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ヤコブ 2:4 よからぬ考えで人をさばく者になった

οὐ διεκρίθητε ἐν ἑαυτοῖς καὶ ἐγένεσθε κριταὶ διαλογισμῶν πονηρῶν;

(口語訳) あなたがたは、自分たちの間で差別立てをし、よからぬ考えで人をさばく者になったわけではないか。

οὐ /οὐ (~ない) 分詞 
διεκρίθητε /διακρίνω (分ける・決心する・疑う) 動詞 - アオリスト 受動 直接法 - 二人称
ἐν /ἐν (~に) 前置詞
ἑαυτοῖς /ἑαυτοῦ (彼ら自身) 再帰代名詞 - 三人称 与格 複数男性
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
ἐγένεσθε /γίνομαι (~になる) 動詞 - 第2アオリスト 中動 異態 直接法 - 二人称
κριταὶ /κριτής (審判、裁判官) 名詞 - 主格複数男性
διαλογισμῶν /διαλογισμός (勘定) 名詞 - 与有格・属格複数男性
πονηρῶν /πονηρός (痛みを伴う、つらい⇒無益な、有害な) 形容詞 - 与有格・属格複数男性

この尋ね方は、何か実際に当時の教会内でそのような出来事があったのではないかと感じさせますね。

文末は「 ; 」疑問符なので、これは疑問文で訳すようです。

διεκρίθητε を口語訳は「差別立てをする」と訳しているようです。
διεκρίθητε は、 διακρίνω (分ける・決心する・疑う)という語が元にあります。
ヤコブ 1:6の διακρινόμενος (疑う者)の元にある語と同じです。
δια (~を通して) - κρίνω (分ける・選ぶ・決心する・裁定する) という語の組み合わせになっています。
すぐ後の語である「さばく者 κριταὶ」という語も、そうですね。
分ける・決心する・裁定するという意味を合わせもつ語としては、「断ずる」という語が近いだろうか。受身だから「分断された」か。
口語訳は文脈から「差別立てした」と訳しているようです。

διεκρίθητε は「アオリスト 受動直接法 - 二人称」とのこと。
διεκρί-θη-τε と分解して考えてみます。
θη は受動態の特徴のようですね。人称語尾が τε です。
δια-ἐ-κρί-θη-τε となっていたのが δια とアオリストの加音 ἐ が変化して
διε-κρί-θη-τε となったのかな。

「οὐ」が否定なので、「οὐ διεκρίθητε」で、あなた方は「差別立てしなかったか」とか「分断されなかったか」と問う意味なるようです。

「ἐν ἑαυτοῖς (彼ら自身において)」は、訳す時は「あなた方自身において」と解するようです。
この再帰代名詞の使い方はよく分からないなぁ。


ἐγένεσθε (~になった)
biblos.comのパージングではV-2ADI-2Pとなってます。「動詞 - 第二アオリスト中動態直接法 - 二人称」のことですね。
どうやって判断しているのだろう。
ἐ-γέν-ε-σθε と分解してみます。
ἐ の加音と人称語尾 σθε から中動態/受動態のどちらかなのでしょう。
これは自分のやった行為の結果が自分たちに影響しているという文脈なので、中動態と判断しているのではないかなと。
アオリストだと σα がついてそうですが、これは第二アオリストなのでこれがつかないそうです。
第二アオリストかどうかは暗記しておくしかないようです。

前半は、「あなた方は、自分たち自身の間で分断されなかったか」と否定文で尋ねているようです。
後半には「οὐ」が掛かってないようです。
「さばく者になったのか」と尋ねているようです。
この順番だと前半の疑問文の感じが訳しにくいなぁ。

「あなた方は自分たち自身において分断され、良からぬ勘定のさばき手にならなかったか」のような訳でしょうか。
これだと「οὐ」の掛かり方が逆になりそう。

前半と後半を逆にした方が「…なかったか」という尋ね方の掛かり方が訳しやすい。
訳としては、
「あなた方は良からぬ勘定の裁き手になって、自分たち自身の間で分断されなかったか」
としてもいいかなと。

おそらく、教会の説教のなかの譬え話というのは、教会員のなかにまま見られる問題を捉えているのでしょう。
こうやって「あなた方」によって自分たち自身が分断されているのではないですか、と尋ねる時は、まぁそういうことがしばしば教会内で見られたことが前提されているのでしょう。

「分断される διεκρίθητε」と「疑う者 διακρινόμενος」(ヤコブ 1:7)の用語からして、おそらく根っこは同じ問題であると考えているのでしょう。
教会内において貧富の差から差別が生じたことと、分断されて揺れ動く波のように「疑う者」となっている信徒がいたこと、教会内で信徒が分断されてしまったことについて、ヤコブの手紙の著者は苦言を呈しているようです。

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