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ヤコブ 2:6 あなたがたは貧しい人をはずかしめたのである

ὑμεῖς δὲ ἠτιμάσατε τὸν πτωχόν. οὐχ οἱ πλούσιοι καταδυναστεύουσιν ὑμῶν καὶ αὐτοὶ ἕλκουσιν ὑμᾶς εἰς κριτήρια;

(口語訳)しかるに、あなたがたは貧しい人をはずかしめたのである。あなたがたをしいたげ、裁判所に引きずり込むのは、富んでいる者たちではないか。

ὑμεῖς /ὑμεῖς (あなたたち) 人称代名詞 - 二人称 主格複数
δὲ /δὲ (しかし) 接続詞
ἠτιμάσατε /ἀτιμάζω (屈辱を与える) 動詞 - アオリスト 能動 直接法 - 二人称
τὸν / (冠詞) 定冠詞 - 対格単数男性
πτωχόν /πτωχός (貧しい人) 形容詞 - 対格単数男性
οὐχ /οὐ (~ない) 分詞 - 主格
οἱ / (冠詞) 定冠詞 - 主格複数男性 πλούσιοι /πλούσιος (富んだ人たち) 形容詞 - 主格複数男性
καταδυναστεύουσιν /καταδυναστεύω (虐げる) 動詞 - 現在 能動直接法 - 三人称
ὑμῶν /ὑμεῖς (あなたたち) 人称代名詞 - 二人称 所有格・属格 複数
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
αὐτοὶ /αὐτός (代名詞強調) 人称代名詞 - 主格複数男性
ἕλκουσιν /ἕλκω (引きずる) 動詞 - 現在能動直接法 - 三人称
ὑμᾶς /ὑμεῖς (あなたがた) 人称代名詞 - 二人称対格複数
εἰς /εἰς (~に) 前置詞
κριτήρια /κριτήριον (裁判所) 名詞 - 対格複数中性

「しかし、あなたたちは貧しい人を辱めた。
富んだ人たちはあなたたちを虐げ、彼らこそあなたたちを裁判所に引きずっていくのではないか」
という感じの訳でしょうか。

ἠτιμάσατε (あなたがたは辱めた)という語は、ἀτιμάζω が元の形。
ε-ἀτιμά-σα-τε に分解して考えればいいのかな。
ε-ἀ のところはアオリストの加音で

ἠ に変化してる。

ε の加音と σα のところでアオリスト直接法と判断できるのか。
τε は二人称の人称語尾だ。
「あなたがたは辱めた」とこの動詞だけで分かるわけです。

でも、ὑμεῖς (あなたたちは)とわざわざ主語の代名詞を入れて書いているので、「あなたがた」の部分をちょっと強調しているのか。
譬えというより、事実あなたたちは貧しい人を辱めたんだ、と言ってる感じ。

καταδυναστεύουσιν (虐げる) は、70人訳で社会的弱者を虐げる金持ちを告発する文脈で用いられている語だそうです(辻学著「ヤコブの手紙」p115)。

善人が金持ちになるならば、こういう批判は生じないのでしょうけど。
また、豊かになることで人間性が良くなるならば、こういう批判はないでしょう。
経済というものは、それ固有の法則に従っていて、宗教家が期待するような因果応報、道徳的に優れた人が経済的に報われるというものではない。
…まぁ豊かな者がより豊かになり、貧しい者の権利は往々にして踏み倒されるものです。
また、性善説で考えるならば、より豊かになり、自由が多くなれば、本来の人間の善性が引き出されるはずなんですが、実際は金持ちになったからと言って善人になるわけではない。


旧約の中には、こういう金持ちへの批判は多くあります。
とは言っても、全部が全部、弱者の視点に立っているという感じもないのですが。
貧乏人だったら弱者の視点に立てるかと言うと、そういうものでもない気もします。
「貧乏人だから貧乏人の考え方をするんだ」と思っている人は、弱者の視点に立つことはそれ自体が屈辱だと感じるのではないかと思います。
自分の惨めさを認めないために弱者を馬鹿にして、そういう風に馬鹿に出来る自分は立派なのだと思い込もうとしそうです。

うーむ。単に貧しい人が蔑まれているところを見ただけで、それを批判して手紙をディアスポラの人々に送ろうと思うかというと…どうでしょう。
貧しい人が虐げられるなかに自分の問題を感じてないと、なかなかこのような手紙は書けない気がします。
うまくは説明できませんが、…ヤコブさんはパウロ主義的な人々を批判しながら、同時に彼らと決別することは避けたいと願っているのではないかと思うわけです。
ヤコブさんの危機感は、一方にはパウロ主義的な律法無視に対するものですが、もう一方で律法厳守を言いつのる人々を煙たく思うところから来ていたのではないかなと。
それが文字のどこかに現れているわけでもないのですが、…いや「自由の律法」なんかどうでしょう。
ヤコブさんにとっては律法は自由をもたらすものであるべきなのであって、それが教会内の対立の激化によって…律法を重んじる空気が強くなりすぎて…失われそうになっていると感じていたのかも。だから争いは抑えたい。
そうして、パウロ神学を批判しつつ、ユダヤ人には「自由の律法」を呼びかけているのなかと。
穏健派の批判と言うのはそういうものかなと。

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