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2011年2月

ヤコブ 3:3 口にくつわをはめるなら

εἰ δὲ τῶν ἵππων τοὺς χαλινοὺς εἰς τὰ στόματα βάλλομεν εἰς τὸ πείθεσθαι αὐτοὺς ἡμῖν, καὶ ὅλον τὸ σῶμα αὐτῶν μετάγομεν.

(口語訳) 馬を御するために、その口にくつわをはめるなら、その全身を引きまわすことができる。

εἰ /εἰ (もし) 条件節
δὲ /δέ (しかし) 接続詞
τῶν /ὁ, ἡ, τό (冠詞) 冠詞 所有格属格 複数男性
ἵππων /ἵππος, ου, ὁ (馬) 名詞 所有格属格複数男性
τοὺς /ὁ, ἡ, τό (冠詞) 冠詞 対格複数男性
χαλινοὺς /χαλινός, οῦ, ὁ (くつわ) 名詞 対格複数男性
εἰς /εἰς (~に) 前置詞
τὰ /ὁ, ἡ, τό (冠詞) 冠詞 対格複数中性
στόματα /στόμα, ατος, τό (口) 名詞 対格複数中性
βάλλομεν /βάλλω (投げる、置く) 動詞 現在能動直接 一人称複数
εἰς /εἰς (~に) 前置詞
τὸ /ὁ, ἡ, τό (冠詞) 冠詞 対格単数中性
πείθεσθαι /πείθω (納得させる) 動詞 現在受動不定
αὐτοὺς /αὐτός, αὐτή, αὐτό (彼、彼女、それ) 代名詞 対格複数男性
ἡμῖν /ἡμῖν (私たちに) 代名詞 一人称複数与格
καὶ /καί (そして) 接続詞
ὅλον /ὅλος, η, ον (全体) 形容詞 対格単数中性
τὸ /ὁ, ἡ, τό (冠詞) 冠詞 対格単数中性
σῶμα /σῶμα, ατος, τό (肉体) 名詞 対格単数中性
αὐτῶν /αὐτός, αὐτή, αὐτό (彼、彼女、それ) 代名詞 所有格属格 複数男性
μετάγομεν /μετάγω (移す、運ぶ) 動詞 現在能動直接 一人称複数


訳としては
「馬を従わせるために、口にくつわをかけるなら、その体全体をも動かす」
という感じでしょうか。

「βάλλομεν 投げる、置く」をどう訳すかですね。どうも口語訳は「置く」から「(くつわを)はめる」と訳しているようです。
「πείθεσθαι」は「納得させる」という語の受動なので「納得させられる」「(私たちに)従わせる」のような意味になるみたい。
「καὶ そして」がまた変なところに入ってます。これはまた「~も」という意味のようです。
口語訳では「ひきまわすことができる」という風に「できる」と意訳しています。「できる」という語はないけど、上記の「καὶ ~も」を訳しておけばニュアンスは伝わるかと。

口にくつわをかけるというのは、言葉において罪を犯さないようにすることの譬えでもある。
自制して悪口を言わないことを指すのでしょう。
このたとえは一章ですでに用意されています。

 (ヤコブ 1:26)
 もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、
 自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。

舌を「制する χαλιναγωγῶν」という語は、くつわをかけるという語ですね。
ヤコブさんは「人の怒りは、神の義を全うするものではない」から、「語るに遅くあれ」と言ってます(ヤコブ 1:19-20)。
怒りにまかせて語ると、相手を罵倒してしまって、言葉の上で罪を犯すことになる。

ヤコブさんに言わせると、「自分は信心深い」と思っている者は、行いのなかで模範を示せということですね。
やもめや孤児を助けてあげること。世の汚れに染まらないこと(ヤコブ 1:27)。この汚れというのは、つまり罵倒し合うことでしょう。

でも、そうやって罵倒し合うのをやめるようにとだけ言ってるわけでもない。
それだけではない。
教会内のもめごとを通じてヤコブさんはそれらの問題がどこから来るのか考えている。そこには貧富の差もあったようです。
貧しい人々が日々の苦しい生活のなかでキリストを信じて教会にやってきている。
それなのに教会内で貧富の差から差別的な待遇を受けている。貧しさの背景には、律法の制限を守っているがゆえに経済的な競争で遅れをとっていたような事情があったのかも知れません。豊かな方の信徒は律法に対して自由主義的で、商売なんかで飛び回っていたのかも。
ヤコブさんとしては、これをどう解決すべきなのか考えたのではないでしょうか。
罵りあうのは良くない。でも、ひょっとすると口論の元になったのは貧しい人が「自分たちは冷遇されている」と抗議したことにあったのかも。
もしそうであれば、「罵りあうな、黙ってなさい」とだけ言うのでは、貧しい人たちはずっと差別的な待遇を受けつづけても、これに抗議できなくなるばかりで、事態は解決しません。
貧富の差はいかんともしがたいもの。
ならば、貧しい人々の尊厳を守るように行動を律して行くべきだと、ヤコブさんは考えたのかなと思います。

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ヤコブ3:2 全身をも制御することのできる完全な人である

πολλὰ γὰρ πταίομεν ἅπαντες. εἴ τις ἐν λόγῳ οὐ πταίει, οὗτος τέλειος ἀνὴρ δυνατὸς χαλιναγωγῆσαι καὶ ὅλον τὸ σῶμα.

(口語訳) わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。

πολλὰ /πολύς, πολλή, πολύ (多く) 形容詞 対格複数中性
γὰρ /γάρ (~だから) 接続詞
πταίομεν /πταίω (つまずく) 動詞 現在能動直接 一人称複数
ἅπαντες /ἅπας, ασα, αν (すべて) 形容詞 主格複数男性
εἴ /εἰ (もし~なら) 条件文
τις /τις, τι (誰か) 不定代名詞 主格単数中性
ἐν /ἐν (~において) 前置詞
λόγῳ /λόγος, ου, ὁ (言葉) 名詞 与格単数男性
οὐ /οὐ (~ない) 否定辞
πταίει /πταίω (つまずく) 動詞 現在能動直接 三人称単数
οὗτος /οὗτος, αὕτη, τοῦτο (この) 指示詞 主格単数男性
τέλειος /τέλειος, α, ον (完全な) 形容詞 主格単数男性
ἀνὴρ /ἀνήρ, ἀνδρός, ὁ (人) 名詞 主格単数男性
δυνατὸς /δυνατός, ή, όν (~できる) 形容詞 主格単数男性
χαλιναγωγῆσαι /χαλιναγωγέω (制御する) 動詞 アオリスト能動不定
καὶ /καί (~かつ~、そして) 接続詞
ὅλον /ὅλος, η, ον (全体) 形容詞 対格単数中性
τὸ /ὁ, ἡ, τό (冠詞) 対格単数中性
σῶμα /σῶμα, ατος, τό (身体) 名詞 対格単数中性

「πταίομεν つまずく」という語は対格をとるのかな。
日本語の感覚では「多くに」つまづくといいたくなるけど、「πολλὰ 多くを」と対格になってます。

あと後半の方の「καὶ そして」が変なところに入っています。「καὶ ὅλον τὸ σῶμα そして全身」では意味が分からない。
こういう時は「~も」と訳すようです。言葉につまづかないなら「全身も」制御できるという感じ。

訳としては
「多くに我々はみなつまずく。もしだれかが言葉においてつまずかないならば、この完全な人は全身も制御することができる」
という感じでしょうか。

で、ここの「完全な人」というのは、そんなに人間は完全ではないよという含みがありますね。
ヤコブの手紙はちょいちょい「完全」であるようにと指示します。「忍耐に完全な行いを伴わせよ」(1:4)といった調子です。ヤコブの手紙が嫌われるのはこういう完全主義なところかなと。
でも、ここは完全に制御はできないでしょ、という調子がありますね。
じゃぁ、ここまで完全であれと言っていたのに、ここで話をひっくりかえしてしまうのでしょうか。
ヤコブは教会内で論争に介入しようとしているようです。論争している一方はおそらく律法を行なう必要はないと主張しており、それに対してヤコブは律法を遵守するように言ってます。ヤコブはローマ書に反論するような形で批判を構成しているようです。「自分自身のように隣人を愛せよ」という律法を守らなければ違反者となること(これはイエスも重んじた教えなのでパウロに影響された人でも重んずるはずの教えですね)。貧しい者を冷遇したことによってすでに律法違反に陥っていること。ほかの律法を守っていたとして、ひとつにおいて違反していたら、それは律法全体の違反者なのだと。
そうして完全でなければならないとハードルを上げておくのだけど、ここで一転して私たちは多く違反するのだ、とつまずくことを認めます。
完全でなければならないのに、それが難しいとここへ来てヤコブさんは認める。
そして、言葉において罪を犯さない者は、全身も制御できる完全な人だと。
完全な人間なんだったら言葉で批判も結構だけど、不完全な人間がやるとそれはのしりあいに陥るのだと。完全でなければならないが、今は完全ではない。だからこそ、まず相手を口汚くののしらないように舌を制するべきなのだという勧告へ進んでゆくようです。

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ヤコブ 3:1 もっときびしいさばきを受ける

Μὴ πολλοὶ διδάσκαλοι γίνεσθε, ἀδελφοί μου, εἰδότες ὅτι μεῖζον κρίμα λημψόμεθα.

(口語訳) わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。

Μὴ / (否定辞) 
πολλοὶ /πολύς, πολλή, πολύ (多くの者たち) 形容詞 主格複数男性
διδάσκαλοι /διδάσκαλος, ου, ὁ (教師) 名詞 主格複数男性
γίνεσθε /γίνομαι (~になる) 動詞 現在中動命令 二人称複数
ἀδελφοί /ἀδελφός, οῦ, ὁ (兄弟) 名詞 呼格複数男性
μου /μοῦ (私の) 人称代名詞 一人称所有格属格単数
εἰδότες /οἶδα (知っている) 動詞 完了能動分詞 主格複数男性
ὅτι /ὅτι (接続詞) 
μεῖζον /μέγας, μεγάλη, μέγα (大きな) 形容詞 対格単数中性
κρίμα /κρίμα, ατος, τό (裁き) 名詞 対格単数中性
λημψόμεθα /λαμβάνω (受ける) 動詞 未来中動直接 一人称複数

「Μὴ」ってのは「~ない」と否定するときにつけるものですね。否定する単語の前につけます。
ここでは「πολλοὶ」が形容詞で「多い」の前ですね。「大勢が教師になるな」というような意味です。
Strong's を見ると「Original Word: πολύς, πολλή, πολύ」と書いてる。どういうこっちゃ。
どうも「πολύς, πολλή, πολύ」ってのは男性、女性、中性でそれぞれ変化形が違うんですね。それぞれの主格単数が並べて書いていたんですね。
ウィキペディアの「Ancient Greek grammar (tables)」を見ると、下記のような表がありました。

<>

πολύς, πολλή, πολὺ (st. πολυ-, πολλο-)
男性 女性 中性
単数 複数 単数 複数 単数 複数
Nominative πολὺς πολλοὶ πολλὴ πολλαὶ πολὺ πολλὰ
Genitive πολλοῦ πολλῶν πολλῆς πολλῶν πολλοῦ πολλῶν
Dative πολλῷ πολλοῖς πολλῇ πολλαῖς πολλῷ πολλοῖς
Accusative πολὺν πολλοὺς πολλὴν πολλὰς πολὺ πολλὰ
Vocative πολὺ πολλοὶ πολλὴ πολλαὶ πολὺ πολλὰ

「πολλ-οὶ」語尾が「-οὶ」なので男性の主格複数ですね。

οἶδα の分詞は男性女性中性はそれぞれ εἰδώς, εἰδυῖᾰ, εἰδός です。
語尾が -ώς, -υῖᾰ, -ός と変化する分詞は、λελοιπώς同じような変化をするようです。
変化の仕方は第三変化名詞と同じです。εἰδώς だと主格複数形男性は εἰδότες になる。
うーむ。分詞の変化は調べ方自体が分かりにくいなぁ。
分詞については、このサイトが分かりやすいです(http://classicalgreek.web.fc2.com/greek1332/poz15.3.html)。

意味としては εἰδότες は「知っているので」とか「知っているのに」などですね。
μεῖζον κρίμα  「より大きな裁きを」
λημψόμεθα 「(我々は)受けるだろう」

訳としては
「多くのものが教師になるな、私の兄弟たちよ、私たち(教師)がより大きな裁きを受けることを知っているのだから」
という感じですね。

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ハナ・アーレント『全体主義の起原 3』を読んだ

「全体主義の起原 3」から読み始めました。「1」「2」は後回し。

まだザックリと読んだだけですが、うーむ。どうも煙に巻かれた気分になる本です。
『全体主義という現象はその要素や起源からはあまり説明がつかない』(p270)と書いてますしね。まぁそのままの印象です。

専制と全体主義が往々にして混同されているので、本書はこの違いを論じているところが多い。
でも終盤になってモンテスキューが君主制、共和制、専制の特徴を論じたものを引いて、モンテスキュー的な表現で全体主義を表現しようとしているのだが、あんまり成功してない。そのためか後半になって全体主義の輪郭が曖昧になってゆく印象があります。

間違っているかも知れませんが、乱暴に要約すると、全体主義が台頭してきた時代の意識は次のようなものだったようです。
それまで人々は自分の属する階級に組み込まれ、利害関係はその階級を代表する政党によって調整されていた。
しかし階級社会が崩壊して、根無し草的な『大衆』となった人々は、政治的にはどの政党にも組み込まれなくなった。
従来の政党やモラルは偽善的であると見られるようになっていた。
そのような時代に、全体主義のプロパガンダは魅力的に見えたのだ。
世論が触れたがらないことを敢えてアジテーションに盛り込んで、差別的で暴力的なアピールをする姿は、従来の偽善的なモラルに拘束されない力強さの表現となった。
だが、そのプロパガンダの内容は荒唐無稽な陰謀説の類である。
それでも彼らは、政府が否定し隠し立てするものは真実であるに違いないと信じてしまった。

虚構を信じ込んでしまう人々だけではない、虚構であると「見抜いた」人々はその「嘘」の裏に戦略を感じとりさらに指導者を信頼した。
こうして「見え透いた嘘」が信頼されてゆく。
このあたりの全体主義の初期プロパガンダに流される人々の心理の考察は面白かった。

全体主義が実権を握るとまた事態が一変する。
プロパガンダは必要なくなる。かわりに暴力によって支配できるからだ。
あっという間に「敵」は一掃される。
しかし、そこから全体主義の支配の本質が現れてくる。
すでに敵は存在しないにも関わらず、「敵」として人々は告発され、実際には何の罪も犯していないのに次々粛清されてゆく。
いや、初めから「敵」とされ殺された人々もとくに罪を犯したわけではない。
初めから全部虚構なのである。
全体主義が続くかぎり「敵」との闘いは続く。
ひょっこりと自分が「敵」にされたりする。全体主義が続く限りはそのような抹殺が続くのだ。

これにブレーキが掛けられないのは全体主義において「意見」が排除されるためである。
これは「見え透いた嘘」を信頼すること、その絶対的な信頼のために「意見」が排され、指導に従ってただ行動するように組織された結果である。
このシンパの組織の仕方などの考察も面白かった。

終盤のまとまりがないような気がしてモヤモヤ感は残ったけど、全体的には面白い考察が読める本だなとこうしてメモをとってると思えてきました。

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