ツァイトガイスト 時代の精神

「ツァイトガイスト 時代の精神」とニューエイジ

「ツァイトガイスト 時代の精神」は、ニューエイジ系の思想に影響されているのでしょうか。
ツァイトガイストとは一体どのような思想背景を持っているのでしょう。

ウィキペディアの「ニューエイジ」の項目を見てると、「みずがめ座の時代」(age of aquarius)など、ツァイトガイストで主張していたような説がそのまま出てくる。
これは神秘主義思想の一種らしいですが、僕はオカルティックなものは苦手なので、よく分かりませんが。
占星術がどうのという話をやめて、ツァイトガイストがもっと史的イエスの研究の方に進んでくれればいいのにと思っていたのだけど。みずがめ座がどうのという話が彼らにとってもっとも重要な部分だったならそれは期待できそうもないな。
なんか残念。

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「ツァイトガイスト 時代の精神」 キリスト教は太陽信仰に由来するのか

「ツァイトガイスト 時代の精神」の動画の15分40秒あたりから、太陽信仰と見なされる根拠となる聖書箇所が挙げられている。
でも、文脈を確認してみると、太陽信仰を示唆するものはほとんどないと思います。

(マタイ 28:6)
もうここにはおられない。
かねて言われたとおりに、よみがえられたのである
さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。

⇒「よみがえられたのである」(マタイ 28:6)の部分は、英語訳ではhe is risen (彼は起こされた)のようです。
太陽が昇る(rise)ことの象徴表現だという説のようです。
riseと訳した元のギリシャ語のἐγείρωは、起きる、目を覚ますという意味の語です。死人が起こされたので「よみがえらされた」と訳してるわけです。
でも、おそらく太陽が昇るというのはἀωατέλλωを使うと思います(ヤコブ 1:11)。ギリシャ語だとニュアンスの違う語ではないかと思います。英語だとどちらもriseなのでしょうけど。

(2コリント 4:6)
「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、
キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのである。

⇒「栄光」と言うだけで、太陽信仰だというのはどうでしょう。

(ローマ13:12)
夜はふけ、日が近づいている。
それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、
光の武具を着けようではないか。

⇒光とか闇というのは、とても一般的な譬えに思えます。

(ヨハネ福音書)
3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
3:13-14 天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。
14:3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
9:5 わたしは、この世にいる間は、世の光である」。
19:5 イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った、「見よ、この人だ」。

⇒「新しく生まれる」ということが、陽が沈み、また昇ってくる太陽信仰を意味する、というのも強引な解釈です。
ヨハネ福音書で問題になりそうなのは、3:13「天に上った者」と9:5「世の光」ぐらいでしょう。
ヨハネ福音書は、光と闇の二元論をとっているので、光という表現は出てきますね。
「天に上った者」(3:13-14)については、続く文章で「モーセが荒野でへびを上げたように、上げられなければならない」とあります。「太陽のように」などと書いてあれば、分かりやすいのですが、前後関係からは太陽信仰を示唆する要素はないと思います。
「いばらの冠」となっているところが、ツァイトガイストの字幕では「光の冠」と訳してました。その翻訳の根拠はともかくとして、描かれている場面はローマに逮捕されたイエスが痛めつけられ、「いばらの冠」をかぶせられ、磔刑へといたるところです。人々は奇跡を起こせないイエスを罵る。
この一連の場面には「光の冠」のような神秘的な要素は出てこないのが特徴だと思います。

(マルコ13:26)
そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

⇒これは旧約聖書のダニエル 7:13の引用ですね。幻想的な黙示文学の表現ですが、それでもとくに太陽信仰の要素はないと思います。

キリスト教が太陽信仰に由来するというツァイトガイストの主張は、それほど根拠がないように思えます。

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「ツァイトガイスト(時代の精神)」への批判

5分あたりから見ると面白いです。

処女から生まれ、12月25日生まれの救世主たちの数々の神話が列挙されるくだりは面白いのだけど、占星術やゾディアックからキリスト教が生まれたというのはちょいと無理がある。
後になってから、それらの神話と合流して行ったのは事実でしょうけど、新約文献をさかのぼれば、さかのぼるほど、占星術とは関係なくなる。
新約の最古の文献(パウロやマルコ福音書)などになると、処女から生まれたなどの記載がない。
新約のなかにはイエスの誕生日が何月何日か書いていない。
12月25日をクリスマスとするのは、300年ぐらい経ってからきまった話である。
星座の十字星との関連については、そもそも十字架と言っても、そう訳しているだけであって、聖書の記載からは十字になっていたのかもはっきりしない(直訳すれば「柱」という語です)。
12という数字が天文学的なものに由来するのは、それでもよいのですが、まぁ12といえば12部族のことでしょう。全ユダヤ人に宣教するために遣わされたというのが「使徒」と呼ばれる所以なのですから。
金の小牛が、牡牛座だと言われてもなぁ。
十戒の石板を砕いたモーゼについて、「多くの聖書学者はこのモーゼの怒りはイスラエス人が間違ったものを崇拝していたからだと理解している」とのこと。聖書学者はあてにならないと言いたげである。
たぶん、ちゃんとした学者は、牡牛座だなどと言わない。
1列王記にあるヤロブアムがエルサレムに対立して金の子牛の像をダンとベテルの聖所においたのだが、それが背教とみなされた。その話が後に出エジプト記に金の子牛の事件として入れられることになった(「宗教の倒錯」上村静p47)。つまり、モーゼのシナイ山の記載は後年の作文であると見なしているわけです。学者は遥かに批判的に研究している。学者を馬鹿にして調べないでいるから、牡牛座がどうのなんて珍説が立派なものに見えてくるのではないでしょうか。

面白いキリスト教批判のムービーなのだが、何でもかんでも占星術に還元しようとして、トンチンカンな説に飛びついてしまってる感じがします。

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Zeitgeist ツァイトガイスト(時代の精神)日本語字幕版

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