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ヤコブ 3:12 いちじくの木とオリブの実

μὴ δύναται, ἀδελφοί μου, συκῆ ἐλαίας ποιῆσαι ἢ ἄμπελος σῦκα;
οὔτε ἁλυκὸν γλυκὺ ποιῆσαι ὕδωρ.

(ヤコブ 3:12 口語訳) わたしの兄弟たちよ。いちじくの木がオリブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができようか。
塩水も、甘い水を出すことはできない。

--- 訳としては、下記のような感じでしょうか。
「私の兄弟たちよ、いちじくの木にはオリーブの実を、またブドウの木がイチジクを作れるか。
塩気もまた、甘く水を作れない」

最後のところは、「塩水」なのでしょうか。塩という語の中性単数ですが。
形容詞ならば、「塩気」ぐらいの意味になるのかな?
---
これはつまり、相手を罵倒する言葉を吐くことは「できない」ことを説明するわけです。意思によってしないのではなく。

こういう説教の仕方は、実は僕的には納得できません。
僕としては「罵倒してはいけない」と教えるべきだと感じてしまいます。
でも、新約聖書を読むと、「正しい人は罵倒しない」という設定だけ論じます。そして、あなたたちは正しい人なのだから罵倒しないのです…というような説明の仕方をします。
こういう論じ方はどうも苦手です。
結局努力して、意識してやっているだけのことを「自然と」できたかのように論ずる。そうやって自分たちが神の恵みを受けているのですと暗に主張しているところが、どうも好きではない。

でも、まぁこういう論じ方は、自分は神の恵みを受けているのだと自認する人には効果的なのでしょう。
「人をののしるべきではない」と言っても聞かないわけです。
相手が罵られるべきであり、悪魔的であるからとか、神の敵であるからとか、理由をつけて罵倒することを正当化します。
でも、そうさせない論理がここにある。
つまり、神を賛美して、同じ口で神が創った人を罵ったりしてはならないのだ、という論法です。

信仰者さんとしては、一種の敬虔さとして納得できるわけでしょう。
でも、その背後には、神の恵みを受けた者であるという尊大さが隠れています。
相手を馬鹿にしているけど、手を汚すべきではない「から」、罵らないと言ってるだけですので。

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