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2010年3月

使徒行伝15:36-41 シリアとキリキア

(使徒行伝15:36-41)について予習。

ひとまずギリシャ語で聴いてみて、声に出して読んでみる。
15:36の「ἐπιστρέψαντες 戻る」 と「ἐπισκεψώμεθα 訪ねる」は読みにくい。読めない単語からチョコチョコ調べてみる。

「連れていく」という語は「συμπαραλαβεῖν  (アオリスト)」「συμπαραλαμβάνειν (現在)」と「παραλαβόντα (分詞)」が出てきます。
「συμπαραλαμβάνω 連れていく」が元の形。
「σύν (~とともに) + παρά (~に沿って) + λαμβάνω (~取る)」に分解できるようです。

(使徒行伝15:36-41) 音声は例によってGREEKLATINAUDIO.COM から勝手に拝借

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諸訳をカンニングしながら訳してみると下記のような感じになりました。

36 Μετὰ δέ τινας ἡμέρας εἶπεν πρὸς Βαρναβᾶν Παῦλος·
ἐπιστρέψαντες δὴ ἐπισκεψώμεθα τοὺς ἀδελφοὺς κατὰ πόλιν πᾶσαν ἐν αἷς κατηγγείλαμεν τὸν λόγον τοῦ κυρίου πῶς ἔχουσιν.
数日の後、バルナバに対してパウロは言った。
戻って(私が)主の言葉を宣べ伝えたすべての町の兄弟たちをどうしているか訪ねないか。

37 Βαρναβᾶς δὲ ἐβούλετο συμπαραλαβεῖν καὶ τὸν Ἰωάννην τὸν καλούμενον Μᾶρκον·
バルナバはマルコというヨハネも連れたいと望んでいた。

38 Παῦλος δὲ ἠξίου, τὸν ἀποστάντα ἀπ’ αὐτῶν ἀπὸ Παμφυλίας καὶ μὴ συνελθόντα αὐτοῖς εἰς τὸ ἔργον μὴ συμπαραλαμβάνειν τοῦτον.
しかしパウロは思った。パンフィリアから彼らから離れ、そして彼らの業について来なかった者は、連れて行かないと。

39 ἐγένετο δὲ παροξυσμὸς ὥστε ἀποχωρισθῆναι αὐτοὺς ἀπ’ ἀλλήλων, τόν τε Βαρναβᾶν παραλαβόντα τὸν Μᾶρκον ἐκπλεῦσαι εἰς Κύπρον,
怒りが生じて、彼らは互いに別れ、そしてバルナバはマルコを連れてキプロスへ出向し、

40 Παῦλος δὲ ἐπιλεξάμενος Σιλᾶν ἐξῆλθεν παραδοθεὶς τῇ χάριτι τοῦ κυρίου ὑπὸ τῶν ἀδελφῶν.
パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みに引き渡されて発った。

41 διήρχετο δὲ τὴν Συρίαν καὶ [τὴν] Κιλικίαν ἐπιστηρίζων τὰς ἐκκλησίας.
彼らはシリアとキリキアを通って(彼は)諸教会を力づけた。

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気になるのは(15:36)で、「κατηγγείλαμεν 宣べ伝えた」が単数であること。
単数なので「わたしが宣べ伝えた」ところに一緒に行きましょうと言っているようです。

バルナバと一緒に宣教して回ったところに行きましょうと言っているのではないのかな。
(一人称複数の間違いでした⇒なので「私たちが宣べ伝えた」で合ってるな)

地名でポイントになるのは「キリキア」です。

パウロの一回目の宣教旅行は、バルナバと一緒に行っています。
キプロス島からペルゲ⇒ピシディアのアンティオキア、イオニコン、リストラ、デルベを回ります。
この一回目の宣教旅行にキリキアは入っていない。

一回目の宣教旅行までのパウロの足跡は、資料からすると下記のようなものです。
パウロは回心後、3年経ってからエルサレムへペテロをたずねます。その後、シリアおよびキリキアへ行ったとあります(ガラテヤ 1:21)。
それから14年経ってからバルナバと一緒にエルサレムに上ります(飢饉の援助 ガラテヤ 2:1-2、使徒 11:27-30)。
使徒行伝によるとバルナバがタルソス(キリキア)にいるサウロ(パウロ)を捜しに来てアンティオキアへ連れてゆき、そこで1年過ごした頃に飢饉の援助に行ったとあります。
その後に一回目の宣教旅行に行くわけです。
パウロはアンティオキアに来るまでのかなり長い期間、シリア・キリキアにいた可能性が高いわけです。

ここで使徒会議の決議の手紙を見てみます。

 (使徒 15:23-24 抜粋)
 使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。
 聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、
 いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。

この手紙では、アンティオキアだけでなくシリア、キリキアにもユダヤ主義的な信徒が来ていて騒ぎになったことが前提されています。
もしこのような手紙をパウロが受け取ったのならば、パウロはシリア・キリキアの教会を訪ねて行って堂々とエルサレムから承認を受けているのだと言いに行きたかったのではないでしょうか。
(使徒会議にパウロが参加していなかったという説がありますが、参加していなかったとしてもパウロが様子を見に行きたいと考えるのはシリア・キリキアであることに変わりはないかも)

もしそうであるならば、第二宣教旅行のシリアとキリキアはパウロにとって元来の訪問先だったのではないでしょうか。
だから「わたしが宣教して回ったすべての町に行かないか」とバルナバを(シリア・キリキア行きに)誘ったのかなと。
バルナバと喧嘩別れしてしまったからキプロス島へ行かなかったのではないのかも…などと思いました。

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聖書講座に行ってみた

荒井献氏の聖書講座が中野桃園教会であったので行ってみました。
パウロの第二伝道旅行 (使徒行伝15:36-41) についての釈義。

全部で10回あるみたい。今回は一回目。
使徒行伝とパウロ書簡との関係を中心に語られてました。
使徒行伝の使徒会議あたりの記載を史的に検証する話なので、面白かったです。
お話の内容は下記のような感じでした。

・荒井氏は八木誠一氏と同級生。
二人の研究スタイルは随分違ったものであるとのこと。八木氏は思想的なアプローチ、荒井氏は歴史批判的アプローチだったとのこと。

・新共同訳では「使徒言行録」という名前になっているが、口語訳の「使徒行伝」の方が適訳とのこと。
当時行伝文学というものがあり、その文学のひとつとして書かれたものなので、それと分かる呼称の方がよいでしょうと。

・キリスト教の成立は、多元的・複眼的に発生した現象である。
使徒行伝に書かれているようにエルサレム中心に発展したものではなく、これはルカのエルサレム中心主義のあらわれ。

・原始キリスト教には(聖餐・洗礼についても)多様性があった。
ヘレニスタイとヘブライ教会は、行伝の2、4章にある原始共産制での分配の問題で対立しただけでなく、思想的な対立があった。
原始教会の対立点として、エルサレムの神殿を礼拝の対象とするかや、律法を遵守のあり方について見解の違いがあった。
ステファノらが迫害され、散っていった人々がアンティオキアに定着した⇒このようなヘレニスタイ教会をサウロが迫害した。
パウロにとって教会は、はじめからヘレニストに開かれたものとしてあった。
狭い意味でのキリスト教は、アンティオキア教会が母体となっている。
当時はまだユダヤ教の1セクトとして存在していた。ユダヤ教には多様性がある。

・現代のユダヤ教にも多様性がある。イスラエルの政策を批判するラビもいる。
彼らは政府がパレスチナ人をホロコーストしていると批判している。

・80年頃にパウロの足跡をたどる研究旅行で行かれたが、タルソで荒井氏は目が見えなくなってしまったそうです。
網膜剥離で日本へ戻られて6カ月入院。医者からは治らないと言われたが途中で治ったそうです。
批判的・歴史的研究なんて言っているからパウロにたたられたのではないかと、もう一度回心しなければならないのでは、と笑いながら話されていた。目は治ったのですが、批判的歴史的研究の方は治ってません、と。
当時、使徒行伝の注解などで文献研究で目を酷使していたそうです。

・パウロの一回目の伝道旅行は、あくまでバルナバの補佐。
この旅行のなかでサウロからパウロに名前を変えている。

・行伝11:27 飢饉の援助のためのエルサレム訪問について、これを歴史的事実ではないとのこと。
飢饉の援助のための一回目のエルサレム訪問は事実ではなく、二回目の訪問である使徒会議の際にパウロは参加しておらず、しかしバルナバと援助を持っていったのは事実だろう、とのこと(…ここの説明は分かりにくかったです)。
飢饉が起こった年代と、援助に訪問した時期が合わず、年代の決定が難しい。

・佐竹説では2回目のエルサレム訪問をフィクションとみなしている。
佐竹氏はエルサレムへの援助訪問の後に、一回目の伝道旅行に出たと見ている。
荒井氏は、一回目の伝道旅行後にエルサレム訪問と考えている…など。

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こちらは楽しい映像。
凄い波だなぁと。観るたびに感動します。


こちらは津波。恐ろしすぎる。
これが来たら逃げ切れず死んでしまうなぁ。
高いところ、建物の上の階などに逃げないといかんというのは、なるほどです。

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ヤコブ 2:6 あなたがたは貧しい人をはずかしめたのである

ὑμεῖς δὲ ἠτιμάσατε τὸν πτωχόν. οὐχ οἱ πλούσιοι καταδυναστεύουσιν ὑμῶν καὶ αὐτοὶ ἕλκουσιν ὑμᾶς εἰς κριτήρια;

(口語訳)しかるに、あなたがたは貧しい人をはずかしめたのである。あなたがたをしいたげ、裁判所に引きずり込むのは、富んでいる者たちではないか。

ὑμεῖς /ὑμεῖς (あなたたち) 人称代名詞 - 二人称 主格複数
δὲ /δὲ (しかし) 接続詞
ἠτιμάσατε /ἀτιμάζω (屈辱を与える) 動詞 - アオリスト 能動 直接法 - 二人称
τὸν / (冠詞) 定冠詞 - 対格単数男性
πτωχόν /πτωχός (貧しい人) 形容詞 - 対格単数男性
οὐχ /οὐ (~ない) 分詞 - 主格
οἱ / (冠詞) 定冠詞 - 主格複数男性 πλούσιοι /πλούσιος (富んだ人たち) 形容詞 - 主格複数男性
καταδυναστεύουσιν /καταδυναστεύω (虐げる) 動詞 - 現在 能動直接法 - 三人称
ὑμῶν /ὑμεῖς (あなたたち) 人称代名詞 - 二人称 所有格・属格 複数
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
αὐτοὶ /αὐτός (代名詞強調) 人称代名詞 - 主格複数男性
ἕλκουσιν /ἕλκω (引きずる) 動詞 - 現在能動直接法 - 三人称
ὑμᾶς /ὑμεῖς (あなたがた) 人称代名詞 - 二人称対格複数
εἰς /εἰς (~に) 前置詞
κριτήρια /κριτήριον (裁判所) 名詞 - 対格複数中性

「しかし、あなたたちは貧しい人を辱めた。
富んだ人たちはあなたたちを虐げ、彼らこそあなたたちを裁判所に引きずっていくのではないか」
という感じの訳でしょうか。

ἠτιμάσατε (あなたがたは辱めた)という語は、ἀτιμάζω が元の形。
ε-ἀτιμά-σα-τε に分解して考えればいいのかな。
ε-ἀ のところはアオリストの加音で

ἠ に変化してる。

ε の加音と σα のところでアオリスト直接法と判断できるのか。
τε は二人称の人称語尾だ。
「あなたがたは辱めた」とこの動詞だけで分かるわけです。

でも、ὑμεῖς (あなたたちは)とわざわざ主語の代名詞を入れて書いているので、「あなたがた」の部分をちょっと強調しているのか。
譬えというより、事実あなたたちは貧しい人を辱めたんだ、と言ってる感じ。

καταδυναστεύουσιν (虐げる) は、70人訳で社会的弱者を虐げる金持ちを告発する文脈で用いられている語だそうです(辻学著「ヤコブの手紙」p115)。

善人が金持ちになるならば、こういう批判は生じないのでしょうけど。
また、豊かになることで人間性が良くなるならば、こういう批判はないでしょう。
経済というものは、それ固有の法則に従っていて、宗教家が期待するような因果応報、道徳的に優れた人が経済的に報われるというものではない。
…まぁ豊かな者がより豊かになり、貧しい者の権利は往々にして踏み倒されるものです。
また、性善説で考えるならば、より豊かになり、自由が多くなれば、本来の人間の善性が引き出されるはずなんですが、実際は金持ちになったからと言って善人になるわけではない。


旧約の中には、こういう金持ちへの批判は多くあります。
とは言っても、全部が全部、弱者の視点に立っているという感じもないのですが。
貧乏人だったら弱者の視点に立てるかと言うと、そういうものでもない気もします。
「貧乏人だから貧乏人の考え方をするんだ」と思っている人は、弱者の視点に立つことはそれ自体が屈辱だと感じるのではないかと思います。
自分の惨めさを認めないために弱者を馬鹿にして、そういう風に馬鹿に出来る自分は立派なのだと思い込もうとしそうです。

うーむ。単に貧しい人が蔑まれているところを見ただけで、それを批判して手紙をディアスポラの人々に送ろうと思うかというと…どうでしょう。
貧しい人が虐げられるなかに自分の問題を感じてないと、なかなかこのような手紙は書けない気がします。
うまくは説明できませんが、…ヤコブさんはパウロ主義的な人々を批判しながら、同時に彼らと決別することは避けたいと願っているのではないかと思うわけです。
ヤコブさんの危機感は、一方にはパウロ主義的な律法無視に対するものですが、もう一方で律法厳守を言いつのる人々を煙たく思うところから来ていたのではないかなと。
それが文字のどこかに現れているわけでもないのですが、…いや「自由の律法」なんかどうでしょう。
ヤコブさんにとっては律法は自由をもたらすものであるべきなのであって、それが教会内の対立の激化によって…律法を重んじる空気が強くなりすぎて…失われそうになっていると感じていたのかも。だから争いは抑えたい。
そうして、パウロ神学を批判しつつ、ユダヤ人には「自由の律法」を呼びかけているのなかと。
穏健派の批判と言うのはそういうものかなと。

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