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ヤコブ 3:6 舌は火である

καὶ ἡ γλῶσσα πῦρ· ὁ κόσμος τῆς ἀδικίας ἡ γλῶσσα καθίσταται ἐν τοῖς μέλεσιν ἡμῶν, ἡ σπιλοῦσα ὅλον τὸ σῶμα καὶ φλογίζουσα τὸν τροχὸν τῆς γενέσεως καὶ φλογιζομένη ὑπὸ τῆς γεέννης.

(口語訳) 舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。

これはどこがどうなっているのか、分かりにくい文章です。
「καὶ ἡ γλῶσσα πῦρ」で一区切りあるようです。動詞は略された言い方で「だから、舌は火(なのだ)」という感じ。

「ὁ κόσμος τῆς ἀδικίας」がどこに掛かっているのかよくわかんない。「不義の世」ぐらいの意味ですが、宙に浮いてどこにかかるのか分からんな。
「ἡ γλῶσσα καθίσταται 」は、「舌は備えられている」ぐらいの意味でしょうか。
「ἐν τοῖς μέλεσιν ἡμῶν」は、「私たちの(身体の)一部として」というような意味。

「ἡ σπιλοῦσα ὅλον τὸ σῶμα」で、「全身を汚す」
「καὶ φλογίζουσα τὸν τροχὸν τῆς γενέσεως」で、「また、出生の車輪に火をつける」でしょうか。これも意味が分かんないね。
「καὶ φλογιζομένη ὑπὸ τῆς γεέννης.」は、「ゲヘナで焼かれる」という感じです。


「不義の世」がどう文章につながっているのかよく分からない。口語訳と新共同訳は、ここも独立した文章として扱ってます。

うーむ。「不義」と「舌」が単数女性の名詞なので、そこに掛かったりするのかな? つまり、「不義である舌は…」とつながっているとか。

全体の訳としては、
「だから、舌は火(なのだ)。不義の世(である)。舌は私たちの(身体の)一部として備えられているが、全身を汚し、生まれの車輪を燃やし、ゲヘナで焼かれるのだ」
という感じでしょうか。

あと、「τὸν τροχὸν τῆς γενέσεως 出生の車輪」って何?
「τῆς γενέσεως 誕生の」という語は、他に(ヤコブ 1:23)にも出てきてます。

 (ヤコブ 1:23)
 おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである

これも理解が難しい表現のところです。
口語訳は「生得の顔」と解しているようですが、そう読んでも、なぜ「聞くだけで行わない人」に似ているとされるのか分かりません。
「生まれつき」とそれ以外を区別する要素でもあるのでしょうか。
「生まれつき」というのは再生を経験していないという意味だと解する人もいるかも。…でも、その解釈は、律法を見つめていると「生まれつき」ではなくなる理由が譬えのなかで欠けているのでここでは適用しにくいかと。
また、「生まれの車輪が燃やされる」という表現が、悪いこととして理解される文脈を説明するのも難しそうです。

世が、不義な存在であるならば、生まれるということ自体が否定的に評価されそうです。
それが厭世的になってゆくと、世界の不幸には無関心になりそうです。なぜなら、世は悪なので、珍しいことではないし、どうすることもできはしないのだから。
ヤコブさんの発想では、舌はそういう悪を生ずる存在であるけど、コントロールすべきであると考えているようです。
完全に制御はできない。でも、すべきだという文脈ですね。
小さな悪が、全体を焼き尽くしてしまうこともある。舌を制御することは難しい。
だが、できないからと言って、しないでよいわけではない。
自分のなかに悪を見出し、それをできる範囲で制御しようとする意思が、ヤコブさんの姿勢の特徴かなと思います。

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