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ヤコブ 4:7 そういうわけだから、神に従いなさい

ὑποτάγητε οὖν τῷ θεῷ
ἀντίστητε δὲ τῷ διαβόλῳ
καὶ φεύξεται ἀφ’ ὑμῶν,

【ヤコブ 4:7】
そういうわけだから、神に従いなさい。
そして、悪魔に立ちむかいなさい。
そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。

ὑποτάγητε /ὑποτάσσω (従う) 動詞 アオリスト命令受動 二人称複数
οὖν /οὖν (それゆえに、だから) 接続詞
τῷ /ὁ, ἡ, τό (冠詞) 与格男性単数
θεῷ /θεός, οῦ, ὁ (神) 名詞 アオリスト命令能動 二人称複数
ἀντίστητε /ἀνθίστημι (対抗する) 
δὲ /δέ (しかし) 接続詞
τῷ /ὁ, ἡ, τό (冠詞) 冠詞 与格男性単数
διαβόλῳ /διάβολος, ον (悪魔) 形容詞 与格男性単数
καὶ /καί (そして) 接続詞
φεύξεται /φεύγω (行く) 動詞 未来直説法中動層 三人称単数
ἀφ’ /ἀπό (~から) 前置詞
ὑμῶν /σύ (あなた方の) 人称代名詞 属格二人称複数


しばらくサボっていたけど。また勉強しなおしますか。

それゆえ神に従いなさい。
また悪魔に対抗しなさい。
そうすれば、あなた方から去るだろう。

という感じの訳になりますでしょうか。

4章の文脈は分かりにくいですが…
欲して与えられないのは、求めていないからであり、求めて与えられないのは快楽のために使おうとして、悪く求めるからである。
悪い求め方というのは、舌の快楽にしたがって人を罵ること、そこにある「妬み」「驕りたかぶり」からの行動は争いを生むばかりである。
(人の妬みは)世を友としようとすることに行き着くだけだ。
神は霊を「妬みをもって」愛している。しかし、なお恵みを与えてくれるのだ。
「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とは、そういう意味なのだ。

「それゆえに」高ぶって争うことをやめて、へりくだって、神に従いなさい、という形で話が展開しているのだと思います。

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新約聖書 ヤコブの手紙 ギリシャ語」カテゴリの記事

コメント

イエスの言葉と言われている言葉が、実は、『ほとんどがイエスの言葉ではない』という事は皆さん知っていると思いますが、
 近年の神学の進歩で、特に、分かって来たことの一つです。
 福音書の中で、イエスが語っている言葉は、その通りに語ったのではないという事も分かって来た。
 原始キリスト教会の信者たちの信仰の中からイエスの言葉として生まれて来たという事が判明してきた。
 結局、福音書は、原始キリスト教会の『信者たちの言葉』によって出来たと言える。
 そして、パウロ路線の福音書記述者のまったくの創作。
 マタイによる福音書は、イエスの言葉と思われるものが一つしかない。
 一つもない福音書よりましだが、まったくイエスの宗教と言えない結果が分かって来た。
 キリスト教の宗教企画をしたパウロは、「十字架上の血の贖い・供犠」と「復活」で、今現在のキリスト教の宗教企画をした。
 パウロ・キリスト教と言われる由縁だ。そのパウロ、本当はイエス・キリストを尊敬していなかった。
 (「コリントの信徒への手紙1」2・2)を読んでみて下さい。『イエスのことば』や『イエスの行動』は全く無視と宣言している。
 パウロ路線の「マタイによる福音書」に、イエス・キリストの言葉が1つでもあるのは儲けものだと思った方がいい。
 今も昔も路線問題でもめる宗教=キリスト教なのである。
(詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp

投稿: ななしのひつじさん | 2013年5月25日 (土) 02時52分

「ななしのひつじさん」 さんへ

コメントありがとうございます。

こちらは放置気味のブログでして、コメントいただいていたのに気づいてませんでした。

初期の教会では、歴史上のイエス…つまり生前のイエスと、復活したイエスの顕現を区別していないようです。
パウロは復活顕現のイエスしか知らない。生前のイエスとは面識がない。
でも、それを言うならば、福音書記者も同じこと。

また、霊感によって預言する人々がおり、彼らはイエスの名前で言葉を語ったようです。たとえば、黙示録のように。
それらは「生前のイエス」の伝承と交じり合って、なかなか区別しがたい状態になっていますね。

ブルトマンはあっさりと、歴史的に正確なイエス像を伝承から復元することは不可能であると認めてます。
でも、「ななしのひつじさん」 さんがおっしゃるような、マタイ福音書のなかにイエスに由来する言葉が「一つしかない」というのは行き過ぎかなと思います。

知りえない部分を断定することはできない。
でも、分かる部分もあるわけです。
「ななしのひつじさん」 さん自身が書いておられるように、
パウロは手紙が残っている。ならば、パウロについてはある程度は分かるわけです。
福音書記者たちも文書が残っている。
そういう知りうる部分をその範囲で理解すればいいのではないかなと思います。

そこで知りうる範囲で言えば、マタイ福音書はパウロ路線とは「違う」と思います。
律法の行いは不要であるとするパウロと、天国へは「父の御旨(つまり律法)を行う者だけが、はいる」というマタイとは相容れないスタンスだと思いますね。

路線の違いは不幸な面もありますが、J.S.ミルは論争が起こることで組織が順次改善される傾向をもっていたことを評価してますね。
権威主義的になると、主流と違った路線は迫害されますが、キリスト教には論争を引き起こす機会が何度もあり、ミルがいうようにそのことがプラスになっていた時期もあるかなと思います。

投稿: Kazist | 2013年8月12日 (月) 12時49分

 題:ザビエルたち、キリスト教宣教師について・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 日本に来たキリスト教宣教師たちは、最初の頃は、清貧
をかこっていたが、
 金持ちの貿易商人とかかわるようになると、次第に贅沢
になって行った。
 教会での食べ物をはじめ、衣服も贅沢化して行った。
 従僕をかかえるまでにもなった。
 あげくの果ては、祈祷や仕事に熱意を欠く者も出て来た。
 また、衣服に関しては、日本人は、はなはだ外見を重ん
じる国民だからと異論を唱える者もいた。
 つまり、規則通りのものでなく、華美なぜいたくな服装
をしたいという。
 また、ザビエルは、清貧に甘んじたではないかとの論議
も出た。
 しかし、実際は、ザビエルは、「日本人は外見によって
人を評価する国民だから」と言い、ザビエルは、華美に装
っていた。
 この頃のキリスト教宣教師のフロイトは、嘘をつく事の
多い宣教師だったが、その1例だが、
 頼りにしていた信長の家臣の和田惟政を過大にして、嘘
の報告をしていた。
 例えば、姉川の合戦に参戦し、「信長軍中にある最も強
力な武将で、総司令官」だと、報告しているが、
 和田惟政は、姉川の合戦に参戦もしていない。
 姉川の合戦の当日、自領の神社に行ったとのはっきりし
た記録が残っている。
 キリスト教はプロパガンダ(嘘宣伝)が多いが、日本へ
来た当初の頃から、この様な嘘体質だった。
 そして、また、
 日本に来たキリスト教宣教師の棄教は多かったが、
 徳川幕府の見解をうかがい知る1例。
 寛永20年に来日して、キリスト教を棄教したキリスト教
宣教師が、棄教した時に、
 偽りの棄教でないことの確認をするため、誓文を書かせ
た。
 その誓文に、キリスト教宣教師を取り調べ、書いたその
要旨に、その主旨がよく表れている。
 その文には・・
 「イタリアの国・ローマという所にキリシタン宗門の頭
・パッパという者(ローマ教皇のこと)がある。
 国々へバテレンを遣わし、宗門を広め、その国がパッパ
に従えば、奉行を遣わして仕置きする。
 ルソン・ゴア・ノビスパンなどその他多くの国をむさぼ
り取っている。
 日本は、軍勢で従わせるには困難なので、後生のために
宗門を広めることにして、バテレンを渡した。
 宗門がおおかた広まったら戦争をし、日本の多宗を打ち
たいらげ、パッパに従わせようというたくらみである」。
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/

投稿: ねこにゃんちゃん | 2013年9月28日 (土) 02時28分

ねこにゃんちゃんさん
コメントありがとうございます。ブログの更新を放置していて、コメントを頂いたのを見落としてました。失礼しました。

献金について、収入の十分の一を要求する教会もあるそうで、大変ですね信者さんは。
僕は信者ではないので、初詣の賽銭の10円すらケチるぐらいでして、まぁ宗教に対して個人的に献金しようとは思わないですね。
ただ、どんな良い活動であっても費用はかかるものなので、金がかかるということ事態が悪であるかのように考えるわけでもないです。

献金額でよい宗教かどうかは判断しにくいところです。
裕福な人は、道楽なのか信仰なのか、高額な献金をする人もいるでしょう。
金額よりも、地獄におちるなどと脅したりして献金をせびるようなことがあれば、そこが問題でしょうね。
経済的に余裕がない人に、借金してでも献金しろと言ったりするところもあるようで、そんなものはある種のカルトでしょう。
あと、水子の霊だの、家相が悪いだのと人を不安にさせてお払いなどなどの金をせびる宗教団体も似たようなものだと思ってます。

政治との関係という点では、キリスト教ほど政治と密接に絡んだ宗教はないかと思いますが、同時に政治に対して距離をおこうとする意識をもった宗教もないかと思います。
「カエサルのものはカエサルに」というイエスの言葉のように、初期の教会は政治に無関心であろうとしていたようです。
政治に対して一定の緊張関係をもっているのは、政治ではキリスト教的な道徳を実現できないということを意識していたためです。
宗教という道徳的なモラルと、政治がもつべき規範とは性質が異なるわけですが、それがのちにマキャベリやモンテスキューなどによって政治独自の規範を考えることの契機になったわけです。

丸山眞男の「権力と道徳」(「丸山眞男集 第四巻」)などを読まれると、キリスト教が与えた影響を古代から追って説明されていて面白いのでお勧めします。

国旗や国歌については、それらを批判する運動の歴史・経緯があるのでしょう。
その歴史的経緯が違うので、他国と違うのは当然かと思います。
勝ち目のない戦争へ突き進んでいったことの問題は、忘れ去られただけで、本当は十分に整理されていないのでしょう。

投稿: Kazist | 2014年1月 5日 (日) 14時22分

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