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ヤコブ 4:2-3 求めないから得られないのだ

【ヤコブ4:2-3】
επιθυμειτε και ουκ εχετε φονευετε
あなたがたは欲して持たず殺す、
και ζηλουτε και ου δυνασθε επιτυχειν μαχεσθε και πολεμειτε
また望んで得られず互いに争いあって戦争する、
ουκ εχετε δια το μη αιτεισθαι υμας
あなたがたが持たないは、求めないからだ。

αιτειτε και ου λαμβανετε διοτι κακως αιτεισθε
求めて受けとれないのは、悪く求めるからだ
ινα εν ταις ηδοναις υμων δαπανησητε
あなた方の快楽に使おうとして。

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どこでどう区切ればいいのか、よく分からない文章です。
例によって諸訳をカンニングしてやってます。

口語訳が「επιθυμειτε むさぼる」と訳してるのは70人訳に沿っているみたい。
十戒の言葉が何度か出てきたので、ここもやっぱりそうなんでしょうか。
「欲がはらんで罪を生み…」(ヤコブ 1:15)という表現もあるし、まぁ普通に「欲」と考えてもいいかなと。

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求め方が悪いというのは、どういうことなんでしょう。
快楽が悪いのでしょうかね。

まず、3章までの話の展開からすると、ヤコブさんは、傲慢になって大言壮語するようなことを「舌」の快楽のために行動していると考えていそうです。
「舌は制しにくい悪であり、死の毒に満ちている」と。「舌は火。不義の世」だと言ってます(ヤコブ 3:6)。
身体器官は、不義なる肉、「世」に属しているということでしょうか。
霊肉二元論で考えるところの「肉」という次元にあるものは、所詮は不義なる存在であるということが前提にあるのかな。
つまり、ちょっとグノーシス的な表現かなと。

これに続く(ヤコブ 4:5)にも、グノーシス的に見える表現があります。

 【ヤコブ 4:5】
 それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と
 聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。

ヤコブさんは「聖書に書いてある」と言ってますが、ぴったりな表現は聖書にないです。
当時教会で使われていた何らかのテキストの引用なのでしょうけど。
で、「神が霊をねたむ」というのは、グノーシスの神話などに見られます。
グノーシス神話では、創造神ヤルダバオートは、騙されて人間に息(霊)を吹き込んでしまう。このため人間のなかにある霊(光)をねたむ、という話があります。
ここのヤコブの表現は、どちらかというと、グノーシス神話の「ねたむ神」の表象に近い気がします。

でも、これが「欲望」とどういう風につながっているのでしょう。
…神が人間の霊をねたんだからといって、どうして欲望が悪いという話とつながるのでしょう。
グノーシス神話との関連を疑っていろいろ考えてみましたが、あんまりいい案は浮かびませんね。

この部分は、たぶん、人間の「霊」の前史を示そうとしているのかなと。
元々は神の息であるところの霊だったものが、人間という肉体のなかに閉じ込められているのだ、と。
つまり、この世にある物体や肉体なんてものと違って、人間の「霊」は神が吹き込んだのであって、神がそれを妬んだほどに価値があるものなのだと。
人間の「霊」というものは、本来高次元なものなのであって、その本質に従っていきるべきだと。
それなのに、舌なんかに振り回されて、欲望に引きずられて生きていてはいけない、ということかなと。

欲望はいかんと言ってるけど、ヤコブさんは、飲食などの自然の欲求を否定しているわけではないです。

 【ヤコブ 2:16】
 あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、
 そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。

身体に必要なもの、衣食住の安定は、ヤコブさんは必要なものであり、これを否定する気はさらさらない。
欠乏によって苦しめられる状態は、「霊」の高次元な活動のさまたげになるということでしょう。

では、富んだ者がより「霊」の活動が充実しているのか。いや、ヤコブは、富んだ者たちが、なすべきをなさず罪を犯していると見ている。
ヤコブは金銭の問題だけでなく、傲慢になった「教師」が、貧しく無学な人を苦しめることも戒めている。

ヤコブは、神は人間に必要なものを十分与えてくれているのだ、と考えているようです。
そして、欠乏が生じるとすれば、それは欲を出したものが余計に取っているのか、ちゃんと求めていないからだと言っているようです。
そして、自分に価値があると思ってないと、ちゃんと求めることもできない、と考えているということかな。

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