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ヤコブ 1:20

ὀργὴ γὰρ ἀνδρὸς δικαιοσύνην θεοῦ οὐκ ἐργάζεται.

(口語訳) 人の怒りは神の義を実現しないからです。

ὀργὴ / ὀργὴ (怒り)
γὰρ / γὰρ (~だから)
ἀνδρὸς / ἀνήρ (人)
δικαιοσύνην / δικαιοσύνη (義 正しさ)
θεοῦ / θεός (神)
οὐκ / οὐ (~ない)
ἐργάζεται / ἐργάζομαι (~をなす、実現する、作り出す)

訳としては1:20は「人の怒りは神の義をなさないからです」という感じか。

ἐργάζεται は、「行い」「働き」を意味する ἔργον エルゴンと同じ語幹なんだな。似た語( κατεργάζεται )が1:3にも出て来る。
ガラ 3:5に「ἐνεργῶν エネルゴン」が「働かせるもの」という意味で出てきます。新共同訳と口語訳では分かりにくいので、佐竹明訳で引用します。

(ガラ 3:5 佐竹明訳)
一体あなたがたに霊を与え、あなたがたの間で力を働かせるもの(=神)[がそれを行うの]は、律法のわざに基づいてか、それとも信仰の説教にもとづいてか。

「働かせるもの」というのが「ἐνεργῶν エネルゴン」で…あぁこれはエネルギーの語源なんだとやっと気づきました。
エルゴンって意外とポピュラーな言葉だったのだなぁと。
【アルク】の語源辞典で「energy」を調べるとラテン語・ギリシャ語が語源になったとあります。
アレルギーも下記のように同じ語源だそうです。

allergy アレルギー
[語源] Gk. allos(=他者の、異物の)+ergon(=働き) = all+erg
(アルク 語源辞典より)

「義」に当たる語は、正しさを意味する語です。
終末における神の裁きにおいて、正しいとみなされるという意味ですね。
「神の義」というと、神が正義であるというような意味になりそうですが。たぶん、神が義しいことは大前提になっているはず。田川氏の訳注によると「神の義」は「神が神たることを示す」という意味であると解説しています。
この「神の義」という表現は(ローマ 1:16-19)にもあります。こちらは田川訳で引用します。

(ローマ 田川建三訳)
1:16 すなわち、私は福音を恥としない。それはすべて信じる者にとって、第一にユダヤ人にとって、またギリシャ人にとっても、救いへといたらせる神の力である。
1:17 何故なら神の義はその中で、信から信へと啓示されるからである。「義人は信から生きるであろう」と書いてあるように。
1:18 すなわち、神の怒りは真理を不義においてはばもうとする人間たちのすべての不敬虔、不義に対して天から啓示される。
1:19 何故なら、神について知りうることは、彼らのうちに明らかだからである。神が彼らに対してそれを顕わし給うたのだから。

田川訳だと、神の力が「信から信へと啓示される」(1:17)という説明は、「不義においてはばもう」とする人の「不義」に対して…啓示される」(1:18-9)とが対応しているのが分かりますね。
「信から信へ」の方は僕には難解ですが、神の怒りが不義に対して啓示されるというのはつかみやすい感じです。

この「信から信へ」の部分は解釈が難しく、新共同訳、口語訳はかなり違っています。田川訳はストレートな訳であり、意味がつかみやすいようです。
田川訳の訳注によると、「信」はギリシャ語の pistis の訳語とのこと。信仰(人間が神ないしキリストに対して持つ信仰)と伝統的に訳されているが、人間のもつ「信仰」の意味とは限らないとのこと。語の本来の意味は、「信頼」「誠実」「信実」といった意味だそうです。「神の pistis 」は、「神は誠実であること」「神の信実」「神には偽りがない」の意味だそうです。
相手に対して信頼を保つとすれば、この語は、「相手を信じること」という意味にもなり、その場合は「信仰」と訳せるすこともできるとのことです。(「訳と註 3」 p166)
「神の義」については諸説を紹介しながら、バルトの「神が神たることを示すということ」という理解が妥当であるとしてます(「訳と註 4」p115)

おそらく、ヤコブの手紙の「神の義」という語もそのパウロの用法を踏まえて理解した方がよいのでしょう。
なので、「神の義」は「神が神たることを示すということ」という意味で理解しておきます。人間が怒ったところで正義とは限らないということでしょうか。

というか、これは旧約聖書の伝統的なスタンスなのか。
パウロも同じ趣旨のことを言ってますね。

(ローマ 12:19)
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。

パウロが書いてあると言っているのは、申命記を指しています。
(申命 32:35)
わたしが報復し、報いをする/彼らの足がよろめく時まで。彼らの災いの日は近い。彼らの終わりは速やかに来る。

ヤコブの手紙は、パウロを踏まえて理解するべきなようですので、ちびちびパウロも読んでますが、なかなか難しい。

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