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聖書講座に行ってみた

荒井献氏の聖書講座が中野桃園教会であったので行ってみました。
パウロの第二伝道旅行 (使徒行伝15:36-41) についての釈義。

全部で10回あるみたい。今回は一回目。
使徒行伝とパウロ書簡との関係を中心に語られてました。
使徒行伝の使徒会議あたりの記載を史的に検証する話なので、面白かったです。
お話の内容は下記のような感じでした。

・荒井氏は八木誠一氏と同級生。
二人の研究スタイルは随分違ったものであるとのこと。八木氏は思想的なアプローチ、荒井氏は歴史批判的アプローチだったとのこと。

・新共同訳では「使徒言行録」という名前になっているが、口語訳の「使徒行伝」の方が適訳とのこと。
当時行伝文学というものがあり、その文学のひとつとして書かれたものなので、それと分かる呼称の方がよいでしょうと。

・キリスト教の成立は、多元的・複眼的に発生した現象である。
使徒行伝に書かれているようにエルサレム中心に発展したものではなく、これはルカのエルサレム中心主義のあらわれ。

・原始キリスト教には(聖餐・洗礼についても)多様性があった。
ヘレニスタイとヘブライ教会は、行伝の2、4章にある原始共産制での分配の問題で対立しただけでなく、思想的な対立があった。
原始教会の対立点として、エルサレムの神殿を礼拝の対象とするかや、律法を遵守のあり方について見解の違いがあった。
ステファノらが迫害され、散っていった人々がアンティオキアに定着した⇒このようなヘレニスタイ教会をサウロが迫害した。
パウロにとって教会は、はじめからヘレニストに開かれたものとしてあった。
狭い意味でのキリスト教は、アンティオキア教会が母体となっている。
当時はまだユダヤ教の1セクトとして存在していた。ユダヤ教には多様性がある。

・現代のユダヤ教にも多様性がある。イスラエルの政策を批判するラビもいる。
彼らは政府がパレスチナ人をホロコーストしていると批判している。

・80年頃にパウロの足跡をたどる研究旅行で行かれたが、タルソで荒井氏は目が見えなくなってしまったそうです。
網膜剥離で日本へ戻られて6カ月入院。医者からは治らないと言われたが途中で治ったそうです。
批判的・歴史的研究なんて言っているからパウロにたたられたのではないかと、もう一度回心しなければならないのでは、と笑いながら話されていた。目は治ったのですが、批判的歴史的研究の方は治ってません、と。
当時、使徒行伝の注解などで文献研究で目を酷使していたそうです。

・パウロの一回目の伝道旅行は、あくまでバルナバの補佐。
この旅行のなかでサウロからパウロに名前を変えている。

・行伝11:27 飢饉の援助のためのエルサレム訪問について、これを歴史的事実ではないとのこと。
飢饉の援助のための一回目のエルサレム訪問は事実ではなく、二回目の訪問である使徒会議の際にパウロは参加しておらず、しかしバルナバと援助を持っていったのは事実だろう、とのこと(…ここの説明は分かりにくかったです)。
飢饉が起こった年代と、援助に訪問した時期が合わず、年代の決定が難しい。

・佐竹説では2回目のエルサレム訪問をフィクションとみなしている。
佐竹氏はエルサレムへの援助訪問の後に、一回目の伝道旅行に出たと見ている。
荒井氏は、一回目の伝道旅行後にエルサレム訪問と考えている…など。

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