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ヤコブ 1:18

βουληθεὶς ἀπεκύησεν ἡμᾶς λόγῳ ἀληθείας εἰς τὸ εἶναι ἡμᾶς ἀπαρχήν τινα τῶν αὐτοῦ κτισμάτων.

(口語訳) 父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである。

「意図する βουληθεὶς」は受動相アオリストの分詞ですが、諸訳でも能動の意味で訳されてます。
「~したい βούλομαι」の受動アオリスト「私は~したかった έβουλήθηε」などは能動の意味で訳すそうです。ここはその分詞の形です。
「御心のままに」と新共同訳・口語訳・辻学訳・新改訳で訳されていますので、それがベストなのでしょう。難しいので、諸訳の真似しておきます。

「(彼は)御心のままに私たちを真実の言葉によって産んだ。私たちをいわば被造物たちの初穂にするために。」という感じの訳になるでしょうか。

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おそらく「わたしたち」は「初穂」の捧げ物ように清められている存在なのですよと言ってるのでしょう。
内容的には、 ヤコブ 1:12とつながっているようです。
 (ヤコブ 1:12)
 試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、
 神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。

1:12以降は、「試練」は神が与えたものではないことを確認しています。
試練は、各々のもつ欲望に由来し、そうして罪に至るのだと。
試練に耐えたものが「命の冠」をもらうという文脈です。
1:18のニュアンスだと、欲望を抱えた人間がなぜ「命の冠」をもらえるのか、という疑問に答えているようです。
つまり、人間は欲望を抱えている存在だが、「初穂」の捧げ物のように清めてもらえるのだ、と。

「いわば被造物の初穂」という表現は、二つの意味に読めます。

1,被造物のなかでキリスト教徒が「初穂」とされる
 「わたしたち」というのは限定された意味で、キリスト教徒が救われる存在なのですよと説明している。
 「わたしたち」は被造物のなかで最初に清められる存在なのだ、というようなニュアンス。

2,神が清めてくれるので「すべての人」が「初穂」として清められるのだ
 「被造物」という語を用いたのは、清める儀式を行うのは神であることを示すためで、
 神の広大なスケールで清めるので「わたしたち」はやや広い意味に解する。

まぁ、こんなのはどう解釈してもよさそうですが。

なぜそのように神が「初穂」としてくれると分かるのか。
4:13-15では来年のことを計画するだけでも、「主のみこころであれば」などと言うべきだとヤコブの手紙の著者は言ってます。
ここではなぜ初穂とするかどうかの計画について彼が何か言えるのでしょう。

そのような問いについては、ここで「御旨のままに、生み出して下さったのである」と言ってることが効いてくるような気がします。
突っ込まれると「それでは、神の創造にケチをつけるのか」と聞き返すつもりなのかも。もしそうならば、2の解釈の方が良いのかも。

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