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資料の読み直しなど

ヤコブの手紙は、パウロの神学を批判していると言われてるのでパウロの関連の本を読み直したりしています。

田川建三訳のパウロ書簡を読むと、たぶん伝統的なパウロのイメージとちょっと違うのではないかなと思う。
と言っても、「伝統的なパウロのイメージ」というものを知ってるわけでもないので、ただの想像ですが。
田川氏の訳は、徹底して本文に則し、その細かいニュアンスまでとらえて、ギリギリまで直訳のニュアンスを残しているようです。
それなのに、何か違うと感じるのではないかと思う。

E.P.サンダースの「パウロ」も伝統的なイメージとは異なったパウロ像を描いているようです。
6章では、ルターとパウロの違いについて論じられている部分がある(とくにp99-100)。
パウロはルターと違って罪責意識をもっておらず、「律法の義については非のうちどころのない者」(ピリピ3:6)で、「自分には何もやましいところはない」(1コリ4:4)と思っているような人物であると述べています。

 キリスト教徒の状態をひとことで言い表すルターのことばは、
 パウロのいう「責められるところのない」あるいは「欠点のない」(Ⅰテサ五23)ではなく、
 むしろsimul justus et peccator「義人にして同時に罪人」であった。
 これは、神の目には「義人」であるが、人間の日々の経験においては「罪人」であるという意味である。

サンダースはルターの問題意識からパウロを理解すると、パウロを誤解することになるという。
(サンダースはルターを否定しようなどと思ってないですよ)

で、その罪責意識をもってないパウロのイメージを、田川訳が結構とられえているので、逆に違和感があるのではないかなと思います。
期待したものとちょっと違ったからと言って田川訳を捨てたりしないように。

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