナバのいとこ)を宣教旅行に連れていくかどうかで対立した⇒この際、「激論」(15:39)にまで至ったのはなぜか。

・使徒行伝のなかで多くの学者が使徒会議が分水嶺になる重要な部分としているが、
最近の使徒行伝の注解書を書いたペルヴォは、二回目のパウロの伝道こそ重視されるべきだという説を唱えている。



【エルサレムの指導者との取り決め】
(ガラティア2章)
・アンティオキアの指導者にはギリシャ人(非ユダヤ人)への無割礼の宣教が認められた。
 エルサレム教会の指導者(ヤコブ、ペトロ、ヨハネ)はユダヤ教徒に対しての宣教であるので、割礼について問題はない。

・献金(経済的援助)すること。「貧しい人たちのことを忘れないように」という表現になっている。
 使徒教令については触れず。

(行伝15章)
・献金については沈黙している。
・使徒教令(偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように)

(ガラティア2章)と(行伝15章)の違いをどう説明するか。
ガラティア2:11の使徒会議後のアンティオキアでの会食の出来事の後に「使徒教令」は成立したのであろう。
ルカは、その決定を使徒会議の時点に決められたように引き上げて描いている。

⇒アンティオキアの会食での対立について、パウロはガラティアのなかでバルナバを偽善者呼ばわりしている。
このような対立が、二回目の宣教旅行で別れてしまうことの芽になっているのではないか。

真山氏の注解書では、ルカはバルナバとパウロの(イデオロギー的な)対立を個人的な対立にすり替えたと批判的。
荒井氏はすり替えたとは思わない。その対立は背景にはあったが、直接それが原因となって別れたわけではないだろう。

(ルカは描いていないが、マルコが宣教の途中で別れたのは異邦人伝道についての考え方に対立があったのではないか。
二回目の宣教にマルコを連れていかないとパウロが拒否したのは、その点に原因があるのではないか)

ルカはこの対立をイデオロギー的な面は斥けて伝えていない。
ルカは、パウロがユダヤ律法に忠実であると述べるが、これはパウロ自身とは異なる。


【二度目の宣教旅行】
・テモテの割礼(歴史的事実であるか)
パウロはユダヤ人をつまずかせないために柔軟に対応したのであろう。
テモテは母親がユダヤ教徒である。法的にユダヤ人であるのでパウロは割礼を授けた。

・二回目の宣教旅行の目的地が霊によって変更される。
パウロが病気に罹って目的地を変えたのではないかと合理的に説明されることが多い。
佐藤研氏は、アシア(エフェソ)だとバルナバに会う可能性があり、パウロはホントは会いたくなかったからでは、との新説を語っていたとのこと。

ソクラテスの伝承で、ソクラテスが歩いていてふと進む方向を変えたことについてのものがある。ある人が「なぜ進む方向を変えたのか」と尋ねると、ダイモニオンの声を聴いて進む方向を変えたと答えた。ダイモニオン(精霊)は神と人間を仲介する存在。
プルタルコス「英雄伝」にソクラテスの精霊について論じられているとのこと。
パウロの超常的な体験も否定されるほどのことではなく、パウロも超越的な存在から声を聴いたということはあるのではないか。パウロが自分の決定を絶対化せず、霊の声に聴き従うことで自己を相対化しているのではないかと。

・マケドニア人の霊は、これはルカであるとアイデンティファイしても良いのではないか。
ルカはフィリピの地理に詳しく、マケドニア人だったのではないかと。
スイス出身の学者の注解書で、この荒井氏の説を認める者もあったので「思いつきで言ってるのではないですよ」と。
当時、異邦人出身のユダヤ教徒が多かったことはヨセフス、フィロンにもある。
ルカはマケドニア出身の「神を畏れる異邦人」だったのでは、と。
ルカの記述はローマの官憲に甘い。ローマ官憲が結果として福音を守ったと描き、そこにパウロの宣教を入れ込んでいるために非常に護教論的である。
でも、ローマに対しても一定の距離をとっている。ローマに植民地とされたマケドニア人。

・16:10以降に「わたしたち」という主語が出てくる。
小川陽氏はこれは旅行記の断片伝承をルカがそのまま採用したとみている。これはディベリウス以来唱えられてきた説。
荒井氏は、(行伝1:1-4)で順序立てて語ろうとしている「わたし」と目撃者を区別していることなどからルカ自身の証言であるという説はとらない。
重要な場面に、真実性を持たせようとした文学的レトリックであると。

・荒井氏の父はこの行伝が好きで、中でもこの場面を好んでいたそうです。
「今、思いますと、父はルカのレトリックに引き込まれていたんです」と。
レトリックやフィクションといって切り捨てて考えるものではない。
歴史叙述というものは、対象となる人物の歴史と創作は切り離しえない。
創作のなかに著者にとっての真実がある。事実は、真実がなければ伝えられない。
しかし、歴史の事実性と真実性は区別されねばならない、とのこと...などでした。

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使徒行伝16:6-10 イエスの御霊がこれを許さなかった

(使徒行伝16:6-10)について予習。
biblos.comや、あちこち訳をカンニングしながら、こんな感じなのかなぁと訳してみました。
「彼は…」と「我々は…」という主語が一文のなかに混在しています
いや、違った。「我々は」のところは全部分詞ですね。普通に「彼らは」の主語でいいみたい。
基本的なところで間違うなぁ。

16:6
Διῆλθον δὲ τὴν Φρυγίαν καὶ Γαλατικὴν χώραν
κωλυθέντες ὑπὸ τοῦ ἁγίου πνεύματος λαλῆσαι τὸν λόγον ἐν τῇ Ἀσίᾳ·
さて、彼はフリギアとガラティア地方を通った。
我々はアシアで御言葉を語ることを聖霊に許されなかった。
(あぁ「許されず」は分詞だな。許されず…フリギアとガラティア地方を通ったという文脈になるのか)


16:7
ἐλθόντες δὲ κατὰ τὴν Μυσίαν ἐπείραζον εἰς τὴν Βιθυνίαν πορευθῆναι,
καὶ οὐκ εἴασεν αὐτοὺς τὸ πνεῦμα Ἰησοῦ·
我々はミシアのもとに来てビティニアに行こうと試みた。
するとイエスの霊が彼らを許さなかった。

16:8
παρελθόντες δὲ τὴν Μυσίαν κατέβησαν εἰς Τρῳάδα.
我々はミシアを通過し、(彼らは)トロアスに下った。


16:9
Καὶ ὅραμα διὰ νυκτὸς τῷ Παύλῳ ὤφθη,
ἀνὴρ Μακεδών τις ἦν ἑστὼς καὶ παρακαλῶν αὐτὸν καὶ λέγων·
διαβὰς εἰς Μακεδονίαν βοήθησον ἡμῖν.
すると夜パウロに幻が現れた。
あるマケドニア人が立って、来て懇願して言った。
マケドニアに渡って私たちを助けてください。

16:10
ὡς δὲ τὸ ὅραμα εἶδεν
εὐθέως ἐζητήσαμεν ἐξελθεῖν εἰς Μακεδονίαν
συμβιβάζοντες ὅτι προσκέκληται ἡμᾶς ὁ θεὸς εὐαγγελίσασθαι αὐτούς.
幻が(彼に)現れたので
我々はすぐにマケドニアに向かって求めて前進した。
神は彼らを福音宣教に呼んでいると結論した。


---
うーむ。難しいなぁ。
いろいろ訳を比べて見てもイマイチどうなってるのかわかんないところもある。

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使徒行伝16:1-5 ティモテという名の弟子

(使徒行伝16:1-5)について予習。

1 Κατήντησεν δὲ καὶ εἰς Δέρβην καὶ εἰς Λύστραν καὶ ἰδοὺ μαθητής τις ἦν ἐκεῖ ὀνόματι Τιμόθεος υἱὸς γυναῖκος Ἰουδαίας πιστῆς, πατρὸς δὲ Ἕλληνος,
2 ὃς ἐμαρτυρεῖτο ὑπὸ τῶν ἐν Λύστροις καὶ Ἰκονίῳ ἀδελφῶν.
3 τοῦτον ἠθέλησεν ὁ Παῦλος σὺν αὐτῷ ἐξελθεῖν, καὶ λαβὼν περιέτεμεν αὐτὸν διὰ τοὺς Ἰουδαίους τοὺς ὄντας ἐν τοῖς τόποις ἐκείνοις· ᾒδεισαν γὰρ ἅπαντες ὅτι Ἕλλην ὁ πατὴρ αὐτοῦ ὑπῆρχεν.
4 Ὡς δὲ διεπορεύοντο τὰς πόλεις, παρεδίδοσαν αὐτοῖς φυλάσσειν τὰ δόγματα τὰ κεκριμένα ὑπὸ τῶν ἀποστόλων καὶ πρεσβυτέρων τῶν ἐν Ἱεροσολύμοις.
5 Αἱ μὲν οὖν ἐκκλησίαι ἐστερεοῦντο τῇ πίστει καὶ ἐπερίσσευον τῷ ἀριθμῷ καθ’ ἡμέραν.


諸訳を参考に訳してみると下記のような感じになりました。

1 (彼は)デルベにもリストラにも行った。すると見よ、ユダヤ信徒の女とギリシャ人の父との子でティモテという名の弟子の者がそこにいた。
2 (彼は)リストラとイコニオンにいる兄弟たちに評判が良かった。
3 パウロは彼を連れてゆきたくて、その地域のユダヤ人たちのために彼に割礼を授けた。彼の父はギリシャ人であるとみんな知っていたからである。
4 そうして、彼らは町々を巡って、エルサレムで使徒たちと長老たちの裁定した規定を守るように彼らに渡した。
5 このようにして諸教会は信において強められ、日ごとに数において増えていった。


「デルベにもリストラにも」の「~にも καὶ εἰς 」という言い方がちょっと気になります。
当初の目的地がシリアとキリキアだったけど、さらに足を延ばしてリカオニアのデルベ、リストラにも行ったというニュアンスでしょうか。
前回はバルナバと一緒に訪れていますね。イコニオンで揉めて異邦人とユダヤ人とその指導者に追われて逃げてきてます(使徒 14:6 )

3節には、パウロがティモテに割礼を施したという報告がありますね。
パウロはユダヤ人といるときには律法を守り、ギリシャ人といるときには律法に固執しなかったようですので(1コリント 9:20)、柔軟に対応したのかもしれません。
ティモテの父がギリシャ人であるとみんなに知られていると、なぜ割礼を授けることにしたのか…今ひとつ分からないですね。割礼しないと連れだせないほど厳格な習慣を求められた地域であったならば、そもそもティモテが割礼を受けてなかった理由がよく分からなくなる。
ティモテを連れてユダヤ人コミュニティに入る時に無割礼だと宣教がやりにくいと思ったのか。でも、そんなことをいいだしたらエルサレムにテトスを連れていったのは一体何だったんだということになるし(ガラテヤ 2:1)。まぁ、この短い記載からそこの状況を推測するのは難しいな

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使徒行伝15:36-41 シリアとキリキア

(使徒行伝15:36-41)について予習。

ひとまずギリシャ語で聴いてみて、声に出して読んでみる。
15:36の「ἐπιστρέψαντες 戻る」 と「ἐπισκεψώμεθα 訪ねる」は読みにくい。読めない単語からチョコチョコ調べてみる。

「連れていく」という語は「συμπαραλαβεῖν  (アオリスト)」「συμπαραλαμβάνειν (現在)」と「παραλαβόντα (分詞)」が出てきます。
「συμπαραλαμβάνω 連れていく」が元の形。
「σύν (~とともに) + παρά (~に沿って) + λαμβάνω (~取る)」に分解できるようです。

(使徒行伝15:36-41) 音声は例によってGREEKLATINAUDIO.COM から勝手に拝借

---
諸訳をカンニングしながら訳してみると下記のような感じになりました。

36 Μετὰ δέ τινας ἡμέρας εἶπεν πρὸς Βαρναβᾶν Παῦλος·
ἐπιστρέψαντες δὴ ἐπισκεψώμεθα τοὺς ἀδελφοὺς κατὰ πόλιν πᾶσαν ἐν αἷς κατηγγείλαμεν τὸν λόγον τοῦ κυρίου πῶς ἔχουσιν.
数日の後、バルナバに対してパウロは言った。
戻って(私が)主の言葉を宣べ伝えたすべての町の兄弟たちをどうしているか訪ねないか。

37 Βαρναβᾶς δὲ ἐβούλετο συμπαραλαβεῖν καὶ τὸν Ἰωάννην τὸν καλούμενον Μᾶρκον·
バルナバはマルコというヨハネも連れたいと望んでいた。

38 Παῦλος δὲ ἠξίου, τὸν ἀποστάντα ἀπ’ αὐτῶν ἀπὸ Παμφυλίας καὶ μὴ συνελθόντα αὐτοῖς εἰς τὸ ἔργον μὴ συμπαραλαμβάνειν τοῦτον.
しかしパウロは思った。パンフィリアから彼らから離れ、そして彼らの業について来なかった者は、連れて行かないと。

39 ἐγένετο δὲ παροξυσμὸς ὥστε ἀποχωρισθῆναι αὐτοὺς ἀπ’ ἀλλήλων, τόν τε Βαρναβᾶν παραλαβόντα τὸν Μᾶρκον ἐκπλεῦσαι εἰς Κύπρον,
怒りが生じて、彼らは互いに別れ、そしてバルナバはマルコを連れてキプロスへ出向し、

40 Παῦλος δὲ ἐπιλεξάμενος Σιλᾶν ἐξῆλθεν παραδοθεὶς τῇ χάριτι τοῦ κυρίου ὑπὸ τῶν ἀδελφῶν.
パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みに引き渡されて発った。

41 διήρχετο δὲ τὴν Συρίαν καὶ [τὴν] Κιλικίαν ἐπιστηρίζων τὰς ἐκκλησίας.
彼らはシリアとキリキアを通って(彼は)諸教会を力づけた。

---
気になるのは(15:36)で、「κατηγγείλαμεν 宣べ伝えた」が単数であること。
単数なので「わたしが宣べ伝えた」ところに一緒に行きましょうと言っているようです。

バルナバと一緒に宣教して回ったところに行きましょうと言っているのではないのかな。
(一人称複数の間違いでした⇒なので「私たちが宣べ伝えた」で合ってるな)

地名でポイントになるのは「キリキア」です。

パウロの一回目の宣教旅行は、バルナバと一緒に行っています。
キプロス島からペルゲ⇒ピシディアのアンティオキア、イオニコン、リストラ、デルベを回ります。
この一回目の宣教旅行にキリキアは入っていない。

一回目の宣教旅行までのパウロの足跡は、資料からすると下記のようなものです。
パウロは回心後、3年経ってからエルサレムへペテロをたずねます。その後、シリアおよびキリキアへ行ったとあります(ガラテヤ 1:21)。
それから14年経ってからバルナバと一緒にエルサレムに上ります(飢饉の援助 ガラテヤ 2:1-2、使徒 11:27-30)。
使徒行伝によるとバルナバがタルソス(キリキア)にいるサウロ(パウロ)を捜しに来てアンティオキアへ連れてゆき、そこで1年過ごした頃に飢饉の援助に行ったとあります。
その後に一回目の宣教旅行に行くわけです。
パウロはアンティオキアに来るまでのかなり長い期間、シリア・キリキアにいた可能性が高いわけです。

ここで使徒会議の決議の手紙を見てみます。

 (使徒 15:23-24 抜粋)
 使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。
 聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、
 いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。

この手紙では、アンティオキアだけでなくシリア、キリキアにもユダヤ主義的な信徒が来ていて騒ぎになったことが前提されています。
もしこのような手紙をパウロが受け取ったのならば、パウロはシリア・キリキアの教会を訪ねて行って堂々とエルサレムから承認を受けているのだと言いに行きたかったのではないでしょうか。
(使徒会議にパウロが参加していなかったという説がありますが、参加していなかったとしてもパウロが様子を見に行きたいと考えるのはシリア・キリキアであることに変わりはないかも)

もしそうであるならば、第二宣教旅行のシリアとキリキアはパウロにとって元来の訪問先だったのではないでしょうか。
だから「わたしが宣教して回ったすべての町に行かないか」とバルナバを(シリア・キリキア行きに)誘ったのかなと。
バルナバと喧嘩別れしてしまったからキプロス島へ行かなかったのではないのかも…などと思いました。

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聖書講座に行ってみた

荒井献氏の聖書講座が中野桃園教会であったので行ってみました。
パウロの第二伝道旅行 (使徒行伝15:36-41) についての釈義。

全部で10回あるみたい。今回は一回目。
使徒行伝とパウロ書簡との関係を中心に語られてました。
使徒行伝の使徒会議あたりの記載を史的に検証する話なので、面白かったです。
お話の内容は下記のような感じでした。

・荒井氏は八木誠一氏と同級生。
二人の研究スタイルは随分違ったものであるとのこと。八木氏は思想的なアプローチ、荒井氏は歴史批判的アプローチだったとのこと。

・新共同訳では「使徒言行録」という名前になっているが、口語訳の「使徒行伝」の方が適訳とのこと。
当時行伝文学というものがあり、その文学のひとつとして書かれたものなので、それと分かる呼称の方がよいでしょうと。

・キリスト教の成立は、多元的・複眼的に発生した現象である。
使徒行伝に書かれているようにエルサレム中心に発展したものではなく、これはルカのエルサレム中心主義のあらわれ。

・原始キリスト教には(聖餐・洗礼についても)多様性があった。
ヘレニスタイとヘブライ教会は、行伝の2、4章にある原始共産制での分配の問題で対立しただけでなく、思想的な対立があった。
原始教会の対立点として、エルサレムの神殿を礼拝の対象とするかや、律法を遵守のあり方について見解の違いがあった。
ステファノらが迫害され、散っていった人々がアンティオキアに定着した⇒このようなヘレニスタイ教会をサウロが迫害した。
パウロにとって教会は、はじめからヘレニストに開かれたものとしてあった。
狭い意味でのキリスト教は、アンティオキア教会が母体となっている。
当時はまだユダヤ教の1セクトとして存在していた。ユダヤ教には多様性がある。

・現代のユダヤ教にも多様性がある。イスラエルの政策を批判するラビもいる。
彼らは政府がパレスチナ人をホロコーストしていると批判している。

・80年頃にパウロの足跡をたどる研究旅行で行かれたが、タルソで荒井氏は目が見えなくなってしまったそうです。
網膜剥離で日本へ戻られて6カ月入院。医者からは治らないと言われたが途中で治ったそうです。
批判的・歴史的研究なんて言っているからパウロにたたられたのではないかと、もう一度回心しなければならないのでは、と笑いながら話されていた。目は治ったのですが、批判的歴史的研究の方は治ってません、と。
当時、使徒行伝の注解などで文献研究で目を酷使していたそうです。

・パウロの一回目の伝道旅行は、あくまでバルナバの補佐。
この旅行のなかでサウロからパウロに名前を変えている。

・行伝11:27 飢饉の援助のためのエルサレム訪問について、これを歴史的事実ではないとのこと。
飢饉の援助のための一回目のエルサレム訪問は事実ではなく、二回目の訪問である使徒会議の際にパウロは参加しておらず、しかしバルナバと援助を持っていったのは事実だろう、とのこと(…ここの説明は分かりにくかったです)。
飢饉が起こった年代と、援助に訪問した時期が合わず、年代の決定が難しい。

・佐竹説では2回目のエルサレム訪問をフィクションとみなしている。
佐竹氏はエルサレムへの援助訪問の後に、一回目の伝道旅行に出たと見ている。
荒井氏は、一回目の伝道旅行後にエルサレム訪問と考えている…など。

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