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ヨハネ福音書記者2

過越しの食事のときにイエスの胸にもたれかかっていた「愛弟子」がヨハネ福音書を書いたとされているようです。
その「愛弟子」は、死ぬことがないと噂されていたけど、亡くなってしまった。
そして彼の死後、彼の弟子が福音書を最後に編集したという説ですね。
オリジナルのヨハネ福音書は20章で終わっていて、21章は弟子がつけ足したものであるというわけです。

まぁ、たぶんそうなんでしょう。

では、20章に書かれている復活伝承が「愛弟子」が報告している話であるならば、伝承としては結構古くにまでさかのぼれるということでしょうか。
「愛弟子」はイエスと一緒に過越しの食事をして、弟子たちが逃げたあとも「愛弟子」はそのままエルサレムに残っていたわけです。
磔刑のときにイエスの母マリアを引き取っているわけです。

 (ヨハ福 20:19-20)
 その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、
 弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、
 イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。
 弟子たちは主を見て喜んだ。

「愛弟子」はこの出来事があったときに、近くにいた可能性はある。
(こんなことを書いてますが、この証言をそのまま事実だと思ってたりはしないけど。ひとまず、その出来事の近くに居たんじゃないかとは思う)
ルカ福音書にこれに似た話が残ってます。

 (ルカ 24:36-39)
 こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。〔そして「やすかれ」と言われた。〕
 彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。
 そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。
 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。
 霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。
 〔 24:40こう言って、手と足とをお見せになった。〕

〔〕に入ってる部分は、後年の加筆で、ヨハネ福音書から持ち込まれたものなので、そこの一致は無視しておきます。
それでも「わたしの手や足を見なさい」と言ってるのですから、話としては手足の傷を見せてることに違いはないです。
本当に復活したんだと自分で説明しているところがすでにウサン臭い話です。
こういうセリフをつけるのは、つまり「一つ目の復活事件」が信用されなかったので、「二つ目の復活事件」では「手足の傷を見せたのでイエスが復活したのは間違いない」と論じるために創作された話なのではないか…と直感的に感じます。
「疑いの心を起こす」というのは、もうひとつの復活伝承にも奇妙な形で残ってます。

 (マタイ 28:16-17)
 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。
 そして、イエスに会って拝した。
 しかし、疑う者もいた。

これはガリラヤの山で復活のイエスが現れるという話ですが、ルカでは弟子たちはエルサレム(近郊)でイエスが現れます。
たぶん、マタイは(マルコ 16:7)につられて書いているだけだと思う。

 (マルコ 16:7抜粋)
 イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。
 かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう

ルカも弟子たちがどこでイエスを目撃したか知らないと思う。
それでも「弟子たちにイエスが現れたが、疑う者がいたので、手足の傷を見せた」という話は伝わっていたのかなと思う。

ただ(ヨハ福 20:19-20)の描いている状況は…ユダヤ人の迫害を恐れて家に潜んでいるというのは、リアリティがあります。
イエスが処刑された直後ですから、逃げたり、息をひそめて隠れたりしてそうです。

で、問題はなぜこの目撃証言の「場所」がはっきりしないのか、ということです。
パウロは、イエスの復活の証言を下記のようにまとめています。

 (1コリ 15:4-8)
 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。
 その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。
 そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、
 そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。

三日目の目撃者はいない。
まず、ケパことペテロに現れる。まぁこれは嵐のなか一晩中漁をしていた日の明け方頃の出来事なのでしょう。
で、次に「十二人」の弟子たちに現れる。
あと、五百人に同時に現れますが、これはたぶん五旬祭のことかな。
そのあとでヤコブ。これは…イエスの兄弟ヤコブでしょう。
そして、「すべての使徒」に現れる。

さて、(ヨハ福 20:19-20)の弟子たちの家に現れた伝承がカウントされてないな。
パウロの表現だと「弟子たち」に現れた話は、「十二人」と「すべての使徒」に現れたという部分ですね。
2回あるんだけど、2回目は五旬祭後に現れたということになります。
(ヨハ福 20:19-20)は、「その日、すなわち、一週の初めの日の夕方」と書いてますので、五旬祭より前です。
これが「十二人」の目撃証言でしょうか。
でも、逆に早すぎてペテロに現れるより先に目撃してしまいそうです。
ペテロはガリラヤ湖で漁をして目撃します。
漁で目撃する話の中にもトマスが出てきますが、この人は復活のイエスを見てから漁師を始めたのだろうか。
どうも順番としてはおかしく感じます。
ペテロの漁をしていて目撃する話のあとに、トマスら十二人が目撃するはず。

さらにヤコブたちに現れた伝承は消えてしまったのでしょうか。
ヤコブこそエルサレムに残っていたかなと思います。ヤコブとイエスの母マリアは、エルサレムで生活していたと行伝にあります。「愛弟子」だってヤコブからの証言ならば話に聞くこともあったでしょう。
弟子たちはガリラヤへ逃亡してしまったのじゃないかな。
(ヨハ福 20:19-20)で登場しそうなのは、ヤコブの方です。

ヤコブが目撃していそうだけど、パウロの証言ではペテロの方が先に目撃したとしています。
どこで目撃したのか。ペテロはガリラヤ湖でしょう。
ほかの十二人はどこで見たのでしょう。ガリラヤのどこかの山でしょうか。

妙な話ですが、ヤコブが最初の目撃者では不味かったのかなと思います。
ヤコブは兄弟ではあるけど、生前のイエスについて来なかった人物です。
ひょっとするとベルゼブルにとり憑かれていると思って、イエスを連れ帰ろうとしたかも知れない(マルコ 3:21)。
使徒たちは、自分たちの目撃証言をヤコブよりも先に見たのだと言い張って、その結果、弟子たちの目撃証言の順番や場所が混乱したり、曖昧になってしまったのではないかな…。

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