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フィロン研究

加藤周一著「現代ヨーロッパの精神」
グレアム・グリーンの作品『情事の終わり』の評論が印象に残っています。
『情事の終わり』のヒロインは恋に落ちるが、三角関係のなかで罪悪感を感じている。
空襲によって恋人が瓦礫の下敷きになったとき、彼女は神に祈る。彼をよみがえらせてくれたら、二度と彼と姦通の罪は犯さないと。
そして男は奇跡的に蘇生するが、彼女は誓いのために苦悩しつつも彼とは別れてしまう。
そのヒロインの日記のなかの祈りの一節が美しい。

「苦痛を求めて、私には、平和が授けられました。
それを彼にも与えてください。私の平和を彼に、―彼の方がもっと平和を必要としているのです」

このような気持がつねに高揚しているわけではない。次の日には、

「私は疲れ、苦痛を望まない。
私にも、モーリスが、普通の腐敗した人間の愛が、必要です。
私が基督の苦痛を望むようになりたいと望んでいることは、神も御存知の通り。
けれども、それは今ではない。どうかしばらく苦痛を取り去ってください。
そしてまた別のときにそれを返してください」

と苦悩を告白する。
うーむ。この祈りは美しいなぁ。

平石善司著「フィロン研究」
興味のある章からあちこち読んでます。やっぱりキリスト教関係の事柄が書かれているあたりからね。
フィロンのアレゴリー解釈というのは、キリスト教のテキストかなと思ってしまうぐらい印象が近いです。
やはりキリスト教の最初期というのは、まるっきりヘレニストの文化なんだなぁと。

フィロンがキリスト教徒に似ているなぁと思う点はいろいろありますが、たとえば、信仰をもっているのだけど旧約聖書に矛盾を感じているところなどでしょうか。でも、フィロンにすれば、それは字義にとらわれて読んでいるから矛盾におもえるけど、アレゴリー解釈によってその真実性があきらかになるのだ、というようなことを言っているわけです。
さらに、フィロンはロゴスと、知恵の神話と、グノーシスを習合して理解している。
ヨハネ神学の先駆者みたいなもんです。

あんまりちゃんと読んでなかったけど、エウセビオスの「教会史」にもフィロンが登場していたんですね。
キリスト教と何か関連のある人物と誤解されて登場してるみたい。

ヨハネ福音書は、一応ギリシャ語で福音書を書いているわけだけど、フィロンなどを読んでいたのかな。
用語がかなり似ているので、直接にせよ間接にせよ、何らかの影響を受けているのかなとは思うけど。

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