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2010年4月

Agora

「AGORA」を観たいな。
ヒュパティアの物語のようなので、たぶんキリスト教は悪役じゃないかなと思いますが楽しみです。

聖書講座の予習をしていて気付いたんですが、(使徒 16:19)に「市が開かれる広場 ἀγορὰν」が出てきますね。
あぁアゴラってそういう意味なのか。予告編にはそれらしき広場の場面がいっぱいありますね。

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音楽聴いて慣れるのもいいか 5

Άννα Βίσση 「Αν θυμηθείς τ' όνειρό μου」
Anna Vissi 「An thimithis to oniro mou」

格好いい曲だなぁ。
たまらん。

Anna Vissi は凄いな。
この曲はビートルズもやってますね。The Honeymoon Song ですね。
そっちを聴くとゆるめの可愛い曲ですね。
元来はハネムーンの甘い感じの曲なのかなぁ。
アレンジがロック調だというだけでなくて、曲自体が鋭い部分を持っていてこのアレンジにした時にぐっと映えるように思えます。

原曲は Mikis Theodorakis とのこと。
おぉこの人はコスタ・ガブラスの「Z」の曲を書いた人ですね。
なんだか、やっと納得。

歌詞と対訳はこちらです。

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使徒行伝 16:11-15 祈り場があると思って

(使徒行伝16:11-15)について予習。
例によっていろいろ訳をカンニングしながら、biblos.comのパージングを参考に訳してみました。
一応、一度は他の訳は読まないで訳してみるのですが、できた訳文は途方もない誤訳の山だったりします。
…まだおかしいところもあるでしょうけど。
新共同訳と口語訳を見て、やっと「あぁそんなことを書いていたのか」と思ったりします。
カンニングしててもなお、なぜそのように訳されているのか良く分からないということは多々あります。
そこはちびちび続ければそのうち上手くもなるのかなと気長にやってます。


11
ἀναχθέντες δὲ ἀπὸ Τρῳάδος εὐθυδρομήσαμεν εἰς Σαμοθρᾴκην, τῇ δὲ ἐπιούσῃ εἰς Νέαν Πόλιν
我々はトロアスからも出航し、サモトラケ島へ直行し、また次にネアポリスへ。

12
κἀκεῖθεν εἰς Φιλίππους,
ἥτις ἐστὶν πρώτης τῆς μερίδος πρώτης τῆς μερίδος Μακεδονίας πόλις κολωνία.
ἦμεν δὲ ἐν ταύτῃ τῇ πόλει διατρίβοντες ἡμέρας τινάς.
そこでフィリピへ、
そこは主要な地方、マケドニアの街の主要な植民都市である。
我々はこの街に数日留まったのです。

13
τῇ τε ἡμέρᾳ τῶν σαββάτων
ἐξήλθομεν ἔξω τῆς πύλης παρὰ ποταμὸν οὗ ἐνομίζομεν προσευχὴν εἶναι
καὶ καθίσαντες ἐλαλοῦμεν ταῖς συνελθούσαις γυναιξίν.
安息の日に
門の外の川沿いを、(私は)祈りの場があると思って、我々は行った。
そうして座ってともに集まった女性に我々は語った。

14
καί τις γυνὴ ὀνόματι Λυδία πορφυρόπωλις πόλεως Θυατείρων σεβομένη τὸν θεὸν, ἤκουεν,
ἧς ὁ κύριος διήνοιξεν τὴν καρδίαν προσέχειν τοῖς λαλουμένοις ὑπὸ Παύλου.
そしてティアティラの市のリディアという名の紫売りで神を讃える或る女性が聞いていたが、
彼女の心を主が開き、パウロから語られたことを注意深く聴いている。

15 ὡς δὲ ἐβαπτίσθη καὶ ὁ οἶκος αὐτῆς παρεκάλεσεν λέγουσα·
εἰ κεκρίκατε με πιστὴν τῷ κυρίῳ εἶναι, εἰσελθόντες εἰς τὸν οἶκον μου μένετε·
καὶ παρεβιάσατο ἡμᾶς.
また彼女と彼女の家も洗礼を受けた時、彼女は言って促した。
もしあなたがたが彼女の信仰が主にあると判断するならば、私の家に来て泊まりなさいと。
そうして彼女は我々に強いた。

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聖書講座に行ってみた2

荒井献氏の聖書講座が中野桃園教会であったので行ってみました。
今回は二回目です。
第2回「デルベ、リュストラ、トロアスにて」(使徒行伝15:36-16:10)

「福音と世界」の「新約釈義 使徒行伝」のテキストに沿って講義されてます。
三冊分一気にやるのであちこち端折って駆け足気味の講義でした。
お話の内容は下記のような感じでした。


【一度目と二度目の宣教旅行の違い】
・パウロの一回目の宣教旅行
一回目の宣教旅行はバルナバの補佐であった。
行伝14章で、人々がバルナバを主神「ゼウス」と呼んだのに対し、パウロは「ヘルメス」と呼ばれたところにも勢力関係が現れている。
名前を挙げる時も「バルナバとパウロ」(14:14)の順番。
14:14でパウロらが「使徒」と呼ばれているが、これはルカの使徒観とは異なる。
ルカの使徒の条件は、生前のイエスの弟子であること、復活のキリストに出会っていること(行伝1:22-23)。これはルカの時代の「使徒」観であり、それ以前はもっと広い意味で用いられた。パウロも自称している。その後、12人に限られるようになり、一世紀以降パウロの使徒性が疑われた。
14:14は「伝承」がパウロらを「使徒」と呼んでおり、それをルカがそのまま残したのであろう。

途中から、サウロ(シャウール)⇒パウロと呼び名を変えているのは、おそらく旅行が地中海沿岸地域に入ったため、ギリシャ名で呼んでいるらしい。名前の変化と回心とは関係ない。


・パウロの二度目の宣教旅行
バルナバ(4章では土地を売って献金、パウロを捜してアンティアオキアへ連れて行った人物)と別れてゆくことになる。
マルコ(コロサイ 4:10によるとバルナバのいとこ)を宣教旅行に連れていくかどうかで対立した⇒この際、「激論」(15:39)にまで至ったのはなぜか。

・使徒行伝のなかで多くの学者が使徒会議が分水嶺になる重要な部分としているが、
最近の使徒行伝の注解書を書いたペルヴォは、二回目のパウロの伝道こそ重視されるべきだという説を唱えている。



【エルサレムの指導者との取り決め】
(ガラティア2章)
・アンティオキアの指導者にはギリシャ人(非ユダヤ人)への無割礼の宣教が認められた。
 エルサレム教会の指導者(ヤコブ、ペトロ、ヨハネ)はユダヤ教徒に対しての宣教であるので、割礼について問題はない。

・献金(経済的援助)すること。「貧しい人たちのことを忘れないように」という表現になっている。
 使徒教令については触れず。

(行伝15章)
・献金については沈黙している。
・使徒教令(偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように)

(ガラティア2章)と(行伝15章)の違いをどう説明するか。
ガラティア2:11の使徒会議後のアンティオキアでの会食の出来事の後に「使徒教令」は成立したのであろう。
ルカは、その決定を使徒会議の時点に決められたように引き上げて描いている。

⇒アンティオキアの会食での対立について、パウロはガラティアのなかでバルナバを偽善者呼ばわりしている。
このような対立が、二回目の宣教旅行で別れてしまうことの芽になっているのではないか。

真山氏の注解書では、ルカはバルナバとパウロの(イデオロギー的な)対立を個人的な対立にすり替えたと批判的。
荒井氏はすり替えたとは思わない。その対立は背景にはあったが、直接それが原因となって別れたわけではないだろう。

(ルカは描いていないが、マルコが宣教の途中で別れたのは異邦人伝道についての考え方に対立があったのではないか。
二回目の宣教にマルコを連れていかないとパウロが拒否したのは、その点に原因があるのではないか)

ルカはこの対立をイデオロギー的な面は斥けて伝えていない。
ルカは、パウロがユダヤ律法に忠実であると述べるが、これはパウロ自身とは異なる。


【二度目の宣教旅行】
・テモテの割礼(歴史的事実であるか)
パウロはユダヤ人をつまずかせないために柔軟に対応したのであろう。
テモテは母親がユダヤ教徒である。法的にユダヤ人であるのでパウロは割礼を授けた。

・二回目の宣教旅行の目的地が霊によって変更される。
パウロが病気に罹って目的地を変えたのではないかと合理的に説明されることが多い。
佐藤研氏は、アシア(エフェソ)だとバルナバに会う可能性があり、パウロはホントは会いたくなかったからでは、との新説を語っていたとのこと。

ソクラテスの伝承で、ソクラテスが歩いていてふと進む方向を変えたことについてのものがある。ある人が「なぜ進む方向を変えたのか」と尋ねると、ダイモニオンの声を聴いて進む方向を変えたと答えた。ダイモニオン(精霊)は神と人間を仲介する存在。
プルタルコス「英雄伝」にソクラテスの精霊について論じられているとのこと。
パウロの超常的な体験も否定されるほどのことではなく、パウロも超越的な存在から声を聴いたということはあるのではないか。パウロが自分の決定を絶対化せず、霊の声に聴き従うことで自己を相対化しているのではないかと。

・マケドニア人の霊は、これはルカであるとアイデンティファイしても良いのではないか。
ルカはフィリピの地理に詳しく、マケドニア人だったのではないかと。
スイス出身の学者の注解書で、この荒井氏の説を認める者もあったので「思いつきで言ってるのではないですよ」と。
当時、異邦人出身のユダヤ教徒が多かったことはヨセフス、フィロンにもある。
ルカはマケドニア出身の「神を畏れる異邦人」だったのでは、と。
ルカの記述はローマの官憲に甘い。ローマ官憲が結果として福音を守ったと描き、そこにパウロの宣教を入れ込んでいるために非常に護教論的である。
でも、ローマに対しても一定の距離をとっている。ローマに植民地とされたマケドニア人。

・16:10以降に「わたしたち」という主語が出てくる。
小川陽氏はこれは旅行記の断片伝承をルカがそのまま採用したとみている。これはディベリウス以来唱えられてきた説。
荒井氏は、(行伝1:1-4)で順序立てて語ろうとしている「わたし」と目撃者を区別していることなどからルカ自身の証言であるという説はとらない。
重要な場面に、真実性を持たせようとした文学的レトリックであると。

・荒井氏の父はこの行伝が好きで、中でもこの場面を好んでいたそうです。
「今、思いますと、父はルカのレトリックに引き込まれていたんです」と。
レトリックやフィクションといって切り捨てて考えるものではない。
歴史叙述というものは、対象となる人物の歴史と創作は切り離しえない。
創作のなかに著者にとっての真実がある。事実は、真実がなければ伝えられない。
しかし、歴史の事実性と真実性は区別されねばならない、とのこと...などでした。

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使徒行伝16:6-10 イエスの御霊がこれを許さなかった

(使徒行伝16:6-10)について予習。
biblos.comや、あちこち訳をカンニングしながら、こんな感じなのかなぁと訳してみました。
「彼は…」と「我々は…」という主語が一文のなかに混在しています
いや、違った。「我々は」のところは全部分詞ですね。普通に「彼らは」の主語でいいみたい。
基本的なところで間違うなぁ。

16:6
Διῆλθον δὲ τὴν Φρυγίαν καὶ Γαλατικὴν χώραν
κωλυθέντες ὑπὸ τοῦ ἁγίου πνεύματος λαλῆσαι τὸν λόγον ἐν τῇ Ἀσίᾳ·
さて、彼はフリギアとガラティア地方を通った。
我々はアシアで御言葉を語ることを聖霊に許されなかった。
(あぁ「許されず」は分詞だな。許されず…フリギアとガラティア地方を通ったという文脈になるのか)


16:7
ἐλθόντες δὲ κατὰ τὴν Μυσίαν ἐπείραζον εἰς τὴν Βιθυνίαν πορευθῆναι,
καὶ οὐκ εἴασεν αὐτοὺς τὸ πνεῦμα Ἰησοῦ·
我々はミシアのもとに来てビティニアに行こうと試みた。
するとイエスの霊が彼らを許さなかった。

16:8
παρελθόντες δὲ τὴν Μυσίαν κατέβησαν εἰς Τρῳάδα.
我々はミシアを通過し、(彼らは)トロアスに下った。


16:9
Καὶ ὅραμα διὰ νυκτὸς τῷ Παύλῳ ὤφθη,
ἀνὴρ Μακεδών τις ἦν ἑστὼς καὶ παρακαλῶν αὐτὸν καὶ λέγων·
διαβὰς εἰς Μακεδονίαν βοήθησον ἡμῖν.
すると夜パウロに幻が現れた。
あるマケドニア人が立って、来て懇願して言った。
マケドニアに渡って私たちを助けてください。

16:10
ὡς δὲ τὸ ὅραμα εἶδεν
εὐθέως ἐζητήσαμεν ἐξελθεῖν εἰς Μακεδονίαν
συμβιβάζοντες ὅτι προσκέκληται ἡμᾶς ὁ θεὸς εὐαγγελίσασθαι αὐτούς.
幻が(彼に)現れたので
我々はすぐにマケドニアに向かって求めて前進した。
神は彼らを福音宣教に呼んでいると結論した。


---
うーむ。難しいなぁ。
いろいろ訳を比べて見てもイマイチどうなってるのかわかんないところもある。

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使徒行伝16:1-5 ティモテという名の弟子

(使徒行伝16:1-5)について予習。

1 Κατήντησεν δὲ καὶ εἰς Δέρβην καὶ εἰς Λύστραν καὶ ἰδοὺ μαθητής τις ἦν ἐκεῖ ὀνόματι Τιμόθεος υἱὸς γυναῖκος Ἰουδαίας πιστῆς, πατρὸς δὲ Ἕλληνος,
2 ὃς ἐμαρτυρεῖτο ὑπὸ τῶν ἐν Λύστροις καὶ Ἰκονίῳ ἀδελφῶν.
3 τοῦτον ἠθέλησεν ὁ Παῦλος σὺν αὐτῷ ἐξελθεῖν, καὶ λαβὼν περιέτεμεν αὐτὸν διὰ τοὺς Ἰουδαίους τοὺς ὄντας ἐν τοῖς τόποις ἐκείνοις· ᾒδεισαν γὰρ ἅπαντες ὅτι Ἕλλην ὁ πατὴρ αὐτοῦ ὑπῆρχεν.
4 Ὡς δὲ διεπορεύοντο τὰς πόλεις, παρεδίδοσαν αὐτοῖς φυλάσσειν τὰ δόγματα τὰ κεκριμένα ὑπὸ τῶν ἀποστόλων καὶ πρεσβυτέρων τῶν ἐν Ἱεροσολύμοις.
5 Αἱ μὲν οὖν ἐκκλησίαι ἐστερεοῦντο τῇ πίστει καὶ ἐπερίσσευον τῷ ἀριθμῷ καθ’ ἡμέραν.


諸訳を参考に訳してみると下記のような感じになりました。

1 (彼は)デルベにもリストラにも行った。すると見よ、ユダヤ信徒の女とギリシャ人の父との子でティモテという名の弟子の者がそこにいた。
2 (彼は)リストラとイコニオンにいる兄弟たちに評判が良かった。
3 パウロは彼を連れてゆきたくて、その地域のユダヤ人たちのために彼に割礼を授けた。彼の父はギリシャ人であるとみんな知っていたからである。
4 そうして、彼らは町々を巡って、エルサレムで使徒たちと長老たちの裁定した規定を守るように彼らに渡した。
5 このようにして諸教会は信において強められ、日ごとに数において増えていった。


「デルベにもリストラにも」の「~にも καὶ εἰς 」という言い方がちょっと気になります。
当初の目的地がシリアとキリキアだったけど、さらに足を延ばしてリカオニアのデルベ、リストラにも行ったというニュアンスでしょうか。
前回はバルナバと一緒に訪れていますね。イコニオンで揉めて異邦人とユダヤ人とその指導者に追われて逃げてきてます(使徒 14:6 )

3節には、パウロがティモテに割礼を施したという報告がありますね。
パウロはユダヤ人といるときには律法を守り、ギリシャ人といるときには律法に固執しなかったようですので(1コリント 9:20)、柔軟に対応したのかもしれません。
ティモテの父がギリシャ人であるとみんなに知られていると、なぜ割礼を授けることにしたのか…今ひとつ分からないですね。割礼しないと連れだせないほど厳格な習慣を求められた地域であったならば、そもそもティモテが割礼を受けてなかった理由がよく分からなくなる。
ティモテを連れてユダヤ人コミュニティに入る時に無割礼だと宣教がやりにくいと思ったのか。でも、そんなことをいいだしたらエルサレムにテトスを連れていったのは一体何だったんだということになるし(ガラテヤ 2:1)。まぁ、この短い記載からそこの状況を推測するのは難しいな

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音楽聴いて慣れるのもいいか 4

μιχάλης χατζηγιάννης 「αν ήσουν μαζί μου」

ギリシャのポップスはかなり日本の歌謡曲に近い。
というか、ダサい。
でも、Michalis Xatzigiannis の曲はいい感じに格好良い。
たぶん向うのアイドルのような存在なのかなと。
この曲はコーラス部分が洋楽ロック風で良い。
歌詞と英語の対訳のサイトもありました(歌詞対訳)。


Άλκηστις Πρωτοψάλτη  「Όλα αυτά που Φοβάμαι 」

あんまり激しくはないのだけど、ロック調で良い。
じわじわ盛り上がる。
この映像ではいかつい感じですが、ほかは聴かせる曲ばかりなのでロックの人ではないみたい。
対訳はみつけられず。歌詞はありました(歌詞を掲載したサイト)。

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