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2010年1月

ヤコブ 2:4 よからぬ考えで人をさばく者になった

οὐ διεκρίθητε ἐν ἑαυτοῖς καὶ ἐγένεσθε κριταὶ διαλογισμῶν πονηρῶν;

(口語訳) あなたがたは、自分たちの間で差別立てをし、よからぬ考えで人をさばく者になったわけではないか。

οὐ /οὐ (~ない) 分詞 
διεκρίθητε /διακρίνω (分ける・決心する・疑う) 動詞 - アオリスト 受動 直接法 - 二人称
ἐν /ἐν (~に) 前置詞
ἑαυτοῖς /ἑαυτοῦ (彼ら自身) 再帰代名詞 - 三人称 与格 複数男性
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
ἐγένεσθε /γίνομαι (~になる) 動詞 - 第2アオリスト 中動 異態 直接法 - 二人称
κριταὶ /κριτής (審判、裁判官) 名詞 - 主格複数男性
διαλογισμῶν /διαλογισμός (勘定) 名詞 - 与有格・属格複数男性
πονηρῶν /πονηρός (痛みを伴う、つらい⇒無益な、有害な) 形容詞 - 与有格・属格複数男性

この尋ね方は、何か実際に当時の教会内でそのような出来事があったのではないかと感じさせますね。

文末は「 ; 」疑問符なので、これは疑問文で訳すようです。

διεκρίθητε を口語訳は「差別立てをする」と訳しているようです。
διεκρίθητε は、 διακρίνω (分ける・決心する・疑う)という語が元にあります。
ヤコブ 1:6の διακρινόμενος (疑う者)の元にある語と同じです。
δια (~を通して) - κρίνω (分ける・選ぶ・決心する・裁定する) という語の組み合わせになっています。
すぐ後の語である「さばく者 κριταὶ」という語も、そうですね。
分ける・決心する・裁定するという意味を合わせもつ語としては、「断ずる」という語が近いだろうか。受身だから「分断された」か。
口語訳は文脈から「差別立てした」と訳しているようです。

διεκρίθητε は「アオリスト 受動直接法 - 二人称」とのこと。
διεκρί-θη-τε と分解して考えてみます。
θη は受動態の特徴のようですね。人称語尾が τε です。
δια-ἐ-κρί-θη-τε となっていたのが δια とアオリストの加音 ἐ が変化して
διε-κρί-θη-τε となったのかな。

「οὐ」が否定なので、「οὐ διεκρίθητε」で、あなた方は「差別立てしなかったか」とか「分断されなかったか」と問う意味なるようです。

「ἐν ἑαυτοῖς (彼ら自身において)」は、訳す時は「あなた方自身において」と解するようです。
この再帰代名詞の使い方はよく分からないなぁ。


ἐγένεσθε (~になった)
biblos.comのパージングではV-2ADI-2Pとなってます。「動詞 - 第二アオリスト中動態直接法 - 二人称」のことですね。
どうやって判断しているのだろう。
ἐ-γέν-ε-σθε と分解してみます。
ἐ の加音と人称語尾 σθε から中動態/受動態のどちらかなのでしょう。
これは自分のやった行為の結果が自分たちに影響しているという文脈なので、中動態と判断しているのではないかなと。
アオリストだと σα がついてそうですが、これは第二アオリストなのでこれがつかないそうです。
第二アオリストかどうかは暗記しておくしかないようです。

前半は、「あなた方は、自分たち自身の間で分断されなかったか」と否定文で尋ねているようです。
後半には「οὐ」が掛かってないようです。
「さばく者になったのか」と尋ねているようです。
この順番だと前半の疑問文の感じが訳しにくいなぁ。

「あなた方は自分たち自身において分断され、良からぬ勘定のさばき手にならなかったか」のような訳でしょうか。
これだと「οὐ」の掛かり方が逆になりそう。

前半と後半を逆にした方が「…なかったか」という尋ね方の掛かり方が訳しやすい。
訳としては、
「あなた方は良からぬ勘定の裁き手になって、自分たち自身の間で分断されなかったか」
としてもいいかなと。

おそらく、教会の説教のなかの譬え話というのは、教会員のなかにまま見られる問題を捉えているのでしょう。
こうやって「あなた方」によって自分たち自身が分断されているのではないですか、と尋ねる時は、まぁそういうことがしばしば教会内で見られたことが前提されているのでしょう。

「分断される διεκρίθητε」と「疑う者 διακρινόμενος」(ヤコブ 1:7)の用語からして、おそらく根っこは同じ問題であると考えているのでしょう。
教会内において貧富の差から差別が生じたことと、分断されて揺れ動く波のように「疑う者」となっている信徒がいたこと、教会内で信徒が分断されてしまったことについて、ヤコブの手紙の著者は苦言を呈しているようです。

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あきれる

ギリシャ語は動詞が多様に変化する。
覚えるのは大変。
でも、たぶんポイントを押さえれば、そんなに大量に丸暗記しないでも済むのではないかと。
ネットで調べたり、本を買ったりして。
そうして変化表を書いてみたわけです。

…でも、そうしてようやく理解できたことは、ちゃんと最初に読んでいた本に書いてあるのだけど…相変わらず読んでない。
いや読んでるのだけど、何を書いているのかまるで理解できてないのだなぁ。
分かりやすい本はないかとあれこれ探して、「なるほど分かった」と思ったことは、よく見ると最初に読んでた本に丁寧に解説されていたりする。

うーむ。自分の理解力のなさにちょっとあきれます。

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動詞の変化表(能動)

動詞は変化が多くて覚えるのが面倒だけど頑張ってみるか。丸覚えは面倒なのでいい方法はないかなぁ。

下記は動詞の変化表(能動)を載せます。
入力ミスがあるかも。信用しないように。
(※追記 英語のウィキペディアの表は充実してます ⇒「Ancient Greek grammar (tables)」)

アッティカ方言は、こちらのサイトが変化形を見るのに便利です。
http://www.greekverbs.com/


「第一次時制」は現在から未来に関わる時制。
「第二次時制」は過去。

「第一次時制」の現在形は人称語尾が分かりすい。両数はいったん見ないことにして列挙すると、
一人称単数-ω
二人称単数-εις
三人称単数-ει
一人称複数-μεν
二人称複数-τε
三人称複数-ουσι(ν)
となる。
「第二次時制」になると ἑ が語の頭につく。
時称・法接尾辞の変化も大事みたい。
アオリスト直接法だと σα のところね。
アオリスト接続法だと ση になったりしている。

  直説法 接続法 希求 命令 不定詞・分詞
第一次時制 第二次時制
現在および不完了過去 単1
単2
単3
両2
両3
複1
複2
複3
παιδεύ-ω
παιδεύ-εις
παιδεύ-ει
παιδεύ-τον
παιδεύ-τον
παιδεύ-μεν
παιδεύ-τε
παιδεύ-ουσι(ν)
ἑ-παίδευ-ο-ν
ἑ-παίδευ-ε-ς
ἑ-παίδευ-ε(ν)
ἑ-παίδευ-ε-τον
ἑ-παίδευ-ε-την
ἑ-παίδευ-ο-μεν
ἑ-παίδευ-ε-τε
ἑ-παίδευ-ο-ν
παιδεύ-ω
παιδεύ-ης
παιδεύ-η
παιδεύ-η-τον
παιδεύ-η-τον
παιδεύ-ω-μεν
παιδεύ-η-τε
παιδεύ-ωσι(ν)
παιδεύ-οι-μι
παιδεύ-οι-ς
παιδεύ-οι
παιδεύ-οι-τον
παιδεύ-οι-την
παιδεύ-οι-μεν
παιδεύ-οι-τε
παιδεύ-οι-εν
--------
παιδευ-ε
παιδευ-έτω
παιδεύ-ε-τον
παιδευ-έ-των
--------
παιδεύ-ε-τε
παιδευ-ό-ντων
不 παιδεύ-ειν

分 παιδεύ-ων

  παιδεύ-ουσα

  παιδεύ-ον
未   来 単1
単2
単3
両2
両3
複1
複2
複3
παιδεύ-σω
παιδεύ-σεις
παιδεύ-σει
παιδεύ-σε-τον
παιδεύ-σε-τον
παιδεύ-σο-μεν
παιδεύ-σε-τε
παιδεύ-σουσι(ν)
    παιδεύ-σοι-μι
παιδεύ-σοι-ς
παιδεύ-σοι
παιδεύ-σοι-τον
παιδεύ-σοί-την
παιδεύ-σοι-μεν
παιδεύ-σοι-τε
παιδεύ-σοι-εν
  不 παιδεύ-σειν

分 παιδεύ-σων

  παιδεύ-σουσα

  παιδεύ-σον
アオリスト 単1
単2
単3
両2
両3
複1
複2
複3
  ἑ-παίδευ-σα-ν
ἑ-παίδευ-σα-ς
ἑ-παίδευ-σε(ν)
ἑ-παίδευ-σα-τον
ἑ-παίδευ-σά-την
ἑ-παίδευ-σα-μεν
ἑ-παίδευ-σα-τε
ἑ-παίδευ-σα-ν
ἑ-παίδευ-σω
ἑ-παίδευ-σης
ἑ-παίδευ-ση
ἑ-παίδευ-ση-τον
ἑ-παίδευ-ση-την
ἑ-παίδευ-σω-μεν
ἑ-παίδευ-ση-τε
ἑ-παίδευ-σωσι(ν)
ἑ-παίδευ-σα-μι
ἑ-παίδευ-σειας, -σαις
ἑ-παίδευ-σειε(ν), σαι
ἑ-παίδευ-σαι-τον
ἑ-παίδευ-σαί-την
ἑ-παίδευ-σαι-μεν
ἑ-παίδευ-σαι-τε
ἑ-παίδευ-σειαν -σαιε-ν
--------
παιδευ-σου
παιδευ-σά-τω
παιδεύ-σα-τον
παιδευ-σά-των
--------
παιδεύ-σα-τε
παιδευ-σά-ντων
不 παιδεύ-σαι

分 παιδεύ-σᾱς

  παιδεύ-σᾱσα

  παιδεύ-σαν
完了及び過去完了 単1
単2
単3
両2
両3
複1
複2
複3
πε-παιδεύ-κα
πε-παιδεύ-κας
πε-παιδεύ-κε(ν )
πε-παιδεύ-κα-τον
πε-παιδεύ-κα-τον
πε-παιδεύ-κα-μεν
πε-παιδεύ-κα-τε
πε-παιδεύ-κασι(ν)
ἑ-πε-παιδεύ-κη, κειν
ἑ-πε-παιδεύ-κη-ς, -κεις
ἑ-πε-παιδεύ-κει, -κειν
ἑ-πε-παιδεύ-κε-τον
ἑ-πε-παιδεύ-κέ-την
ἑ-πε-παιδεύ-κε-μεν
ἑ-πε-παιδεύ-κε-τε
ἑ-πε-παιδεύ-κεσαν
πε-παίδευ-κω
πε-παίδευ-κης
等現在の如く活用又は
πε-παίδευ-κὼς ὤ
ἤς

等、εὶμίの接・現在と分詞の
合成による
πε-παίδεύ-κοι-μι
πε-παίδεύ-κοι-ς
等現在の如く活用又は
πεπαίδευκὼς εἲην
εἴης
εἴη
等、εὶμίの希・現と分詞の
合成による
  不 παιδευ-κέναι

分 παιδευ-κώς

  παιδευ-κυἴα

  παιδευ-κός

ἑ や πε などの接頭辞がついて過去や完了を表したり、時称・法接尾辞の変化や、人称語尾の組み合わせを見てパージングをするみたい。
上記の表は高津春繁著「ギリシャ語文法」p160-161より。
この表は接頭辞や動詞幹、時称・法接尾辞、人称語尾がハイフンで区切られているので分かりやすいようです。

あと、法接尾辞と人称語尾のつなぎ目の母音は、
一人称単数 -o
二人称単数 -e
三人称単数 -e
一人称複数 -o
二人称複数 -e
三人称複数 -o
o e e o e o と大体は変化する。
この変化を「これで燃えよ」ko-re-de-mo-e-yo と覚えるという方法が下記のサイトに載ってました。これは覚えやすい。

「初歩から学ぶ本格的な聖書古典ギリシャ語講座」
http://sky.geocities.jp/naostheou/poz3.3verbstem.html

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ヤコブ 2:3 りっぱな着物を着た人に対しては

ἐπιβλέψητε δὲ ἐπὶ τὸν φοροῦντα τὴν ἐσθῆτα τὴν λαμπρὰν καὶ εἴπητε, Σὺ κάθου ὧδε καλῶς, καὶ τῷ πτωχῷ εἴπητε, Σὺ στῆθι ἢ κάθου ἐκεῖ ὑπὸ τὸ ὑποπόδιον μου,

(口語訳)
その際、りっぱな着物を着た人に対しては、うやうやしく「どうぞ、こちらの良い席にお掛け下さい」と言い、
貧しい人には、「あなたは、そこに立っていなさい。それとも、わたしの足もとにすわっているがよい」と言ったとしたら、

ἐπιβλέψητε /ἐπιβλέπω (見る、注意して見つめる) 動詞 - アオリスト 能動 仮定法 - 二人称複数
δὲ /δὲ (しかし) 接続詞
ἐπὶ /ἐπί (~の上に) 前置詞
τὸν /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 対格 単数男性
φοροῦντα /φορέω (着る) 動詞 - 現在 能動 分詞 - 対格単数男性
τὴν /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 対格単数女性
ἐσθῆτα /ἐσθής (衣類、衣服) 名詞 - 対格単数女性
τὴν /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 対格単数女性
λαμπρὰν /λαμπρός (輝く、白い) 形容詞 - 対格単数女性
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
εἴπητε /εἶπον  (言う) 動詞 - 第二アオリスト 能動 仮定法 - 二人称
Σὺ /σύ (あなたは) 人称代名詞 - 二人称 主格単数
κάθου /κάθημαι (座る) 動詞 - 現在 中動 or 受動 異態 命令法 - 二人称単数
ὧδε /ὧδε (ここに) 副詞
καλῶς /καλῶς (よく、うまく) 副詞
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
τῷ /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 与格単数男性
πτωχῷ /πτωχός (貧しい人) 形容詞 - 与格単数男性
εἴπητε /ἔπω (言う) 動詞 - 第二アオリスト 能動 仮定法 - 二人称
Σὺ /σύ (あなたは) 人称代名詞 - 二人称 主格単数
στῆθι /ἵστημι (立つ) 動詞 - 第二アオリスト 能動 中動 - 二人称単数
ἢ /ἤ (もしくは) 分詞
κάθου /κάθημαι (座る) 動詞 - 現在 中動 or 受動 異態 命令法 - 二人称単数
ἐκεῖ /ἐκεῖ (そこの) 副詞
ὑπὸ /ὑπό (そば、下に) 前置詞
τὸ /ὁ (冠詞) 定冠詞 - 対格単数中性
ὑποπόδιον /ὑποπόδιον (足台) 名詞 - 対格単数中性
μου /ἐγώ  (私の) 人称代名詞 - 一人称 所有格・属格 単数

ἐπιβλέπω (見つめる)は、ἐπί (英語のonにあたる。「~の上に」) + βλέπω (見る) が組合わさっている。
意味もlook upon と同じで、注意して見るという意味のようです。
ἐπιβλέπω のアオリストの形は、π の後にアオリスト仮定法の時称接尾辞(?) ση ( η は連結母音か…)がつく時に ψ の音になり、二人称複数の語尾 τε が最後について ἐπιβλέψητε という形になるようです。
つまり、ἐπι - βλέπ - ση - τε ⇒ ἐπιβλέψητε という感じかと。

εἴπητε (言う εἶπον)は、第二アオリストという変化とのこと。
これはアオリストの語尾 σα (アオリスト仮定法なら ση )がつかない語だそうです。でも、η だけは残っているように見えます。

ὧδε は副詞とのことですが、レキシコンには「here ここに」という意味が載っているので、まぁそれでいいのかなと。
καλῶς も副詞なのですが、これはどう訳しましょう。
元にある καλός という語は良いという意味ですし、口語訳では「良い席」と訳されているようですが。形容詞ならばそれでいいような気がしますが。
副詞としては「うまく~する」のような使い方をするのではないかと思うのですが。
いや、口語訳はこれを「どうぞ」と訳しているのかな。
金持ちが集会所に入って来て、案内人がよい席を指して「ちょうどうまい具合にこちらが空いてますのでどうぞ」と言ってる感じだろうか。
あるいは「さぁ、こちらへ」の「さぁ」ぐらいの意味だろうか。

後半の貧しい人に対するセリフは、「あなたは立っているか、そこの私の足台の傍らに座りなさい」というもの。
「私の足台」というのだから、案内人の席はその足台のついた椅子なのだろうと思われる。
おそらく部屋の入口近くに案内人の席があって、集会に集まった人に声をかけているのではないかと思われます。
金持ちが入ってくると彼は「さぁ、こちらへ」と上席を案内しますが、貧乏人には「あなたは立っているか、そこの私の足台の傍らに座りなさい」と言っている。

当時の集会の席がどうなっているのか分かりませんが、床に座っていたのか、椅子やベンチの座っていたのか。
でも、案内人の言い方からして、床に座るにしても良い席は座れる人数に限りがあって前の方に居たければ「立っているか」、座りたければ末席に行けと言っている感じです。
ただ、「床に座る」ならば、好きな所に座ればいいのですから、「立っているか」という表現はちょっと合わない気がします。
金持ちの横に立っていられるならば、座ることもできるでしょう。
立っているように言われるのは、空きがあっても上席に「座らないように」と言われていることを意味するのかと思います。
そうなると椅子か、ベンチか、座るための敷物か何かが上席にはあったけど、そこに座らせてもらえなかったのかなと思えます。
それらの状況からして、たぶん教会員のなかの裕福な人の自宅で集会が行われていることが前提されているのかなと。


訳としては、
「そこであなたはきれいな服を来た人に目を止めて『さぁ、あなたはこちらへお掛けください』と言い、
貧しい人には『あなたは立っているか、そこの私の足台の傍らに座りなさい』と言うとすると」
という感じでしょうか。

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サイトなど

まだちゃんと読めてないけど、面白そうだなと思っているサイト。

「羽入式疑似文献学の解剖」
「マックス・ヴェーバーの犯罪」という本を批判しているのですが、その文献学的な手法が読んでいて面白い。
http://www.shochian.com/hanyu_hihan00.htm

「バルバロイ !」
「原始キリスト教の世界」の項目では、黙示文学の翻訳が読めるようです。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/index.html

トマス・アクィナスの「神学大全」を翻訳されているようです。
http://theologia.jp/index.html

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ヤコブ 2:2 金の指輪をはめ、りっぱな着物を着た人

ἐὰν γὰρ εἰσέλθῃ εἰς συναγωγὴν ὑμῶν ἀνὴρ χρυσοδακτύλιος ἐν ἐσθῆτι λαμπρᾷ, εἰσέλθῃ δὲ καὶ πτωχὸς ἐν ῥυπαρᾷ ἐσθῆτι,

(口語訳) たとえば、あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、りっぱな着物を着た人がはいって来ると同時に、みすぼらしい着物を着た貧しい人がはいってきたとする。

ἐὰν /ἐὰν (たとえば、ただし) 条件文
γὰρ /γὰρ (なぜなら) 接続詞
εἰσέλθῃ /εἰσέρχομαι (~に入る) 動詞 - 能動相第二アオリスト 仮定法 - 三人称単数
εἰς / (~に) 前置詞
συναγωγὴν / (会堂) 名詞 - 対格単数女性
ὑμῶν / (あなたがたの) 人称代名詞 - 二人称所有格・属格 複数
ἀνὴρ / (人) 名詞 - 主格単数男性
χρυσοδακτύλιος / (金の指輪をはめた) 形容詞 - 主格単数男性
ἐν / (~において) 前置詞
ἐσθῆτι / (衣服) 名詞 - 与格単数女性
λαμπρᾷ / (晴れやかな、キラキラ輝く) 形容詞 - 与格単数女性
εἰσέλθῃ / (~に入る) 動詞 - 能動第二アオリスト 仮定法 - 三人称単数
δὲ / (しかし) 接続詞
καὶ / (そして) 接続詞
πτωχὸς / (貧乏な人) 形容詞 - 主格単数男性
ἐν / (~において) 前置詞
ῥυπαρᾷ / (汚い) 形容詞 - 与格単数女性
ἐσθῆτι / (衣服) 名詞 - 与格単数女性

「ἐὰν たとえば」という語は、「εἰ もし」と「ἄν」が組合わさっているみたい。
「ἄν」の意味はstrongsを見ると下記のようにある。
「usually untranslatable, but generally denoting supposition, wish, possibility or uncertainty」
「通常翻訳不可能、しかし大抵は仮定を意味する、希望、可能性や不確かさ」
「εἰ もし」という語自体が仮定を意味するんだけど。
「仮にこんなことがあったとしたら…」と、いくらかありえないことを想定しているニュアンスの言い方なのかな。

「εἰσέλθῃ」はアオリスト。アオリストは通常過去形で訳されます。
ここでは仮定法なので「入ってきたならば」というような意味。
元の形は「εἰσέρχομαι (~に入る)」⇒「εἰς (~に)」+「ἔρχομαι (来る・行く)」が組み合わさったもの。

「アオリスト」は、「未完了過去」が行為の継続・反復などを表すのと違って、過去の一回の出来事、瞬間的な動作を表します。
ただこれは直説法以外の用法では(ここのように仮定法であったり、希求法、命令法、不定法である場合)、時間の意味が消えてしまうようです。
ウィキペディアによると「アオリスト」の語源は、
>ギリシア語: ἀόριστος aóristos「境界のない、範囲が不確定の」に由来する
とのことです。
普遍的なことを言い表す時も、アオリストを使うそうです(「格言的アオリスト」)。

「συναγωγὴν 会堂に」という語は、「συναγωγή」の対格。シナゴーグのこと。
普通ユダヤ教の会堂を指しますが、キリスト教の集会の意味でも用例があるそうです(辻学著「ヤコブの手紙」p106)。

「χρυσοδακτύλιος (金の指輪をはめた)」 ⇒ 「χρυσός (金)」 + 「δακτύλιος (指輪)」
うーん。この語は「金の指輪」ぐらいしか意味しそうにないけど、ギリシャ語では名詞と形容詞が近い関係になっているのかな。
「ἀνὴρ χρυσοδακτύλιος」のように「人、金の指輪」と格をそろえてならべると、「金の指輪をした人」という風に掛かるということなのかなと。
英語だと「rich」を、名詞としては「金持ちの人」、形容詞としては「金持ちな」と使うのと似たようなものかと。

「δὲ」は、「しかし」を表す接続詞。たぶん、ここでは主語が変わることを表しているのではないかと。

「なぜならば、たとえばあなたがたの集会に、綺麗な服を着て金の指輪をした人が入ってきて、そしてまた汚い服を着た貧しい人が入っきたら…」
という感じに訳せそうです。

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インターネット・アーカイブ

「インターネット・アーカイブ Internet Archive 」は1996年以降、インターネット上のwebページを収集・保管し、これを一般に公開している。
見たいなぁと思うホームページがすでに閉鎖されてしまっている場合には、この「インターネット・アーカイブ」にデータが残っている場合がある。

たとえば、「古典ギリシャ語事始」というサイト( http://home.highway.ne.jp/skondoh/index.html )。
ギリシャ語の学習者のサイトを見るとよく紹介されているけど、閉鎖されてしまったのか見れない。
ギリシャ語の関連の本の紹介や、古典ギリシャ語のTips、また手抜き学習法などが書かれているらしい。
それはぜひ読みたい。

そういう時には「インターネット・アーカイブ」から上記アドレスを検索する。
すると読むことができますね。

「インターネット・アーカイブ Internet Archive 」
http://www.archive.org/

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「ブルトマン著作集 4 新約聖書神学 Ⅱ」を読んだ

パウロの歴史的位置は次のように示される。すなわち、ヘレニズムキリスト教の枠の中に立って、ヘレニズム教団の宣教(ケリュグマ)のなかにはたらいていた神学的モチーフを、明晰な神学的思想に高め、ヘレニズム的ケリュグマのなかに隠されていた問いを自覚させ、それに決着をつけ、こうして…われわれのもっている資料から判断される限り…キリスト教神学の基礎を置く者となったのである。 (ブルトマン 『ブルトマン著作集 4 新約聖書神学 Ⅱ』 p3)

---
史的イエスへの関心から新約聖書の関係の本を読んでます。
そういう本を読んでいると、史的イエスの研究の金字塔的研究をなした人としてブルトマンの本は紹介されているのを何度も見かけます。
そこから興味を持って、『共観福音書研究史』『イエス』『ヨハネ福音書』などは読んでますが、正直数冊読んだだけでは、ブルトマンは奥が深くてまだ彼の研究の全体像など見えてこない印象です。
神学などは縁遠いので敬遠してましたが、ちょっとその手の本も読んでみようかなと。
『ブルトマン著作集 4 新約聖書神学 Ⅱ』は、パウロとヨハネ福音書・ヨハネ書簡の研究です。

上記に引用した文章から始まるのですが、ブルトマンの解説は巧いなぁと感心させられる。
こういう風にスパッと説明されると、何か気持ちいい。
序盤の数ページは、何度も読み返してしまいます。
この感覚って伝わるのかな。

文章の密度が高く感じるというか、…研究の完成度の高さを感じさせるんだな。
まだいい加減にしか読んでないので、ちびちび読んでゆこう。

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ヤコブ 2:1 我らの主イエス・キリストの栄光

Ἀδελφοί μου, μὴ ἐν προσωπολημψίαις ἔχετε τὴν πίστιν τοῦ κυρίου ἡμῶν Ἰησοῦ Χριστοῦ τῆς δόξης.

(口語訳) わたしの兄弟たちよ。わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない。

Ἀδελφοί /ἀδελφός (兄弟よ) 名詞 - 呼格複数男性
μου /ἐγώ (私の) 人称代名詞 - 一人称 所有格・属格単数
μὴ /μὴ (~ない) 分詞 - 主格
ἐν /ἐν (前置詞) 
προσωπολημψίαις /προσωποληψία  名詞 - 与格複数女性
ἔχετε /ἔχω  動詞 - 現在能動命令法二人称
τὴν /ὁ  定冠詞 - 対格単数女性
πίστιν /πίστις  名詞 - 対格単数女性
τοῦ /ὁ  定冠詞 - 所有格・属格単数男性
κυρίου /κύριος  名詞 - 所有格・属格単数男性
ἡμῶν /ἡμεῖς  人称代名詞 - 一人称所有格・属格複数
Ἰησοῦ /Ἰησοῦς  名詞 - 所有格単数男性
Χριστοῦ /Χριστός  名詞 - 所有格単数男性
τῆς /ὁ  定冠詞 - 所有格・属格単数女性
δόξης /δόξα  名詞 - 所有格・属格単数女性

「私の兄弟たちよ、我らの主イエス・キリストの栄光の信仰を持って、人をえこひいきしてはならない」というような訳になりそうです。

Ἀδελφοί は、呼格。「兄弟達よ」と呼びかける時の言い方。
この語に由来する語でよく耳にするのは「フィラデルフィア」という地名で、ギリシャ語で兄弟愛を意味します。

ギリシャ語では、主格(~が)、与格(~に)、所有格・属格(~の)、対格(~を)などを単語の語尾の変化で表わす。
μου は「私の」という所有格・属格の形。語尾が ου に変化する。
τοῦ
κυρίου
Χριστοῦ
なども所有格・属格です。格変化の中で一番覚えやすいと思います。
「~を」という対格は、「πίστιν 信仰を」が出てきています。

προσωπολημψίαις は、προσωποληψία (分け隔てる) の与格複数の形。
与格というのは、日本語で「~に」で表わされる。動詞の間接目的語。

前置詞 ἐν (~において)がついているので、「ἐν προσωπολημψίαις」で「分け隔てにおいて」という意味になるのか。
προσωποληψία はレキシコンで調べると、「respect of persons」という意味が出てきます。
えこひいきするとか、差別待遇するという意味のようです。

προσωπολήπτης (分け隔てる)という単語は見た目にも長いです。
πρόσωπον (顔) + λαμβάνω (取る) が組合わさっている。

なぜ「顔をとる」という表現がえこひいきや差別待遇を意味するのか。

田川建三氏の「新約聖書 訳と註 1」p378の解説によると、
パウロにもこの「顔を取ること」という表現があり。これを、人によって差別するという意味で用いているが、これはヘブライ語の表現の直訳なのだそうです。
七十人訳でも同じ表現(顔を取る)で出て来るそうです。レヴィ記19:15、列王記 3:14、ヨブ記 42:8。また「顔を見る」という言い方で申命記 10:17にあるそうです。

πρόσωπον (顔) という語は、 πρός (「~について」という前置詞) + ὀπτάνομαι (現れる) が組合わさっているようです。

πρόσωπον (顔) は προσώπου が(ヤコブ 1:11)に出てきます。
λαμβάνω (受ける・取る) は λήμψεταί が(ヤコブ 1:7, 1:12)に出て来てます。

後半は「信仰を/主の/我らの/イエス・キリストの/栄光の」という語順なのですが、
辻学氏の注解書によると、この語順が不自然であるため色々議論されているようです。
とくに最後の「栄光の」という意味がはっきりしない。
ヤコブの手紙の著者はイエス・キリストについて言及することが非常に少ないため、元来はユダヤ教文書であったものに後に「イエス・キリスト」の名前を挿入してキリスト教化したものではないか、という仮説もあったそうです。
そのような説が出て来る原因は、この部分の表現が不自然で、「我らの栄光の主」とあったところに「イエス・キリストの」を挿入したように見えることがあるそうです。
ですが、挿入の仕方として「イエス・キリスト、我らの栄光の主」としてもよかったはずであるので、称号の間に後から挿入するというのは不自然であると辻氏は論じています(p104)。
「栄光」という語の意味について、辻氏の解釈は説得力があります。下記に引用します。

「我らの主イエス・キリスト」という表現はしばしば、神への感謝や祈祷のことばの中で、定型的に用いられる。これは礼拝の中での言葉づかいを反映したものであろう。「栄光」も同じである。この語は、新約聖書においては、とりわけ頌栄という形で用いられている。おそらく、ここで言われている「栄光」とは、キリスト教徒が礼拝の中で、神ないしキリストに帰する「栄光」なのである。つまり、「君たちが礼拝の中で、『我らの主イエス・キリストに栄光あれ』と称えている方」という意味がこの表現には込められていると考えられる。この解釈は、続く2節が、礼拝の場面を描写していることとうまく合致する。(「ヤコブの手紙」辻学著 p105)

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