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辻学氏の「ヤコブの手紙」の注解書を買った

日曜に辻学氏の「ヤコブの手紙」の注解書を買った。
まだ、ぜんぜん途中までしか読んでませんが、あぁなるほどと思うところが多々あります。
やはり注解書は読んでおくものです。
でも、このテの本はやたらと高い。なんとかならないものなのでしょうか。

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この本では、ヤコブのいう「完全」と「二心」とは、反対のことを指す術語であるとしている。
「完全」とは、旧約・ユダヤ教的な神への全き服従を指しており、
「二心」とは、神への信頼を欠いた状態であり、ヤコブは「完全 対 二心」という構図で主題をとらえているとのことです。
神に一心に従う態度こそが「倫理的な落ち度のなさ」だとヤコブは主張しているのだそうです。
また、1:9の「低い兄弟」が指している者は、「神の前で自分を低くしている、謙虚な」という意味を込めるために「貧しい」ではなく「低い」という語を使っている、とのこと。つまり、必ずしも貧しい人を指しているわけではないと。

うーむ。いま一つこのあたりには納得できないなぁ。
「二心」という語は別に「完全」の反対という意味ではないと思えます。
まず、ヤコブにとって「完全」という語の反対は、「欠けている」だと思う。
「欠けるところなく完全である」と反対の意味をもつものがあるとすれば、それは「知恵の欠ける者」でしょう。
おそらく、「知恵の欠ける者」というのは、典型的には教育を十分受けられなかった貧しい人なのではないでしょうか。
富んだ者は、どちらかといえば教育を受けていて、そこそこ知恵に長けていたということが前提にあるように思えます。
こういう時に、ヤコブという人は貧しい人の視点に立ってものを考えるタイプなのでしょう。
富んだ者がその知識を振り回して、「知恵の欠けた者」を馬鹿にしたり、軽んじたりすることにヤコブは憤っているのではないでしょうか。
ヤコブは知恵については、神に願えば与えられるのだ、としています。
「二心」というのは、願うときにちゃんと神を信頼して願いなさいという文脈でちょっと出てくるだけです。
ヤコブにとっては、知っておくべきことと言えば、すでに心に刻み込まれている言葉なのであり、何か別に知恵を得なければならないとも思っていないような気もします。
それでも、信徒の中には、「富んだ者はその知識を先に得ているのだから、いくらか有利なのだろう」と思う者もあるかも知れない。
ヤコブはそのような考えを一蹴します。富んだ者は草花のように滅びるのだ、と。

低い者が高く上げられ、高い者が低くされる。
ヤコブはこれを説明するとき、「低い」兄弟が高くされるという表現は、「貧しい」と言い換える必要は感じなかったようです。
しかし、「高い者が」という部分は、「富める者が」と言い換えます。
おそらく理由は二つ。
これによって、「低い兄弟」が貧しい者を指すことが明らかになるのが一つ。
もう一つは、「富める者」を「高い者」と呼ぶ気がしないからでしょう。

ヤコブの意識としては「貧しい者が高くされる」ということに違和感があるから、「低い兄弟」と言い換えたのではなく、これは単に高い・低いという対称表現を残しているだけではないでしょうか。
逆に「高い者」と呼ぶことに違和感があったので、「富める者」と言い換えているのではないでしょうか。
このあたりは、辻学氏の説明とは真逆に感じます。

なので「富める者」が「二心」の具体的な姿として挙げられてりいる(p64)という説明は、いま一つ納得できないです。
「二心」の者は、疑いを持っている人であり、そのような人は滅びるはずだと思い込んでいるので、そんな読み方になるのではないかと。
ヤコブは滅びるとまでは言っていない。

ヤコブは、自分の信仰が検証されることを喜びと思えと言っているわけでしょう。
これはたぶん、自分が信じているものは本当に真実なのか、ということが試されるということでしょう。
とくにここでは、他人の解釈に影響されて、惑わされるような状況があったのではないかと思われる部分です(1:8の2ペテロとの用語の類似から)。
疑ってみても、ちゃんと真実であることが明らかになるのだと思っているということではないでしょうか。
疑うことを原理的に否定するような人のもの言いではないと思う。そういう人だったら考えの違う相手は異端として排除しようとすると思う。

ヤコブは現代人と違って、批判的に検証されても真実であることが明らかになるだろうと、楽観的に考えていているようで、そういうヤコブのスタンスが分かりにくいのではないかという気がします。

…などとグダグダ書いて、ギリシャ語の勉強をさぼる。

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