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使徒行伝 16:11-15 祈り場があると思って

(使徒行伝16:11-15)について予習。
例によっていろいろ訳をカンニングしながら、biblos.comのパージングを参考に訳してみました。
一応、一度は他の訳は読まないで訳してみるのですが、できた訳文は途方もない誤訳の山だったりします。
…まだおかしいところもあるでしょうけど。
新共同訳と口語訳を見て、やっと「あぁそんなことを書いていたのか」と思ったりします。
カンニングしててもなお、なぜそのように訳されているのか良く分からないということは多々あります。
そこはちびちび続ければそのうち上手くもなるのかなと気長にやってます。


11
ἀναχθέντες δὲ ἀπὸ Τρῳάδος εὐθυδρομήσαμεν εἰς Σαμοθρᾴκην, τῇ δὲ ἐπιούσῃ εἰς Νέαν Πόλιν
我々はトロアスからも出航し、サモトラケ島へ直行し、また次にネアポリスへ。

12
κἀκεῖθεν εἰς Φιλίππους,
ἥτις ἐστὶν πρώτης τῆς μερίδος πρώτης τῆς μερίδος Μακεδονίας πόλις κολωνία.
ἦμεν δὲ ἐν ταύτῃ τῇ πόλει διατρίβοντες ἡμέρας τινάς.
そこでフィリピへ、
そこは主要な地方、マケドニアの街の主要な植民都市である。
我々はこの街に数日留まったのです。

13
τῇ τε ἡμέρᾳ τῶν σαββάτων
ἐξήλθομεν ἔξω τῆς πύλης παρὰ ποταμὸν οὗ ἐνομίζομεν προσευχὴν εἶναι
καὶ καθίσαντες ἐλαλοῦμεν ταῖς συνελθούσαις γυναιξίν.
安息の日に
門の外の川沿いを、(私は)祈りの場があると思って、我々は行った。
そうして座ってともに集まった女性に我々は語った。

14
καί τις γυνὴ ὀνόματι Λυδία πορφυρόπωλις πόλεως Θυατείρων σεβομένη τὸν θεὸν, ἤκουεν,
ἧς ὁ κύριος διήνοιξεν τὴν καρδίαν προσέχειν τοῖς λαλουμένοις ὑπὸ Παύλου.
そしてティアティラの市のリディアという名の紫売りで神を讃える或る女性が聞いていたが、
彼女の心を主が開き、パウロから語られたことを注意深く聴いている。

15 ὡς δὲ ἐβαπτίσθη καὶ ὁ οἶκος αὐτῆς παρεκάλεσεν λέγουσα·
εἰ κεκρίκατε με πιστὴν τῷ κυρίῳ εἶναι, εἰσελθόντες εἰς τὸν οἶκον μου μένετε·
καὶ παρεβιάσατο ἡμᾶς.
また彼女と彼女の家も洗礼を受けた時、彼女は言って促した。
もしあなたがたが彼女の信仰が主にあると判断するならば、私の家に来て泊まりなさいと。
そうして彼女は我々に強いた。

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