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ヤコブによるパウロ批判

ヤコブの手紙の著者は、神は一貫して良い物を贈ってくれているのだと主張します。
これはパウロの神学と食い違ってきます。たとえば、

 (ガラテヤ 3:19)
 それでは、律法はなんであるか。
 それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、
 約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、
 かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。

 (ローマ 7:7-8 一部)
 …しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。
 たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。
 ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。
 律法がなければ罪は死んでいるのです。

「むさぼるな」については、まぁその説明でも結構ですが、
じゃあ、律法に殺すなと書いてあったから、殺すようになったのか。
殺すなと書いてあったから、自分の中の殺意が機会を得て、人を殺すようになったとでも言うのか。
神は律法を与えて、人を殺人へ誘惑しているのか。
…という突っ込みができそうな話ですが。

パウロのような律法理解に対して、ヤコブの手紙の著者は「思い違いをしてはいけない」と批判し、神は一貫して良い物を与えてくれているのだ、と言っている文脈なのでしょう。

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