« ヤコブ 2:11 たとい姦淫はしなくても | トップページ | 音楽聴いて慣れるのもいいか 6 »

ヤコブ 2:12 自由の律法

οὕτως λαλεῖτε καὶ οὕτως ποιεῖτε ὡς διὰ νόμου ἐλευθερίας μέλλοντες κρίνεσθαι.

(口語訳) だから、自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、かつ行いなさい。

οὕτως /οὕτω (こうして、このように) 副詞
λαλεῖτε /λαλέω (語る) 動詞 現在能動命令 二人称複数
καὶ /καί (そして) 接続詞
οὕτως /οὕτω (こうして、このように) 副詞
ποιεῖτε /ποιέω (行う) 動詞 現在能動命令 二人称複数
ὡς /ὡς (~のように) 副詞
διὰ /διά (~によって) 前置詞
νόμου /νόμος (律法) 名詞 所有格属格単数男性
ἐλευθερίας /ἐλευθερία (自由) 名詞 所有格属格単数男性
μέλλοντες /μέλλω (まさに~しようとする) 動詞 現在能動分詞 主格複数男性
κρίνεσθαι /κρίνω (裁く) 動詞 現在受動不定詞


訳としては
「自由の律法を通してまさに裁かれんとする者として、そのように語り、そのように行いなさい」
という感じでしょうか。

口語訳だと「さばかるべき」という風に「べき」と訳してますね。
うーむ。そういう意味なのでしょうか。
裁かれるべきかどうかと言っても、ヤコブさんとしてはみんな裁かれるに決まっているのであって、裁かれない者が他にいるかのような意味で特別に「さばかるべき者」というわけではないような。
「μέλλω まさに~しようとする」そのままの意味で解していいような気がします。
今はまだ終末は来ていないけど、今まさに裁かれんとしている者のように振るまえということでしょう。

この書簡は後半調子が上がってくると、ヤコブの論調は、今まさに神が裁きを下しているようなトーンになってきます。

あと、なぜここで「自由の律法」と言ったのかですね。
裁かれる話をしている時に、まさに「自由」であるというのだから、結構逆説的です。
まぁたぶん、相手にとって自由ということが重要であったということかなと思います。そしてそれは自分にとっても重要であるのでここで神による裁きというものが自由を本当に実現するものであると確認したかったのかも。
何か厳格な…重荷になるようなものではなく、現実の世の中の様々な不自由を取り除いて解放してくれるようなものなのだと。
まぁ、律法が実際そういう存在であるかどうかはともかくとしても。
たぶん、与えられた律法によって裁かれることによって、神の裁きに与るという感じのニュアンスなのかなと。
裁かれるという認識によって、神が神として現れるときに備えているという感じか。
ヤコブ 2:1で「我らの主イエス・キリストの栄光」と祈っている様子が描かれますが、つまり、キリストが栄光をもって現れる瞬間というのは、つまり終末の裁きの到来を意味するのでしょう。そのように祈るのならば、終末の裁きの前にあるか者として振る舞っているべきだと。
その裁きによって自由を得ることができるのは、つまり「隣人を愛する」という律法を通してなのだ、ということでしょうかね。
この補足説明が、次の「あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される」という説明につながってくのかな。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

|

« ヤコブ 2:11 たとい姦淫はしなくても | トップページ | 音楽聴いて慣れるのもいいか 6 »

新約聖書 ヤコブの手紙 ギリシャ語」カテゴリの記事

ヤコブの手紙 2:10-20」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ヤコブ 2:12 自由の律法:

« ヤコブ 2:11 たとい姦淫はしなくても | トップページ | 音楽聴いて慣れるのもいいか 6 »