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使徒行伝16:16-18 パウロはたまりかねて振り向き

(使徒行伝16:16-18)について予習。

「祈りの場 προσευχὴν」は前回も出た語ですが、いまひとつピンと来ないです。
「祈祷」と訳しておいてもいいような。
「祈祷」があると思って川辺に行って、そこに女性たちが集まっていてパウロたちは話をした。
「祈祷」に行くと、占い師の女奴隷に会ったと…訳せばそれでいいような気もします。
「祈りの場」というと何か施設があるみたいですが、川辺にそのまま座って話しているような感じですし。

新共同訳、口語訳で16:16は「祈りの場所に行く途中」と訳されていますが、どうして「途中」と訳せるのか分からないな。
祈りの場に到着してから女奴隷に会ったとは書いてないので、まぁ途中なのかなと思うけど。
「~へ行くと」とか「~へ出かけると」ぐらいの意味かなとは思いますが。
祈りの場に向かうと女奴隷に出くわしたという文脈だから、途中と訳しているのだろうか。

途中ということは、この女占い師は、祈りには参加してなかったということか。
それが道ばたでパウロに会ったからと言って、なぜ「いと高き神の僕」だと思うのでしょう。
占いの力でパウロがやっていることを見抜いたのだと言いたいのだろうか。
それならば、ちゃんと占いのパワーがあったけど、それを台無しにしてしまったという話なのでしょうかね。
占い師とはいえ道で会っただけで何か分かるわけもなかろう。
パウロがここで知りあった女に占いを辞めさせてトラブルになったのだけど、金儲けが目当ての連中は文句を言っても、その女占い師はパウロを「いと高き神の僕」と認めているんだよ、というだけ話だったのかも。占いで女が「いと高き神の僕だ」と言い当てた方が面白いのでこんな話になった感じがします。パウロは預言を重んじますが、こういう占ないは馬鹿にしそうな気がします。

イメージ的にはシモン(使徒 8:18-20)のエピソードと重なるのですけど、関係ないのかな。
訳してみると下記のような感じになりました。


16
Ἐγένετο δὲ πορευομένων ἡμῶν εἰς τὴν προσευχὴν
παιδίσκην τινὰ ἔχουσαν πνεῦμα πύθωνα ὑπαντῆσαι ἡμῖν,
ἥτις ἐργασίαν πολλὴν παρεῖχεν τοῖς κυρίοις αὐτῆς μαντευομένη.
また、このようなことがあった。祈りの場へ我々は行くと、
預言の霊をもつ女奴隷に会った。
彼女は占なって多くの利益を彼女の主人にもらたしていた。


17
αὕτη κατακολουθοῦσα [τῷ] Παύλῳ καὶ ἡμῖν ἔκραζεν λέγουσα·
οὗτοι οἱ ἄνθρωποι δοῦλοι τοῦ θεοῦ τοῦ ὑψίστου εἰσίν, οἵτινες καταγγέλλουσιν ὑμῖν ὁδὸν σωτηρίας.
彼女はパウロと我々についてきて叫んでまわった。
これらの人たちはいと高き神の僕であり、救いの道を宣べ伝えていると。


18
τοῦτο δὲ ἐποίει ἐπὶ πολλὰς ἡμέρας
διαπονηθεὶς δὲ Παῦλος καὶ ἐπιστρέψας τῷ πνεύματι
εἶπεν παραγγέλλω σοι ἐν ὀνόματι Ἰησοῦ Χριστοῦ ἐξελθεῖν ἀπ’ αὐτῆς·
καὶ ἐξῆλθεν αὐτῇ τῇ ὤρᾳ.
幾日も彼女はこうしてまわっていた。
パウロは苛立って、振り返って霊に言った。
イエス・キリストの名において彼女から出るように私は命ずる。
するとその時、出て行った。

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