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創造について3 (例によって懐疑的な話です)

ヤコブ 1:18の創造信仰に関連して、…これはその理解の試みです。

時々「創造科学」という疑似科学を論じているサイトを見かけたりします。
それらは創世記の記述を科学的に検証するなどといいながら、結局現実を認めず、批判を認めないだけのようです。
つまり知的な「誠実さ」を欠いているようです。
現実をちゃんと見れないのならば、聖書なんて解釈の難しい本はちゃんと読めないのではないかと心配になりますが。

僕は少々ひねくれているので、創造科学の科学になってないという知的な「不誠実さ」に対して、その「不誠実さ」をマネたくなってきます。
こちらは逆に宗教的ソーカル論文みたいなものをつくって、全く信仰してないのにその手の用語をちりばめて、お説教レトリックだけで作った疑似信仰テキストをつくりたくなる。
しかもちょっと感動的につくってやる。
そしてあとから、デタラメ書いただけでしたと公表して、「その手の作文などチョイチョイと作れるものでして、まぁ宗教の本質などと言うのはそのレトリックで説明し尽くせるようなモノなのですよ」と言い放つわけです。
宗教的な作文などそのレトリックでいくらでも再現可能だと。そのテキストにかけているのは「誠実さ」だけだ。
でもテキストに「誠実さ」が欠けていることはあとでちゃんと認めるわけですが、宗教的な人が「誠実か」どうか知りませんよ、と。

面倒くさいし、悪趣味だし、そんな不誠実なことしてもしょうがないし、(…感動的どころか、つまらん作文しかできないと癪だし)。
だから、やらないけど。
でも創造科学についての記事を読むたびに、そんなことを悶々と考えていたりします。

でも、創造信仰に反対しているつもりはないのですけどね。
創造信仰について理解しようとするときに、この創造科学などへの嫌悪感が邪魔して感情的に反発してしまうのです。
そんなもの無視して、ヤコブの手紙の著者が一体どのように考えているのかを淡々と問うていけばいいのですが。
僕は勝手に読んでるだけなので、信仰者さんには関係ない話でしょうけど。

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