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聖書講座に行ってみた2

荒井献氏の聖書講座が中野桃園教会であったので行ってみました。
今回は二回目です。
第2回「デルベ、リュストラ、トロアスにて」(使徒行伝15:36-16:10)

「福音と世界」の「新約釈義 使徒行伝」のテキストに沿って講義されてます。
三冊分一気にやるのであちこち端折って駆け足気味の講義でした。
お話の内容は下記のような感じでした。


【一度目と二度目の宣教旅行の違い】
・パウロの一回目の宣教旅行
一回目の宣教旅行はバルナバの補佐であった。
行伝14章で、人々がバルナバを主神「ゼウス」と呼んだのに対し、パウロは「ヘルメス」と呼ばれたところにも勢力関係が現れている。
名前を挙げる時も「バルナバとパウロ」(14:14)の順番。
14:14でパウロらが「使徒」と呼ばれているが、これはルカの使徒観とは異なる。
ルカの使徒の条件は、生前のイエスの弟子であること、復活のキリストに出会っていること(行伝1:22-23)。これはルカの時代の「使徒」観であり、それ以前はもっと広い意味で用いられた。パウロも自称している。その後、12人に限られるようになり、一世紀以降パウロの使徒性が疑われた。
14:14は「伝承」がパウロらを「使徒」と呼んでおり、それをルカがそのまま残したのであろう。

途中から、サウロ(シャウール)⇒パウロと呼び名を変えているのは、おそらく旅行が地中海沿岸地域に入ったため、ギリシャ名で呼んでいるらしい。名前の変化と回心とは関係ない。


・パウロの二度目の宣教旅行
バルナバ(4章では土地を売って献金、パウロを捜してアンティアオキアへ連れて行った人物)と別れてゆくことになる。
マルコ(コロサイ 4:10によるとバルナバのいとこ)を宣教旅行に連れていくかどうかで対立した⇒この際、「激論」(15:39)にまで至ったのはなぜか。

・使徒行伝のなかで多くの学者が使徒会議が分水嶺になる重要な部分としているが、
最近の使徒行伝の注解書を書いたペルヴォは、二回目のパウロの伝道こそ重視されるべきだという説を唱えている。



【エルサレムの指導者との取り決め】
(ガラティア2章)
・アンティオキアの指導者にはギリシャ人(非ユダヤ人)への無割礼の宣教が認められた。
 エルサレム教会の指導者(ヤコブ、ペトロ、ヨハネ)はユダヤ教徒に対しての宣教であるので、割礼について問題はない。

・献金(経済的援助)すること。「貧しい人たちのことを忘れないように」という表現になっている。
 使徒教令については触れず。

(行伝15章)
・献金については沈黙している。
・使徒教令(偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように)

(ガラティア2章)と(行伝15章)の違いをどう説明するか。
ガラティア2:11の使徒会議後のアンティオキアでの会食の出来事の後に「使徒教令」は成立したのであろう。
ルカは、その決定を使徒会議の時点に決められたように引き上げて描いている。

⇒アンティオキアの会食での対立について、パウロはガラティアのなかでバルナバを偽善者呼ばわりしている。
このような対立が、二回目の宣教旅行で別れてしまうことの芽になっているのではないか。

真山氏の注解書では、ルカはバルナバとパウロの(イデオロギー的な)対立を個人的な対立にすり替えたと批判的。
荒井氏はすり替えたとは思わない。その対立は背景にはあったが、直接それが原因となって別れたわけではないだろう。

(ルカは描いていないが、マルコが宣教の途中で別れたのは異邦人伝道についての考え方に対立があったのではないか。
二回目の宣教にマルコを連れていかないとパウロが拒否したのは、その点に原因があるのではないか)

ルカはこの対立をイデオロギー的な面は斥けて伝えていない。
ルカは、パウロがユダヤ律法に忠実であると述べるが、これはパウロ自身とは異なる。


【二度目の宣教旅行】
・テモテの割礼(歴史的事実であるか)
パウロはユダヤ人をつまずかせないために柔軟に対応したのであろう。
テモテは母親がユダヤ教徒である。法的にユダヤ人であるのでパウロは割礼を授けた。

・二回目の宣教旅行の目的地が霊によって変更される。
パウロが病気に罹って目的地を変えたのではないかと合理的に説明されることが多い。
佐藤研氏は、アシア(エフェソ)だとバルナバに会う可能性があり、パウロはホントは会いたくなかったからでは、との新説を語っていたとのこと。

ソクラテスの伝承で、ソクラテスが歩いていてふと進む方向を変えたことについてのものがある。ある人が「なぜ進む方向を変えたのか」と尋ねると、ダイモニオンの声を聴いて進む方向を変えたと答えた。ダイモニオン(精霊)は神と人間を仲介する存在。
プルタルコス「英雄伝」にソクラテスの精霊について論じられているとのこと。
パウロの超常的な体験も否定されるほどのことではなく、パウロも超越的な存在から声を聴いたということはあるのではないか。パウロが自分の決定を絶対化せず、霊の声に聴き従うことで自己を相対化しているのではないかと。

・マケドニア人の霊は、これはルカであるとアイデンティファイしても良いのではないか。
ルカはフィリピの地理に詳しく、マケドニア人だったのではないかと。
スイス出身の学者の注解書で、この荒井氏の説を認める者もあったので「思いつきで言ってるのではないですよ」と。
当時、異邦人出身のユダヤ教徒が多かったことはヨセフス、フィロンにもある。
ルカはマケドニア出身の「神を畏れる異邦人」だったのでは、と。
ルカの記述はローマの官憲に甘い。ローマ官憲が結果として福音を守ったと描き、そこにパウロの宣教を入れ込んでいるために非常に護教論的である。
でも、ローマに対しても一定の距離をとっている。ローマに植民地とされたマケドニア人。

・16:10以降に「わたしたち」という主語が出てくる。
小川陽氏はこれは旅行記の断片伝承をルカがそのまま採用したとみている。これはディベリウス以来唱えられてきた説。
荒井氏は、(行伝1:1-4)で順序立てて語ろうとしている「わたし」と目撃者を区別していることなどからルカ自身の証言であるという説はとらない。
重要な場面に、真実性を持たせようとした文学的レトリックであると。

・荒井氏の父はこの行伝が好きで、中でもこの場面を好んでいたそうです。
「今、思いますと、父はルカのレトリックに引き込まれていたんです」と。
レトリックやフィクションといって切り捨てて考えるものではない。
歴史叙述というものは、対象となる人物の歴史と創作は切り離しえない。
創作のなかに著者にとっての真実がある。事実は、真実がなければ伝えられない。
しかし、歴史の事実性と真実性は区別されねばならない、とのこと...などでした。

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