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ヤコブにとっての「世」とは

ヤコブの手紙の著者は、「世」を否定的にとらえています。

(ヤコブ 4:4)
不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。
おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。

3:15では、「世」と「悪魔から出たもの」を同一視しています。
これは霊肉二元論をとっているようです。「世」というものは不完全な「肉」に属するという考え方です。パウロなんかも前提してます。
この「世」という言い方は、ヨハネ福音書などに多く見られます。

(ヨハネ福 1:10)
彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。

(ヨハネ福 17:14)
わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。

ヨハネ福音書が述べる「世」というのは、光と対極にある闇であり、神の言葉を理解しえず、神を憎むものと捉えられています。
ヨハネ福音書の著者は、ひどく弾圧を受けたのでしょうか。「世」と「ユダヤ人」が同一視されています。
(僕のような素人が読むと、ヨハネ福音書は「ユダヤ人」に対する鬱々とした恨み節が神学になったようなとても陰気な文書に感じます)
ヤコブの手紙の著者は、「世」と「ユダヤ人」を同一視したりしてないようですが。

ヨハネ福音書は、「世」を否定し切っているので、「わたしが世のものでないように、彼ら(キリスト教徒)も世のものではないからです」と現実世界に住んでいないようなことを言ってます。
「世」を否定する厭世的なスタンスというものは、どちらかというと貧者の救済に興味はないかと思います。
でもヤコブは 2:16で、貧しい人に対して「からだに必要なものを何ひとつ与え」ないことを批判しています。
体に対して必要なものを与えないならば、そんな信仰は役に立たないとしています。
人間が「世」に属するものであると認めているから、肉体に必要なものを分かち合うことを重視するわけです。
「世」に属していないならば、肉体に必要なものなどはどちらでもよいことです。霊的なことこそ重要であり、霊に属するものならば神によって救われるのだから、問題にするまでもないと判断しそうです。
でも、ヤコブの手紙の著者は、そう考えていない。
ここがしっくりこない。

We are the world」という歌があります。80年代のチャリティーソングです。結構感動的な曲です。
この歌詞はヨハネ福音書の表現に似ているところがあります。
似ているけど、違うことを言ってます。
そもそもタイトルが、「We are the world 私たちは世である」です。
ヨハネ福音書ならば「わたしたちは世ではない」でしょう。
僕はこの歌は、「世」に属している不完全なものだからこそ、助け合って生きていかねばならないというニュアンスに理解してます。
ヨハネ福音書のような考え方だと、困っている人を救済しようという話にうまくつながらないので、自然と歌詞が逆になってしまったのではないかと感じます。

あと2番の歌詞に「石をパンに変える As God has shown us by turning stones to bread」とあります。
たぶん、これはイエスが悪魔に誘惑を受ける場面のことを指していると思うのですが(マタイ 4章、ルカ 4章)、これはパンを石に「変えない」話です。
この歌詞なんかは、アメリカ人は変だなと思わなかったのかな。

(マルコ 6:30、8:1には少ないパンを数千人の飢えた群衆に分ける奇跡が語られてます。奇跡によってパンを与えるという意味では近い。マルコ福音書は逆に悪魔に誘惑されて「石をパンに変えることを拒否する」話が欠けています。)

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