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ヤコブ 1:13

μηδεὶς πειραζόμενος λεγέτω ὅτι ἀπὸ θεοῦ πειράζομαι· ὁ γὰρ θεὸς ἀπείραστός ἐστιν κακῶν, πειράζει δὲ αὐτὸς οὐδένα.

(口語訳) だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。

μηδεὶς / μηδεὶς (誰も~ない) − 形容詞: 主格 単数 男性
πειραζόμενος / πειράζω (誘惑される) − 動詞: 現在 受動 分詞 主格 単数 男性
λεγέτω / λέγω (言う) − 動詞: 三人称 現在 能動 命令法 単数
ὅτι / ὅτι (英語のthatに近い) − 接続詞
ἀπὸ / ἀπὸ (of) − 前置詞
θεοῦ / θεὸς (神) − 名詞: 所有格、属格 単数 男性
πειράζομαι / πειράζω (誘惑される) − 動詞: 一人称 現在 受動 直接法 単数
 / ὁ (英語のthe) − 冠詞: 主格 単数 男性
γὰρ / γὰρ (~だから) − 接続詞
θεὸς / θεὸς (神) − 名詞: 所有格、属格 単数 男性
ἀπείραστός / ἀπείραστος (誘惑されえない) − 形容詞: 主格 単数 男性
ἐστιν / εἰμί (行く) − 動詞: 三人称 現在 能動 直接法 単数
κακῶν / κακός (evil) − 形容詞: 所有格、属格 複数 中性
πειράζει / πειράζω (誘惑する) − 動詞: 三人称 現在 能動 直接法 単数
δὲ / δὲ (しかし) − 接続詞
αὐτὸς / αὐτὸς (彼自身) − 人称 / 所有代名詞: 主格 単数 男性
οὐδένα / οὐδείς (誰も) − 形容詞: 対格 単数 男性

「誘惑される時にだれも神から誘惑されると言ってはならない。神は悪に誘惑されて行かないし、また彼自身だれも誘惑しない」という感じでしょうか。

ἐστιν の訳し方が気になりますが、まぁそれよりも内容ですね。

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ヤコブの手紙の冒頭から語られている試練というものを、神から与えられた試練なのだと解釈していた人は、このあたりで混乱するのではないかと思います。
外部からの弾圧のようなものを想定して読んでいると、神とは関係ないと言われると何だか物足りないのではないかと思います。

ヤコブさんはヨブ記を読んでいないのでしょうか。
あれはあくまで神が行ったのではなく、サタンがやっただけだと考えてるのだろうか。
全能の神には責任能力がないのかという話です。

僕はヨブ9章が聖書のなかで一番好きな部分なのですが、この神義論の凄まじさは、不幸に陥ったときにサタンなど持ち出さずこれを神に帰しているところにあると思います。
この世にある苦しみについて、それを不当であると感じる点について、ヨブは神と対決する姿勢をもっている。
神が全能であるならば、神と対決するしかない。これが潔い。

ヤコブの手紙の著者は、どのように考えているのでしょう。

注解書によると、初期ユダヤ文献には「神からの試み」を否定する考え方も見出されるそうです。
いわゆるイサクの燔祭についても、ヨベル17:16では悪霊の頭領マステマが神に、アブラハムを試みるように勧めたことになっているそうです。
また、ウィキペティアの「イサクの燔祭」には、ユダヤ教での解釈について下記のような記載がありました。

>ハザルによれば、『エレミヤ書』の7章31節に記されているモレク神の人身御供を非難する神の言葉との兼ね合いを考えれば、
>アブラハムに対する命令は神によるものではなく、また神の意思が反映されたものでもないとしている。

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