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2011年4月

ヨハネ福音書記者2

過越しの食事のときにイエスの胸にもたれかかっていた「愛弟子」がヨハネ福音書を書いたとされているようです。
その「愛弟子」は、死ぬことがないと噂されていたけど、亡くなってしまった。
そして彼の死後、彼の弟子が福音書を最後に編集したという説ですね。
オリジナルのヨハネ福音書は20章で終わっていて、21章は弟子がつけ足したものであるというわけです。

まぁ、たぶんそうなんでしょう。

では、20章に書かれている復活伝承が「愛弟子」が報告している話であるならば、伝承としては結構古くにまでさかのぼれるということでしょうか。
「愛弟子」はイエスと一緒に過越しの食事をして、弟子たちが逃げたあとも「愛弟子」はそのままエルサレムに残っていたわけです。
磔刑のときにイエスの母マリアを引き取っているわけです。

 (ヨハ福 20:19-20)
 その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、
 弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、
 イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。
 弟子たちは主を見て喜んだ。

「愛弟子」はこの出来事があったときに、近くにいた可能性はある。
(こんなことを書いてますが、この証言をそのまま事実だと思ってたりはしないけど。ひとまず、その出来事の近くに居たんじゃないかとは思う)
ルカ福音書にこれに似た話が残ってます。

 (ルカ 24:36-39)
 こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。〔そして「やすかれ」と言われた。〕
 彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。
 そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。
 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。
 霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。
 〔 24:40こう言って、手と足とをお見せになった。〕

〔〕に入ってる部分は、後年の加筆で、ヨハネ福音書から持ち込まれたものなので、そこの一致は無視しておきます。
それでも「わたしの手や足を見なさい」と言ってるのですから、話としては手足の傷を見せてることに違いはないです。
本当に復活したんだと自分で説明しているところがすでにウサン臭い話です。
こういうセリフをつけるのは、つまり「一つ目の復活事件」が信用されなかったので、「二つ目の復活事件」では「手足の傷を見せたのでイエスが復活したのは間違いない」と論じるために創作された話なのではないか…と直感的に感じます。
「疑いの心を起こす」というのは、もうひとつの復活伝承にも奇妙な形で残ってます。

 (マタイ 28:16-17)
 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。
 そして、イエスに会って拝した。
 しかし、疑う者もいた。

これはガリラヤの山で復活のイエスが現れるという話ですが、ルカでは弟子たちはエルサレム(近郊)でイエスが現れます。
たぶん、マタイは(マルコ 16:7)につられて書いているだけだと思う。

 (マルコ 16:7抜粋)
 イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。
 かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう

ルカも弟子たちがどこでイエスを目撃したか知らないと思う。
それでも「弟子たちにイエスが現れたが、疑う者がいたので、手足の傷を見せた」という話は伝わっていたのかなと思う。

ただ(ヨハ福 20:19-20)の描いている状況は…ユダヤ人の迫害を恐れて家に潜んでいるというのは、リアリティがあります。
イエスが処刑された直後ですから、逃げたり、息をひそめて隠れたりしてそうです。

で、問題はなぜこの目撃証言の「場所」がはっきりしないのか、ということです。
パウロは、イエスの復活の証言を下記のようにまとめています。

 (1コリ 15:4-8)
 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。
 その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。
 そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、
 そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。

三日目の目撃者はいない。
まず、ケパことペテロに現れる。まぁこれは嵐のなか一晩中漁をしていた日の明け方頃の出来事なのでしょう。
で、次に「十二人」の弟子たちに現れる。
あと、五百人に同時に現れますが、これはたぶん五旬祭のことかな。
そのあとでヤコブ。これは…イエスの兄弟ヤコブでしょう。
そして、「すべての使徒」に現れる。

さて、(ヨハ福 20:19-20)の弟子たちの家に現れた伝承がカウントされてないな。
パウロの表現だと「弟子たち」に現れた話は、「十二人」と「すべての使徒」に現れたという部分ですね。
2回あるんだけど、2回目は五旬祭後に現れたということになります。
(ヨハ福 20:19-20)は、「その日、すなわち、一週の初めの日の夕方」と書いてますので、五旬祭より前です。
これが「十二人」の目撃証言でしょうか。
でも、逆に早すぎてペテロに現れるより先に目撃してしまいそうです。
ペテロはガリラヤ湖で漁をして目撃します。
漁で目撃する話の中にもトマスが出てきますが、この人は復活のイエスを見てから漁師を始めたのだろうか。
どうも順番としてはおかしく感じます。
ペテロの漁をしていて目撃する話のあとに、トマスら十二人が目撃するはず。

さらにヤコブたちに現れた伝承は消えてしまったのでしょうか。
ヤコブこそエルサレムに残っていたかなと思います。ヤコブとイエスの母マリアは、エルサレムで生活していたと行伝にあります。「愛弟子」だってヤコブからの証言ならば話に聞くこともあったでしょう。
弟子たちはガリラヤへ逃亡してしまったのじゃないかな。
(ヨハ福 20:19-20)で登場しそうなのは、ヤコブの方です。

ヤコブが目撃していそうだけど、パウロの証言ではペテロの方が先に目撃したとしています。
どこで目撃したのか。ペテロはガリラヤ湖でしょう。
ほかの十二人はどこで見たのでしょう。ガリラヤのどこかの山でしょうか。

妙な話ですが、ヤコブが最初の目撃者では不味かったのかなと思います。
ヤコブは兄弟ではあるけど、生前のイエスについて来なかった人物です。
ひょっとするとベルゼブルにとり憑かれていると思って、イエスを連れ帰ろうとしたかも知れない(マルコ 3:21)。
使徒たちは、自分たちの目撃証言をヤコブよりも先に見たのだと言い張って、その結果、弟子たちの目撃証言の順番や場所が混乱したり、曖昧になってしまったのではないかな…。

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ヨハネ福音書記者

ヨハネ福音書記者は、どういう人物なんでしょう。
ちょっと想像してみます。
まず洗礼者の教団での出来事が見てきたように描かれていますが、洗礼者ヨハネと関係があったのでしょうか。

 (ヨハネ福 1:25)
 彼らはヨハネに問うて言った、
 「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、
 なぜバプテスマを授けるのですか」。

まぁ、そりゃごもっともな疑問です。
この疑問が出るということは、逆に本当は洗礼者ヨハネは「メシア」として活動していたということかなと。
原始教会の解釈では、ヨハネは「メシアの前触れ」として活動していたことにしてしまったので、何で洗礼しているのか分からなくなってきたのだと思います。
だから、これはたぶん直接見聞きした話ではないと思います。

 (ヨハネ福 1:28)
 これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである

この下記からからすると、ベタニアからヨルダン川を渡った対岸に、福音書記者は居たのでしょうか。

 (ヨハネ福 1:36-37)
 イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。
 そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。

ふたりのうちの一人はペテロの兄弟アンデレ。もうひとりは誰でしょう。
ヨハネ福音書記者だという説を読んだことがあるけど、そうなのかなぁ。
単に洗礼者ヨハネが「見よ、神の小羊」と言ったことの証人がふたり揃っているんだと「言いたいだけ」な気がする。

 (ヨハネ福 1:49)
 ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。

ナタナエルは何に「答えた」のでしょう。
元々は「あなたは私を何者だと思うか」と尋ねたセリフがあって、それを略したので「答えた」が残ったのかな。
イエスは「これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」と言ってますが、「これ」って何でしょう。
元々は何か奇跡を起こした話があって、弟子としてついてくるんだったら「これよりも凄いものを見るだろう」と言ってるならば、話としては通りそうですが、どうでしょう。
何か奇跡をカットする意味があるのでしょうか。

 (ヨハネ福 2:11)
 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。

あぁ、ここで「最初のしるし」が出てくるんですね。
いわゆる「しるし資料」ですね。
資料のなかにすでに「最初のしるし」と書かれていて、それが頭にあったので、その前に奇跡を起こすのはイカンと思ってナタナエルでは奇跡の描写はカットされたか?
でも、そのほかはこだわりはない様子です。
たとえば二つ目の「しるし」は役人の息子が病気になったのを治療する奇跡。

 (ヨハネ福 4:54)
 これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第二のしるしである。

でも、これより前に「しるし」を行なっているのに、なぜかそれはカウントされていない。
おそらく「しるし資料」の段階では、二番目に書かれていたんでしょうけど、それをそのまま書き写しているのでカウントがおかしくなっているという説が有力です。
これよりも前に行なわれた「しるし」というのは、たとえば、下記のところです。

 (ヨハネ福 2:23)
 過越の祭の間、イエスがエルサレムに滞在しておられたとき、
 多くの人々は、その行われたしるしを見て、イエスの名を信じた。

さて、ここで言われている「しるし」は何でしょう。
文脈からすると過越しの祭りで神殿で暴れた事件を指しているようです。
商人を神殿から追い出したときにイエスは「しるし」を求められます。
このときには奇跡は行なっていませんが、イエスは「神殿を壊してみよ、三日で立ててやろう」というような挑発的なことを言ってます。
この挑発は結構うまい。壊すわけにもいかないし、相手はジレンマに陥りますね。
それはともかく、神殿で暴れて大騒ぎを起こしたのに、あとから下記のようにと兄弟から説教を受けています。

 (ヨハネ福 7:3-4)
 そこで、イエスの兄弟たちがイエスに言った、
 「あなたがしておられるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがです。
 自分を公けにあらわそうと思っている人で、隠れて仕事をするものはありません。
 あなたがこれらのことをするからには、自分をはっきりと世にあらわしなさい」。

神殿で暴れたことが「隠れて」やったことになってます。
そんなわけないでしょう。

神殿で暴れたエピソードはヨハネがイエスの初期の活動として描いていますが、たぶん実際はもっと後の事件であって、それを無理やり序盤にもってきたので、話のつじつまがあちこちであってないのかなと。

では、なんでこの事件を冒頭にもってくるんでしょう。
よー分からん。

ラザロの復活は、最大の決定的な「しるし」であって、これを拒否することがイエスを処刑することにつながったとヨハネ福音書記者は考えているということか。
「しるし」を基準にして考えると、神殿で暴れる話は奇跡としては何もやってないので、人々が「しるし」を決定的に拒否したと描くには弱いということか。
だからといって、序盤にもっていくかなぁ。

どう考えているのか、よく分からないなぁ。

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