ヤコブの手紙 2:01-10

ヤコブ 2:11 たとい姦淫はしなくても

ὁ γὰρ εἰπών, Μὴ μοιχεύσῃς, εἶπεν καὶ, Μὴ φονεύσῃς· εἰ δὲ οὐ μοιχεύεις φονεύεις δὲ, γέγονας παραβάτης νόμου.

(口語訳) たとえば、「姦淫するな」と言われたかたは、また「殺すな」とも仰せになった。そこで、たとい姦淫はしなくても、人殺しをすれば、律法の違反者になったことになる。

ὁ /ὁ (冠詞) 
γὰρ /γάρ (接続詞) 
εἰπών /εἶπον (言う) 動詞 アオリスト能動分詞 主格単数男性
Μὴ /μή (~ない) 
μοιχεύσῃς /μοιχεύω (姦淫する) 動詞 アオリスト能動接続法 二人称単数
εἶπεν /εἶπον (言う) 動詞 アオリスト能動直接法 三人称単数
καὶ /καί (そして) 接続詞
Μὴ /μή (~ない) 
φονεύσῃς /φονεύω (殺す) 動詞 アオリスト能動接続法 二人称単数
εἰ /εἰ (条件文 もし) 
δὲ /δέ (しかし) 接続詞
οὐ /οὐ (~ない) 
μοιχεύεις /μοιχεύω (姦淫する) 動詞 現在能動直接 二人称単数
φονεύεις /φονεύω (殺す) 動詞 現在能動直接 二人称単数
δὲ /δέ (しかし) 接続詞
γέγονας /γίνομαι (~になる) 動詞 完了能動直接 二人称単数
παραβάτης /παραβάτης (違反者) 名詞 主格単数男性
νόμου /νόμος (法) 名詞 所有格属格 単数男性

訳としては、
『なぜなら「あなたは姦淫しないだろう」と言った方は、「あなたは殺さないだろう」とも言ったからである。
しかしもしあなたが姦淫しなくとも殺すならば、律法の違反者になってしまった』
という感じでしょうか。

口語訳が「姦淫するな」「殺すな」と命令形に訳してますが、この動詞は接続法ですので「~しないだろう」ぐらいの意味かと思います。
たぶんヘブライ語の表現をそのままギリシャ語に置き換えているだけでしょうから、「姦淫するな」という訳でいいのだと思います。

譬え方として、「姦淫しなくても人殺しをすれば…」という表現はどうでしょう。
イメージ的には逆の順番にしそうです。
つまり「人殺しをしなくとも姦淫をすれば…」という言い方をしそうです。
「大きな罪を犯さなくても、小さな罪を犯しただけで…」という構文で語りそうではないですか。

当時の社会は姦淫も重罪だったので、そこに罪の大小はないのかも知れませんが、やはり質の違いはあるでしょう。
ヨハネ福音書8章の姦淫の女の罪を赦す話が受けるのは、姦淫の罪は石で打ち殺されるのは残酷過ぎるなと感じているから、この話が受けるわけですし。
姦淫の罪を石打で処刑することが残酷である、という認識は一般的な了解になってなかったとしても、ちょっとはみんな感じていたんじゃないかな。
現代でも何か罪を犯すと「自己責任」だのと言いつのって厳罰を求める人はいるけど、それでもなお人は厳罰化に不安を感じるものだと思う。人間の弱さを理解している人は、罪を犯した者に対しても人道的な処遇があってしかるべしと感じるものかなと思う。

ともかく、「姦淫しなくても人殺しをすれば」という言い方は、小さな罪を避けても大きな罪を犯したら…という構文に思えます。

「もし律法を完全に守っていたとしても、一点でも落ち度があれば違反者だ」と言いたいときに、
姦淫をしてなくても、人を殺していたら律法違反だ、と言うのは当たり前過ぎる話ではないでしょうか。
一点でも落ち度があったらダメだと言う時に、そんな分かりやすい最大級の犯罪を例にあげますかね。

この言い方が変であると感じるのは、つまり、2:10が「一点でも落ち度があればダメだ」と言ってるわけではないからでしょう。
どちらかというと2:10は「肝心な一点ができてないと意味ないじゃないか」と言っているのだと思います。
姦淫してないのはいいけど、人殺ししていたんではどうにもならないよ、ということ。
小さな一点でも落ち度があってはいけないと言っているのではなく、大きな一点で落ち度があるじゃないかと言う構文なのではないでしょうか。


「あなたの隣り人を愛せよ」という律法を行っているならば大したものだ。
でも、えこひいきして貧しい人を冷遇していたならば、他の律法は守ってましたなんて言い訳は通用しない。
一番肝心な一点が出来てないのは、姦淫してなくても、人殺ししていたら罪人であるのと同じことだ。
…という風に文脈がつながっているのだと思う。
小さな一点の落ち度も許されないというような、そんな厳格なことは言ってないと思う。
というか、犯した罪は祈りによって許される(ヤコブ 5:15)。

一点というのは、文脈からして「あなたの隣り人を愛せよ」であるわけだし。
あれもこれも全部絶対守れと言ってるわけではないでしょう。
…いや、しょっちゅうヤコブさんは「完全」とか言ってますか。
でも、でも、ヤコブさんが信徒たちが完全ではないと思っている点は、つまり「あなたの隣り人を愛せよ」という行いが足りてないということだし。
不完全さとして、知恵が欠けている(1:5)という話が出てきますが、それは祈れば与えてもらえるわけです。

ただ隣人への愛は、祈ってなさいと言ってるわけではない。
行いなさいと言っているわけです。

ヤコブさんはおそらく当時の教会を見て、それが欠けていると感じていたからでしょう。
おそらく相手は現実を見ないで、ただ神学的にものを考えていた人たちであったのかなと思います。
そして、このあたりからヤコブは相手の神学に批判を加えていくようです。

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ヤコブ 2:10 律法をことごとく守ったとしても

ὅστις γὰρ ὅλον τὸν νόμον τηρήσῃ πταίσῃ δεͅ ἐν ἑνί γέγονεν πάντων ἔνοχος.

(口語訳) なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。

ὅστις /ὅστις (誰でも) 関係代名詞 主格単数男性
γὰρ /γάρ (なぜなら) 接続詞
ὅλον /ὅλος (全体を) 形容詞 対格単数男性
τὸν / (冠詞) 冠詞 対格単数男性
νόμον /νόμος (法律) 名詞 対格単数男性
τηρήσῃ /τηρέω (守る) 動詞 アオリスト能動接続法 三人称単数
πταίσῃ /πταίω (躓く) 動詞 アオリスト能動接続法 三人称単数
δεͅ /δέ (しかし) 接続詞
ἐν /ἐν (~において) 前置詞
ἑνί /εἷς (一つ) 形容詞 所有格属格 単数男性
γέγονεν /γίνομαι (~になる) 動詞 完了能動直接法 三人称単数
πάντων /πᾶς (全ての) 形容詞 所有格属格 複数男性
ἔνοχος /ἔνοχος (有罪) 形容詞 主格単数男性

訳としては、
「なぜなら全ての法を守ったのであろうと、その一つにおいて躓いたであろう者はだれでも、全ての有罪になるのだ」
という感じになるでしょうか。

「τηρήσῃ」は「守る」という動詞のアオリストの接続法です。
「πταίσῃ」の「躓く」も、アオリストの接続法。
接続法は、推測や期待を伴った表現のようですので、「~だろう」とか「~してないかな」というニュアンス。
「守っただろう」「躓いただろう」という感じの意味でしょうか。

「律法を全部守ったのだろうけど、そこのところで躓いていたようでは、まるで駄目ですよ」ということですね。

口語訳は「その一つの点にでも」と訳してますが、「も」をつけると強調点が変わる気がしますね。
律法の「すべて」と「一つ」という対比があるので、こういうニュアンスになるのでしょうけど。
前後関係からして「一つ」というものが指しているものは明らかかなと思います。ここでは隣人を愛すること。
ここの文脈ではヤコブさんは愛を行うことの重要性を説明していて、殺人や姦淫のように何をやったら違反になるというような問題ではないけど、積極的に行動しないと愛したことにならないことを説明しようとしているのでしょう。
律法を守ったと言って、違反してないのはいいけど、隣人を愛する行動をとってなければいかんでしょう、ということ。
「その一つの点にでも」と「も」をつけて訳すと、ここのところが数の問題に変わってしまうようです。

まぁ律法は一点の違反も赦されないのだ、という読み方もできそうですが。
もしそう解釈するならば、…おそらく貧しい人を冷遇したこの教会の人たちは全部違反者なので決して許されないと宣言していることになります。
でも、そういう意味で語っているわけではないでしょう。
ここでは「違反者」になるかどうかが問題になっています。
一つでも違反は違反だ、ということ。
違反したら赦されないというような話は、ここでは問題になっていない。
むしろ犯した罪は祈りによって赦される(ヤコブ 5:15)。

でも、ヤコブさんの主張のポイントは愛を行うことにあるので、違反してないということだけでは足りない。
姦淫や人殺しなどの違反はしていない。それは別にいいのだけど、隣人を愛せよとも命じられている。同じぐらい重要なものとして自覚的に行動して守らねばならないのだ、という風に強調しているのでしょう。

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ヤコブ 2:9 あなたがたは罪を犯すことになり

εἰ δὲ προσωπολημπτεῖτε, ἁμαρτίαν ἐργάζεσθε ἐλεγχόμενοι ὑπὸ τοῦ νόμου ὡς παραβάται.

(口語訳) しかし、もし分け隔てをするならば、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違反者として宣告される。

εἰ /εἰ (もし) 条件文
δὲ /δέ  (しかし) 接続詞
προσωπολημπτεῖτε /προσωπολημπτέω  (えこひいきする) 動詞現在能動直接法 二人称複数
ἁμαρτίαν /ἁμαρτία (罪) 名詞 対格単数女性
ἐργάζεσθε /ἐργάζομαι (行う) 動詞 現在中動直接法 二人称複数
ἐλεγχόμενοι /ἐλέγχω (宣告する) 動詞 現在受動分詞 主格複数男性
ὑπὸ /ὑπό (~によって) 前置詞
τοῦ / (冠詞) 冠詞 所有格属格 単数男性
νόμου /νόμος (法律) 名詞 所有格属格 単数男性
ὡς /ὡς (~として) 副詞
παραβάται /παραβάτης  (違反者) 名詞 主格複数男性

訳としては、
「しかし、もしあなた方がえこひいきするなら、あなた方は罪を働いており、律法によって違反者達として宣告を受ける」
という感じでしょうか。

ὑπὸ + 所有格・属格 ⇒「~によって」になる。ここでは律法によってとなるようです。

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ヤコブ 2:8 律法を守るならば、それは良いことである

εἰ μέντοι νόμον τελεῖτε βασιλικὸν κατὰ τὴν γραφήν, Ἀγαπήσεις τὸν πλησίον σου ὡς σεαυτόν, καλῶς ποιεῖτε·

(口語訳) しかし、もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである。

εἰ /εἰ (もし) 条件文
μέντοι /μέντοι (しかしながら) 接続詞
νόμον /νόμος (律法) 名詞 対格単数男性
τελεῖτε /τελέω (全うする) 動詞 現在能動直接法 二人称複数
βασιλικὸν /βασιλικός (王の) 形容詞 対格単数男性
κατὰ /κατά (~の下に) 前置詞
τὴν / (冠詞) 
γραφήν /γραφή (聖書) 名詞 対格単数女性
Ἀγαπήσεις /ἀγαπάω (愛する) 動詞 未来能動命令 二人称単数
τὸν / (冠詞) 
πλησίον /πλησίον (隣人) 副詞
σου /σύ (あなたの) 人称代名詞 二人称 所有格・属格 単数
ὡς /ὡς (~のように) 副詞
σεαυτόν /σεαυτοῦ (あなた自身) 二人称 対格単数男性
καλῶς /καλῶς (良い) 
ποιεῖτε /ποιέω (行う) 動詞 現在能動直接法 二人称複数

引用文のところが難しいな。
「しかしながら、もしあなた方が聖書の「あなた自身のようにあなたの隣人を愛せよ」に沿って、王の律法を全うするならば、よくやっている」
という感じの訳になるでしょうか。

「よくやっている」とか「大したものだ」のような感じのニュアンスかな。
2章の譬え話では、教会員が貧しい人をえこひいきしたと批判しているので、ちゃんと出来てはいない。
「これで皆さんが律法を全うしているならば、大したものですな」
というような言い方で、王の律法の沿わない行動であることを示唆しているようです。

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ヤコブ 2:6 あなたがたは貧しい人をはずかしめたのである

ὑμεῖς δὲ ἠτιμάσατε τὸν πτωχόν. οὐχ οἱ πλούσιοι καταδυναστεύουσιν ὑμῶν καὶ αὐτοὶ ἕλκουσιν ὑμᾶς εἰς κριτήρια;

(口語訳)しかるに、あなたがたは貧しい人をはずかしめたのである。あなたがたをしいたげ、裁判所に引きずり込むのは、富んでいる者たちではないか。

ὑμεῖς /ὑμεῖς (あなたたち) 人称代名詞 - 二人称 主格複数
δὲ /δὲ (しかし) 接続詞
ἠτιμάσατε /ἀτιμάζω (屈辱を与える) 動詞 - アオリスト 能動 直接法 - 二人称
τὸν / (冠詞) 定冠詞 - 対格単数男性
πτωχόν /πτωχός (貧しい人) 形容詞 - 対格単数男性
οὐχ /οὐ (~ない) 分詞 - 主格
οἱ / (冠詞) 定冠詞 - 主格複数男性 πλούσιοι /πλούσιος (富んだ人たち) 形容詞 - 主格複数男性
καταδυναστεύουσιν /καταδυναστεύω (虐げる) 動詞 - 現在 能動直接法 - 三人称
ὑμῶν /ὑμεῖς (あなたたち) 人称代名詞 - 二人称 所有格・属格 複数
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
αὐτοὶ /αὐτός (代名詞強調) 人称代名詞 - 主格複数男性
ἕλκουσιν /ἕλκω (引きずる) 動詞 - 現在能動直接法 - 三人称
ὑμᾶς /ὑμεῖς (あなたがた) 人称代名詞 - 二人称対格複数
εἰς /εἰς (~に) 前置詞
κριτήρια /κριτήριον (裁判所) 名詞 - 対格複数中性

「しかし、あなたたちは貧しい人を辱めた。
富んだ人たちはあなたたちを虐げ、彼らこそあなたたちを裁判所に引きずっていくのではないか」
という感じの訳でしょうか。

ἠτιμάσατε (あなたがたは辱めた)という語は、ἀτιμάζω が元の形。
ε-ἀτιμά-σα-τε に分解して考えればいいのかな。
ε-ἀ のところはアオリストの加音で

ἠ に変化してる。

ε の加音と σα のところでアオリスト直接法と判断できるのか。
τε は二人称の人称語尾だ。
「あなたがたは辱めた」とこの動詞だけで分かるわけです。

でも、ὑμεῖς (あなたたちは)とわざわざ主語の代名詞を入れて書いているので、「あなたがた」の部分をちょっと強調しているのか。
譬えというより、事実あなたたちは貧しい人を辱めたんだ、と言ってる感じ。

καταδυναστεύουσιν (虐げる) は、70人訳で社会的弱者を虐げる金持ちを告発する文脈で用いられている語だそうです(辻学著「ヤコブの手紙」p115)。

善人が金持ちになるならば、こういう批判は生じないのでしょうけど。
また、豊かになることで人間性が良くなるならば、こういう批判はないでしょう。
経済というものは、それ固有の法則に従っていて、宗教家が期待するような因果応報、道徳的に優れた人が経済的に報われるというものではない。
…まぁ豊かな者がより豊かになり、貧しい者の権利は往々にして踏み倒されるものです。
また、性善説で考えるならば、より豊かになり、自由が多くなれば、本来の人間の善性が引き出されるはずなんですが、実際は金持ちになったからと言って善人になるわけではない。


旧約の中には、こういう金持ちへの批判は多くあります。
とは言っても、全部が全部、弱者の視点に立っているという感じもないのですが。
貧乏人だったら弱者の視点に立てるかと言うと、そういうものでもない気もします。
「貧乏人だから貧乏人の考え方をするんだ」と思っている人は、弱者の視点に立つことはそれ自体が屈辱だと感じるのではないかと思います。
自分の惨めさを認めないために弱者を馬鹿にして、そういう風に馬鹿に出来る自分は立派なのだと思い込もうとしそうです。

うーむ。単に貧しい人が蔑まれているところを見ただけで、それを批判して手紙をディアスポラの人々に送ろうと思うかというと…どうでしょう。
貧しい人が虐げられるなかに自分の問題を感じてないと、なかなかこのような手紙は書けない気がします。
うまくは説明できませんが、…ヤコブさんはパウロ主義的な人々を批判しながら、同時に彼らと決別することは避けたいと願っているのではないかと思うわけです。
ヤコブさんの危機感は、一方にはパウロ主義的な律法無視に対するものですが、もう一方で律法厳守を言いつのる人々を煙たく思うところから来ていたのではないかなと。
それが文字のどこかに現れているわけでもないのですが、…いや「自由の律法」なんかどうでしょう。
ヤコブさんにとっては律法は自由をもたらすものであるべきなのであって、それが教会内の対立の激化によって…律法を重んじる空気が強くなりすぎて…失われそうになっていると感じていたのかも。だから争いは抑えたい。
そうして、パウロ神学を批判しつつ、ユダヤ人には「自由の律法」を呼びかけているのなかと。
穏健派の批判と言うのはそういうものかなと。

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ヤコブ 2:5 信仰に富ませ

Ἀκούσατε, ἀδελφοί μου ἀγαπητοί· οὐχ ὁ θεὸς ἐξελέξατο τοὺς πτωχοὺς τῷ κόσμῳ πλουσίους ἐν πίστει καὶ κληρονόμους τῆς βασιλείας ἧς ἐπηγγείλατο τοῖς ἀγαπῶσιν αὐτὸν;

(口語訳) 愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか。

Ἀκούσατε /ἀκούω (聞く) 動詞 - アオリスト能動・中動 命令 - 二人称
ἀδελφοί /ἀδελφός (兄弟) 名詞 - 呼格 複数男性
μου /ἐγώ  (私) 人称代名詞 - 一人称 所有格・属格 単数
ἀγαπητοί /ἀγαπητός (愛しい) 形容詞 - 呼格 複数男性
οὐχ /οὐ (~ない) 分詞 - 主格
 /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 主格単数男性
θεὸς /θεός (神) 名詞 - 主格単数男性
ἐξελέξατο /ἐκλέγομαι (選ぶ) 動詞 - アオリスト 中動 直接法 - 三人称単数
τοὺς /ὁ (定冠詞) 定冠詞 - 対格複数男性
πτωχοὺς /πτωχός (貧しい人) 形容詞 - 対格複数男性
τῷ /ὁ (定冠詞) 定冠詞 - 所有格・属格 単数男性
κόσμῳ /κόσμος (世界) 名詞 - 所有格・属格 単数男性
πλουσίους /πλούσιος (金持ち) 形容詞 - 対格 複数男性
ἐν /ἐν (~において) 前置詞
πίστει /πίστις (信仰) 名詞 - 与格 単数女性
καὶ /καί (そして) 接続詞
κληρονόμους /κληρονόμος (相続人たち) 名詞 - 対格 複数男性
τῆς /ὁ (定冠詞) 定冠詞 - 所有格・属格 単数女性
βασιλείας /βασιλεία (国・支配) 名詞 - 所有格・属格 単数女性
ἧς /ὅς (関係代名詞) 関係代名詞 - 所有格・属格 単数女性
ἐπηγγείλατο /ἐπαγγέλλομαι (約束する) 動詞 - アオリスト 中動 異態 直接法 - 三人称単数
τοῖς /ὁ (定冠詞) 定冠詞 - 与格 複数男性
ἀγαπῶσιν /ἀγαπάω (愛する) 動詞 - 現在 能動 分詞 - 与格 複数男性
αὐτὸν /αὐτός (彼) 人称代名詞 - 対格 単数 男性

「πλουσίους ἐν πίστει 信仰に富ませ」のところは難しい。
「世において貧しい人」を神が選んでいるのですよ、というのは問題ないのですが、その文章の真ん中に「信仰にある金持ち」という語が入っていて、どう訳したものかと悩みました。前後関係から金持ちは救いそうにないのですが。
そうではなくて、「世において貧しい人、つまり信仰において富んだ者」という風に並列にならべているのですね。

「世において」貧しい。「信仰において」富んだ者、は結構分かりにくい表現ですね。
「信仰において富んだ者」というのは信仰をいっぱいもっているという意味ではなく、神の支配する世においては富んだ者となるのだ、という意味のようです。
「世において」と「信仰において」の逆転ということのようです。
「この世では貧乏人だけど、あの世では金持ちになれるんだ」という雰囲気ですが、死後の世界のことではなく、神が約束がやがて実現するのだという現世の中での話なのでしょう。
神の約束は確かである。神は誠実だ。だから世において貧しい者であっても、いや貧しいものであるからこそ、神の「信実において」富める者なのだ、という感じのことをヤコブさんは言っているようです。
なので、(私の)信仰というより、(神の)信実と訳した方がよさそう。

「; 」は「?」ですね。この記号自体は後年の解釈で付けているものですが。疑問文であるようです。
「οὐχ (~ない)」と「; 」で「~ではないか?」と否定形で聞いているようです。
「οὐ」は、続く語が母音だと「οὐχ 」になる。

訳としては、
「聞きなさい、私の愛する兄弟たちよ。神は、世において貧しい人たち、信実において富んだ者たちを選び、彼らを愛する者に約束した国の相続人たちとしなかったか」
という感じでしょうか。

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ヤコブ 2:4 よからぬ考えで人をさばく者になった

οὐ διεκρίθητε ἐν ἑαυτοῖς καὶ ἐγένεσθε κριταὶ διαλογισμῶν πονηρῶν;

(口語訳) あなたがたは、自分たちの間で差別立てをし、よからぬ考えで人をさばく者になったわけではないか。

οὐ /οὐ (~ない) 分詞 
διεκρίθητε /διακρίνω (分ける・決心する・疑う) 動詞 - アオリスト 受動 直接法 - 二人称
ἐν /ἐν (~に) 前置詞
ἑαυτοῖς /ἑαυτοῦ (彼ら自身) 再帰代名詞 - 三人称 与格 複数男性
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
ἐγένεσθε /γίνομαι (~になる) 動詞 - 第2アオリスト 中動 異態 直接法 - 二人称
κριταὶ /κριτής (審判、裁判官) 名詞 - 主格複数男性
διαλογισμῶν /διαλογισμός (勘定) 名詞 - 与有格・属格複数男性
πονηρῶν /πονηρός (痛みを伴う、つらい⇒無益な、有害な) 形容詞 - 与有格・属格複数男性

この尋ね方は、何か実際に当時の教会内でそのような出来事があったのではないかと感じさせますね。

文末は「 ; 」疑問符なので、これは疑問文で訳すようです。

διεκρίθητε を口語訳は「差別立てをする」と訳しているようです。
διεκρίθητε は、 διακρίνω (分ける・決心する・疑う)という語が元にあります。
ヤコブ 1:6の διακρινόμενος (疑う者)の元にある語と同じです。
δια (~を通して) - κρίνω (分ける・選ぶ・決心する・裁定する) という語の組み合わせになっています。
すぐ後の語である「さばく者 κριταὶ」という語も、そうですね。
分ける・決心する・裁定するという意味を合わせもつ語としては、「断ずる」という語が近いだろうか。受身だから「分断された」か。
口語訳は文脈から「差別立てした」と訳しているようです。

διεκρίθητε は「アオリスト 受動直接法 - 二人称」とのこと。
διεκρί-θη-τε と分解して考えてみます。
θη は受動態の特徴のようですね。人称語尾が τε です。
δια-ἐ-κρί-θη-τε となっていたのが δια とアオリストの加音 ἐ が変化して
διε-κρί-θη-τε となったのかな。

「οὐ」が否定なので、「οὐ διεκρίθητε」で、あなた方は「差別立てしなかったか」とか「分断されなかったか」と問う意味なるようです。

「ἐν ἑαυτοῖς (彼ら自身において)」は、訳す時は「あなた方自身において」と解するようです。
この再帰代名詞の使い方はよく分からないなぁ。


ἐγένεσθε (~になった)
biblos.comのパージングではV-2ADI-2Pとなってます。「動詞 - 第二アオリスト中動態直接法 - 二人称」のことですね。
どうやって判断しているのだろう。
ἐ-γέν-ε-σθε と分解してみます。
ἐ の加音と人称語尾 σθε から中動態/受動態のどちらかなのでしょう。
これは自分のやった行為の結果が自分たちに影響しているという文脈なので、中動態と判断しているのではないかなと。
アオリストだと σα がついてそうですが、これは第二アオリストなのでこれがつかないそうです。
第二アオリストかどうかは暗記しておくしかないようです。

前半は、「あなた方は、自分たち自身の間で分断されなかったか」と否定文で尋ねているようです。
後半には「οὐ」が掛かってないようです。
「さばく者になったのか」と尋ねているようです。
この順番だと前半の疑問文の感じが訳しにくいなぁ。

「あなた方は自分たち自身において分断され、良からぬ勘定のさばき手にならなかったか」のような訳でしょうか。
これだと「οὐ」の掛かり方が逆になりそう。

前半と後半を逆にした方が「…なかったか」という尋ね方の掛かり方が訳しやすい。
訳としては、
「あなた方は良からぬ勘定の裁き手になって、自分たち自身の間で分断されなかったか」
としてもいいかなと。

おそらく、教会の説教のなかの譬え話というのは、教会員のなかにまま見られる問題を捉えているのでしょう。
こうやって「あなた方」によって自分たち自身が分断されているのではないですか、と尋ねる時は、まぁそういうことがしばしば教会内で見られたことが前提されているのでしょう。

「分断される διεκρίθητε」と「疑う者 διακρινόμενος」(ヤコブ 1:7)の用語からして、おそらく根っこは同じ問題であると考えているのでしょう。
教会内において貧富の差から差別が生じたことと、分断されて揺れ動く波のように「疑う者」となっている信徒がいたこと、教会内で信徒が分断されてしまったことについて、ヤコブの手紙の著者は苦言を呈しているようです。

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ヤコブ 2:3 りっぱな着物を着た人に対しては

ἐπιβλέψητε δὲ ἐπὶ τὸν φοροῦντα τὴν ἐσθῆτα τὴν λαμπρὰν καὶ εἴπητε, Σὺ κάθου ὧδε καλῶς, καὶ τῷ πτωχῷ εἴπητε, Σὺ στῆθι ἢ κάθου ἐκεῖ ὑπὸ τὸ ὑποπόδιον μου,

(口語訳)
その際、りっぱな着物を着た人に対しては、うやうやしく「どうぞ、こちらの良い席にお掛け下さい」と言い、
貧しい人には、「あなたは、そこに立っていなさい。それとも、わたしの足もとにすわっているがよい」と言ったとしたら、

ἐπιβλέψητε /ἐπιβλέπω (見る、注意して見つめる) 動詞 - アオリスト 能動 仮定法 - 二人称複数
δὲ /δὲ (しかし) 接続詞
ἐπὶ /ἐπί (~の上に) 前置詞
τὸν /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 対格 単数男性
φοροῦντα /φορέω (着る) 動詞 - 現在 能動 分詞 - 対格単数男性
τὴν /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 対格単数女性
ἐσθῆτα /ἐσθής (衣類、衣服) 名詞 - 対格単数女性
τὴν /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 対格単数女性
λαμπρὰν /λαμπρός (輝く、白い) 形容詞 - 対格単数女性
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
εἴπητε /εἶπον  (言う) 動詞 - 第二アオリスト 能動 仮定法 - 二人称
Σὺ /σύ (あなたは) 人称代名詞 - 二人称 主格単数
κάθου /κάθημαι (座る) 動詞 - 現在 中動 or 受動 異態 命令法 - 二人称単数
ὧδε /ὧδε (ここに) 副詞
καλῶς /καλῶς (よく、うまく) 副詞
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
τῷ /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 与格単数男性
πτωχῷ /πτωχός (貧しい人) 形容詞 - 与格単数男性
εἴπητε /ἔπω (言う) 動詞 - 第二アオリスト 能動 仮定法 - 二人称
Σὺ /σύ (あなたは) 人称代名詞 - 二人称 主格単数
στῆθι /ἵστημι (立つ) 動詞 - 第二アオリスト 能動 中動 - 二人称単数
ἢ /ἤ (もしくは) 分詞
κάθου /κάθημαι (座る) 動詞 - 現在 中動 or 受動 異態 命令法 - 二人称単数
ἐκεῖ /ἐκεῖ (そこの) 副詞
ὑπὸ /ὑπό (そば、下に) 前置詞
τὸ /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 対格単数中性
ὑποπόδιον /ὑποπόδιον (足台) 名詞 - 対格単数中性
μου /ἐγώ  (私の) 人称代名詞 - 一人称 所有格・属格 単数

ἐπιβλέπω (見つめる)は、ἐπί (英語のonにあたる。「~の上に」) + βλέπω (見る) が組合わさっている。
意味もlook upon と同じで、注意して見るという意味のようです。
ἐπιβλέπω のアオリストの形は、π の後にアオリスト仮定法の時称接尾辞(?) ση ( η は連結母音か…)がつく時に ψ の音になり、二人称複数の語尾 τε が最後について ἐπιβλέψητε という形になるようです。
つまり、ἐπι - βλέπ - ση - τε ⇒ ἐπιβλέψητε という感じかと。

εἴπητε (言う εἶπον)は、第二アオリストという変化とのこと。
これはアオリストの語尾 σα (アオリスト仮定法なら ση )がつかない語だそうです。でも、η だけは残っているように見えます。

ὧδε は副詞とのことですが、レキシコンには「here ここに」という意味が載っているので、まぁそれでいいのかなと。
καλῶς も副詞なのですが、これはどう訳しましょう。
元にある καλός という語は良いという意味ですし、口語訳では「良い席」と訳されているようですが。形容詞ならばそれでいいような気がしますが。
副詞としては「うまく~する」のような使い方をするのではないかと思うのですが。
いや、口語訳はこれを「どうぞ」と訳しているのかな。
金持ちが集会所に入って来て、案内人がよい席を指して「ちょうどうまい具合にこちらが空いてますのでどうぞ」と言ってる感じだろうか。
あるいは「さぁ、こちらへ」の「さぁ」ぐらいの意味だろうか。

後半の貧しい人に対するセリフは、「あなたは立っているか、そこの私の足台の傍らに座りなさい」というもの。
「私の足台」というのだから、案内人の席はその足台のついた椅子なのだろうと思われる。
おそらく部屋の入口近くに案内人の席があって、集会に集まった人に声をかけているのではないかと思われます。
金持ちが入ってくると彼は「さぁ、こちらへ」と上席を案内しますが、貧乏人には「あなたは立っているか、そこの私の足台の傍らに座りなさい」と言っている。

当時の集会の席がどうなっているのか分かりませんが、床に座っていたのか、椅子やベンチの座っていたのか。
でも、案内人の言い方からして、床に座るにしても良い席は座れる人数に限りがあって前の方に居たければ「立っているか」、座りたければ末席に行けと言っている感じです。
ただ、「床に座る」ならば、好きな所に座ればいいのですから、「立っているか」という表現はちょっと合わない気がします。
金持ちの横に立っていられるならば、座ることもできるでしょう。
立っているように言われるのは、空きがあっても上席に「座らないように」と言われていることを意味するのかと思います。
そうなると椅子か、ベンチか、座るための敷物か何かが上席にはあったけど、そこに座らせてもらえなかったのかなと思えます。
それらの状況からして、たぶん教会員のなかの裕福な人の自宅で集会が行われていることが前提されているのかなと。


訳としては、
「そこであなたはきれいな服を来た人に目を止めて『さぁ、あなたはこちらへお掛けください』と言い、
貧しい人には『あなたは立っているか、そこの私の足台の傍らに座りなさい』と言うとすると」
という感じでしょうか。

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ヤコブ 2:2 金の指輪をはめ、りっぱな着物を着た人

ἐὰν γὰρ εἰσέλθῃ εἰς συναγωγὴν ὑμῶν ἀνὴρ χρυσοδακτύλιος ἐν ἐσθῆτι λαμπρᾷ, εἰσέλθῃ δὲ καὶ πτωχὸς ἐν ῥυπαρᾷ ἐσθῆτι,

(口語訳) たとえば、あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、りっぱな着物を着た人がはいって来ると同時に、みすぼらしい着物を着た貧しい人がはいってきたとする。

ἐὰν /ἐὰν (たとえば、ただし) 条件文
γὰρ /γὰρ (なぜなら) 接続詞
εἰσέλθῃ /εἰσέρχομαι (~に入る) 動詞 - 能動相第二アオリスト 仮定法 - 三人称単数
εἰς / (~に) 前置詞
συναγωγὴν / (会堂) 名詞 - 対格単数女性
ὑμῶν / (あなたがたの) 人称代名詞 - 二人称所有格・属格 複数
ἀνὴρ / (人) 名詞 - 主格単数男性
χρυσοδακτύλιος / (金の指輪をはめた) 形容詞 - 主格単数男性
ἐν / (~において) 前置詞
ἐσθῆτι / (衣服) 名詞 - 与格単数女性
λαμπρᾷ / (晴れやかな、キラキラ輝く) 形容詞 - 与格単数女性
εἰσέλθῃ / (~に入る) 動詞 - 能動第二アオリスト 仮定法 - 三人称単数
δὲ / (しかし) 接続詞
καὶ / (そして) 接続詞
πτωχὸς / (貧乏な人) 形容詞 - 主格単数男性
ἐν / (~において) 前置詞
ῥυπαρᾷ / (汚い) 形容詞 - 与格単数女性
ἐσθῆτι / (衣服) 名詞 - 与格単数女性

「ἐὰν たとえば」という語は、「εἰ もし」と「ἄν」が組合わさっているみたい。
「ἄν」の意味はstrongsを見ると下記のようにある。
「usually untranslatable, but generally denoting supposition, wish, possibility or uncertainty」
「通常翻訳不可能、しかし大抵は仮定を意味する、希望、可能性や不確かさ」
「εἰ もし」という語自体が仮定を意味するんだけど。
「仮にこんなことがあったとしたら…」と、いくらかありえないことを想定しているニュアンスの言い方なのかな。

「εἰσέλθῃ」はアオリスト。アオリストは通常過去形で訳されます。
ここでは仮定法なので「入ってきたならば」というような意味。
元の形は「εἰσέρχομαι (~に入る)」⇒「εἰς (~に)」+「ἔρχομαι (来る・行く)」が組み合わさったもの。

「アオリスト」は、「未完了過去」が行為の継続・反復などを表すのと違って、過去の一回の出来事、瞬間的な動作を表します。
ただこれは直説法以外の用法では(ここのように仮定法であったり、希求法、命令法、不定法である場合)、時間の意味が消えてしまうようです。
ウィキペディアによると「アオリスト」の語源は、
>ギリシア語: ἀόριστος aóristos「境界のない、範囲が不確定の」に由来する
とのことです。
普遍的なことを言い表す時も、アオリストを使うそうです(「格言的アオリスト」)。

「συναγωγὴν 会堂に」という語は、「συναγωγή」の対格。シナゴーグのこと。
普通ユダヤ教の会堂を指しますが、キリスト教の集会の意味でも用例があるそうです(辻学著「ヤコブの手紙」p106)。

「χρυσοδακτύλιος (金の指輪をはめた)」 ⇒ 「χρυσός (金)」 + 「δακτύλιος (指輪)」
うーん。この語は「金の指輪」ぐらいしか意味しそうにないけど、ギリシャ語では名詞と形容詞が近い関係になっているのかな。
「ἀνὴρ χρυσοδακτύλιος」のように「人、金の指輪」と格をそろえてならべると、「金の指輪をした人」という風に掛かるということなのかなと。
英語だと「rich」を、名詞としては「金持ちの人」、形容詞としては「金持ちな」と使うのと似たようなものかと。

「δὲ」は、「しかし」を表す接続詞。たぶん、ここでは主語が変わることを表しているのではないかと。

「なぜならば、たとえばあなたがたの集会に、綺麗な服を着て金の指輪をした人が入ってきて、そしてまた汚い服を着た貧しい人が入っきたら…」
という感じに訳せそうです。

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ヤコブ 2:1 我らの主イエス・キリストの栄光

Ἀδελφοί μου, μὴ ἐν προσωπολημψίαις ἔχετε τὴν πίστιν τοῦ κυρίου ἡμῶν Ἰησοῦ Χριστοῦ τῆς δόξης.

(口語訳) わたしの兄弟たちよ。わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない。

Ἀδελφοί /ἀδελφός (兄弟よ) 名詞 - 呼格複数男性
μου /ἐγώ (私の) 人称代名詞 - 一人称 所有格・属格単数
μὴ /μὴ (~ない) 分詞 - 主格
ἐν /ἐν (前置詞) 
προσωπολημψίαις /προσωποληψία  名詞 - 与格複数女性
ἔχετε /ἔχω  動詞 - 現在能動命令法二人称
τὴν /ὁ  定冠詞 - 対格単数女性
πίστιν /πίστις  名詞 - 対格単数女性
τοῦ /ὁ  定冠詞 - 所有格・属格単数男性
κυρίου /κύριος  名詞 - 所有格・属格単数男性
ἡμῶν /ἡμεῖς  人称代名詞 - 一人称所有格・属格複数
Ἰησοῦ /Ἰησοῦς  名詞 - 所有格単数男性
Χριστοῦ /Χριστός  名詞 - 所有格単数男性
τῆς /ὁ  定冠詞 - 所有格・属格単数女性
δόξης /δόξα  名詞 - 所有格・属格単数女性

「私の兄弟たちよ、我らの主イエス・キリストの栄光の信仰を持って、人をえこひいきしてはならない」というような訳になりそうです。

Ἀδελφοί は、呼格。「兄弟達よ」と呼びかける時の言い方。
この語に由来する語でよく耳にするのは「フィラデルフィア」という地名で、ギリシャ語で兄弟愛を意味します。

ギリシャ語では、主格(~が)、与格(~に)、所有格・属格(~の)、対格(~を)などを単語の語尾の変化で表わす。
μου は「私の」という所有格・属格の形。語尾が ου に変化する。
τοῦ
κυρίου
Χριστοῦ
なども所有格・属格です。格変化の中で一番覚えやすいと思います。
「~を」という対格は、「πίστιν 信仰を」が出てきています。

προσωπολημψίαις は、προσωποληψία (分け隔てる) の与格複数の形。
与格というのは、日本語で「~に」で表わされる。動詞の間接目的語。

前置詞 ἐν (~において)がついているので、「ἐν προσωπολημψίαις」で「分け隔てにおいて」という意味になるのか。
προσωποληψία はレキシコンで調べると、「respect of persons」という意味が出てきます。
えこひいきするとか、差別待遇するという意味のようです。

προσωπολήπτης (分け隔てる)という単語は見た目にも長いです。
πρόσωπον (顔) + λαμβάνω (取る) が組合わさっている。

なぜ「顔をとる」という表現がえこひいきや差別待遇を意味するのか。

田川建三氏の「新約聖書 訳と註 1」p378の解説によると、
パウロにもこの「顔を取ること」という表現があり。これを、人によって差別するという意味で用いているが、これはヘブライ語の表現の直訳なのだそうです。
七十人訳でも同じ表現(顔を取る)で出て来るそうです。レヴィ記19:15、列王記 3:14、ヨブ記 42:8。また「顔を見る」という言い方で申命記 10:17にあるそうです。

πρόσωπον (顔) という語は、 πρός (「~について」という前置詞) + ὀπτάνομαι (現れる) が組合わさっているようです。

πρόσωπον (顔) は προσώπου が(ヤコブ 1:11)に出てきます。
λαμβάνω (受ける・取る) は λήμψεταί が(ヤコブ 1:7, 1:12)に出て来てます。

後半は「信仰を/主の/我らの/イエス・キリストの/栄光の」という語順なのですが、
辻学氏の注解書によると、この語順が不自然であるため色々議論されているようです。
とくに最後の「栄光の」という意味がはっきりしない。
ヤコブの手紙の著者はイエス・キリストについて言及することが非常に少ないため、元来はユダヤ教文書であったものに後に「イエス・キリスト」の名前を挿入してキリスト教化したものではないか、という仮説もあったそうです。
そのような説が出て来る原因は、この部分の表現が不自然で、「我らの栄光の主」とあったところに「イエス・キリストの」を挿入したように見えることがあるそうです。
ですが、挿入の仕方として「イエス・キリスト、我らの栄光の主」としてもよかったはずであるので、称号の間に後から挿入するというのは不自然であると辻氏は論じています(p104)。
「栄光」という語の意味について、辻氏の解釈は説得力があります。下記に引用します。

「我らの主イエス・キリスト」という表現はしばしば、神への感謝や祈祷のことばの中で、定型的に用いられる。これは礼拝の中での言葉づかいを反映したものであろう。「栄光」も同じである。この語は、新約聖書においては、とりわけ頌栄という形で用いられている。おそらく、ここで言われている「栄光」とは、キリスト教徒が礼拝の中で、神ないしキリストに帰する「栄光」なのである。つまり、「君たちが礼拝の中で、『我らの主イエス・キリストに栄光あれ』と称えている方」という意味がこの表現には込められていると考えられる。この解釈は、続く2節が、礼拝の場面を描写していることとうまく合致する。(「ヤコブの手紙」辻学著 p105)

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