« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

ヤコブ 1:11の雑感

原始教会では、信徒になれば死なないと教えられていたらしい痕跡が残っています。

 「ヨハネによる福音書」8:52-53
 ユダヤ人たちが言った、「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。
 アブラハムは死に、預言者たちも死んでいる。
 それだのに、あなたは、わたしの言葉を守る者はいつまでも死を味わうことがないであろう、言われる。
 あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。
 彼も死に、預言者たちも死んだではないか。
 あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。

「死を味わうことがない」と謳っていることについて批判を受けているようです。
これは終末論と関係があるのではないかと思います。
つまり、終末が迫っていて、死ぬ前に神の国がやってくると考えられていた。
この世の終末が到来し、「言葉」を守っているものは神の国に入れられてそこで生き続けられる、ということでしょう。
永遠の命というのも、おそらく指している内容は同じものなのだろうと思います。

 「マルコによる福音書」9:1
 また、彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。神の国が力を持って来るのを見るまでは、
 決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。

しかし、原始教会が考えていたように終末はすぐには来なかった。
信徒のなかに亡くなる者も出てくる。
教会は信徒が亡くなる原因をその人の罪に求めたようです。

 「コリント人への第一の手紙」11:29-30
 主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。
 あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである。

使徒行伝5:1-5:11も、教会に属する夫婦が亡くなってしまったことについて、
そこに何か罪があったからであろうと、考えられていたことから生じた伝承ではないかと推測する学者もいます。
パウロは、先に亡くなった信徒は終末において復活し救われると期待しているようです。

 「テサロニケ人への第一の手紙」4:13-15
 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。
 望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。
 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、
 同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。
 わたしたちは主イエスの言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、
 眠った人々より先になることは、決してないであろう。

おそらく、使徒が生きている間に神の国が到来すると考えられていたかと思いますが(マルコ9:1)、
使徒も殉教したりするとそれも期待できないようになります。

 「ヨハネによる福音書」21:23
 こういうわけで、この弟子は死ぬことがないといううわさが、兄弟たちの間にひろまった。
 しかし、イエスは彼が死ぬことがないと言われたのではなく、
 ただ「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、
 あなたにはなんの係わりがあるか」と言われただけである。

終末がいつなのか、神の国はいつ到来するのかという問題に原始教会は悩まされていたように思えます。
「テサロニケ人への第二の手紙」2章では、「不法の秘密の力」によってその到来が阻止されているとして終末の遅延を説明しています。
「まず背教のことが起こり、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない」(2テサ 2:3)と終末の発端のようすを説明します。
(これはマルコ13章の「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つ」というのと同じことを指しているようです)

 「マルコによる福音書」13:32-33
 その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。
 気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。

最初に書かれた福音書マルコには
「よく聞いておくがよい。神の国が力を持って来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」
と断言されていますが、この言葉を伝承するときルカ福音書9:27では「力を持って来る」という部分が削られます。
「よく聞いておくがよい、神の国を見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」(ルカ 9:27)
神の国の到来を伝える伝承が、神の国を「見る」だけに変わっています。

神の国の到来を強く期待しながら、それがいつの日か分からないし、いつになっても構わないのだと考えるようになるようです。
これは原始教会が終末の遅延に苦しみながら得た結論ではないかと感じます。

ヤコブの手紙で、「富んでいる者も、人生の半ばで消えうせるのです」(1:11 新共同訳)と言っているのは、
神の国が到来する前に、富んでいる者は死んでしまうのだと言っているのだろうと思います。
そして、死を招かないように罪を避けるべきだと考えているのではないかと思います(ヤコブ1:15)。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

僕等のダイアリー

懐かしい曲。H2Oの「僕等のダイアリー」。
「翔んだカップル」というドラマで使われた曲。ドラマについては轟二郎さんが「ボキは~」と言っていたことぐらいしか覚えてないけど。
来生たかおさんの曲だったんですね。
彼の曲は、いい曲が多い。大橋純子の「シルエット・ロマンス」、中森明菜の「セカンド・ラブ」「スローモーション」、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」など。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:11

ἀνέτειλεν γὰρ ὁ ἥλιος σὺν τῷ καύσωνι καὶ ἐξήρανεν τὸν χόρτον καὶ τὸ ἄνθος αὐτοῦ ἐξέπεσεν καὶ ἡ εὐπρέπεια τοῦ προσώπου αὐτοῦ ἀπώλετο· οὕτως καὶ ὁ πλούσιος ἐν ταῖς πορείαις αὐτοῦ μαρανθήσεται.

(口語訳) たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。

ἀνέτειλεν / ἀνέτειλεω (昇る) − 動詞: 三人称 アオリスト 能動 直接法 単数
γὰρ / γὰρ (~だから) − 接続詞
 / ὁ (冠詞 the) − 冠詞: 主格 単数 男性
ἥλιος / ἥλιος title="ēlios (太陽) − 名詞: 主格 単数 男性
σὺν / σὺν (~を伴って) − 前置詞
τῷ / ὁ (冠詞 the) − 冠詞: 与格 単数 男性
καύσωνι / καύσων (灼熱) − 名詞: 与格 単数 男性
καὶ / καὶ (そして) − 接続詞
ἐξήρανεν / ἐξήρανω (乾燥する) − 動詞: 三人称 アオリスト 能動 直接法 単数
τὸν / τὸν (冠詞 the) − 冠詞: 対格 単数 男性
χόρτον / χόρτος (草) − 名詞: 対格 単数 男性
καὶ / καὶ (そして) − 接続詞
τὸ / ὁ (冠詞 the) − 冠詞: 主格 単数 中性
ἄνθος / ἄνθος (花) − 名詞: 主格 単数 中性
αὐτοῦ / αὐτός (彼自身) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 単数 男性
ἐξέπεσεν / ἐκπίπτω (落下する) − 動詞: 三人称 アオリスト 能動 直接法 単数
καὶ / καὶ (そして) − 接続詞
 / ὁ (冠詞 the) − 冠詞: 主格 単数 女性
εὐπρέπεια / εὐπρέπεια (良い外観 見ばえ) − 名詞: 主格 単数 女性
τοῦ / ὁ (冠詞 the) − 冠詞: 所有格、属格 単数 中性
προσώπου / πρόσωπον (表面) − 名詞: 所有格、属格 単数 中性
αὐτοῦ / αὐτός (彼自身) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 単数 中性
ἀπώλετο / ἀπόλλυμι  (破壊する) − 動詞: 三人称 アオリスト 中動相 直接法 単数
οὕτως / οὕτω (故に、このように) − 副詞
καὶ / καὶ (そして) − 副詞
 / ὁ (冠詞 the) − 冠詞: 主格 単数 男性
πλούσιος / πλούσιος (富んだ者) − 形容詞: 主格 単数 男性
ἐν / ἐν (~において) − 前置詞
ταῖς / ὁ (冠詞 the) − 冠詞 πορείαις / πορεία (足取り 歩み 旅) − 名詞: 与格 複数 女性
αὐτοῦ / αὐτός (彼自身) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 単数 男性
μαρανθήσεται / μαραίνομαι (消す 空費する) − 動詞: 三人称 未来 受動 直接法 単数

---

「太陽が灼熱をともなって昇ったので、草を枯れさせ、そしてその花は落ち、そのおもての見栄えを破壊した。このようにまた富んだ者はその足取りのなかで消えて行くだろう」という感じでしょうか。

「昇る」「枯れる」「落ちる」という語はアオリスト。「昇った」「枯れた」「落ちた」と単純に過去の出来事を表します。未完了過去のように継続・開始の意味はないそうです。「昇ったので」と訳すと、たまたまそんなことがあったと言ってるみたいになります。たぶん口語訳のように現在形で訳した方が言ってるニュアンスが伝わるのではないかと思えます。

富んだ者の上っ面の美しさ、見栄えの良さなど、そのうち廃れるのだということですね。
マタイ 13:6の種を蒔く人の譬え、「日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった」という話と近い表現です。
譬えの内容からすれば、「茨の中に蒔かれた種」に近い。つまり、「この人たちは御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない」(マルコ 4:18-19)という部分です。

ここでは富んでいる者が道の半ばで滅びるということを述べて、次の段で一般の信徒に対して、誘惑を斥けて罪を避けて耐え忍べば「死」を招かずに済むと教えているようです。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブ 1:10

δὲ πλούσιος ἐν τῇ ταπεινώσει αὐτοῦ, ὅτι ὡς ἄνθος χόρτου παρελεύσεται.

(口語訳) また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。

 /ὁ (the) − 冠詞: 主格 単数 男性
δὲ /δὲ (しかし) − 接続詞
πλούσιος /πλούσιος (富んでいる者) − 形容詞: 主格 単数 男性
ἐν /ἐν (in) − 前置詞
τῇ /τῇ (the) − 冠詞: 与格 単数 女性
ταπεινώσει /ταπεινώσει (低下、地位を落とす) − 名詞: 与格 単数 女性
αὐτοῦ /αὐτοῦ (彼の) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 単数 男性
ὅτι /ὅτι (英語のthatの用法に近い) − 接続詞
ὡς /ὡς (~のように、そのような) − 接続詞
ἄνθος /ἄνθος (花) − 名詞: 主格 単数 中性
χόρτου /χόρτου (草) − 名詞: 所有格、属格 単数 男性
παρελεύσεται /παρελεύσεται (過ぎ去る) − 動詞: 三人称 未来 中動相 直接法 単数

---

「富んでいる者は低いところにある彼のゆえに。
草の花のように彼は過ぎ去るだろうから」
という感じでしょうか。「ゆえに」と訳せるものなのか自信ないですが。
低下とか、地位が下がること、卑しめられることなどを意味する名詞に、「彼の」という語がついて冠詞がついている。
「彼の地位の低下」とか「彼の卑しめられること」において、富んだ者は誇りなさいと訳すべきか。

「富んでいる者」は、おそらくその場にはいないのでしょう。
ヤコブ 2:6、5:1-6などの言葉は、目の前の人に言ってるわけではないでしょう。
富んでいる者については、「兄弟」とも呼ばれてもいないですし。そこにはいないのでしょう。
低い身分の兄弟については、高いところに上げられている。でも、これは兄弟(つまり信徒)全員ではないでしょう。語も単数ですし。
低い身分の人は特別に救われる。では、富んでいる者は救われるのでしょうか。
滅びる前提で語っているように思えます。
それとも「富んでいる者」は低くされたから滅びないので喜べという意味か。両方救われる話だったらコントラストになってないし。

「過ぎ去るだろう παρελεύσεται」と同じ語は、
マタイ 24:35 「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」の「滅びる」と訳されている語と同じです。
おそらくここでも滅びるという意味なのでしょう。

花や草は、枯れてしまうものの象徴だったのでしょうか。
「富んでいる者」は、草花のようにあっけなく枯れてしまうのだ、と。

(イザヤ 40:6-8)
…肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。
草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。
草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

(マタイ 13:6)の種を蒔く人の譬え
しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

マタイ 13:6は、次のヤコブ 1:11にさらに近い表現ですね。というか、この譬えがベースにあるのかな。
しっかり根付いていないと、枯れてしまうのだということ。
ヤコブが何に根付いているべきだと考えているのか、理解する足しになりそうです。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:9についての雑感

「低い身分の兄弟」という語は、「富んでいる者」と対称的に捉えられている。
なので意味としては「低い身分の兄弟」は「貧しい人たち」と同義なのだろうと思う。
ヤコブは貧しい人々が何の条件もなく救われることは、当り前だと思っているようです。

「貧しい人たち」という表現は、山上の垂訓などにあります。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」(マタイ 5:3)
マタイの場合は、「こころの」という語がついていて、貧乏人を指しているのではないようです。
しかし、「こころの」という部分はルカ 6:20との比較から、おそらくマタイが解釈的に付加したのだろうと聖書学の本では書かれています。
おそらく伝承の原型は、
「貧しい人たちは、さいわいである、神の国は彼らのものである」
と、貧乏な人たちを指していたと考えられています。
これは誰かと論争していたときの言葉だったのだろうと推測されています。
「彼らのものである」という部分は、つまり「あなたのものではなく」というニュアンスを持っているからです。

(マルコ 10:24-26)
弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、
「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。
富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。

富んでいる者は救われ、貧乏人など救われないというのが常識だったようです。
だから、神の国は貧しい人々のものだとイエスが宣言すると、人々から批判を受けたのでしょう。

ネットでは、富んでいる者が神の国に入ることについて、無理とは言っていないという解釈を見かけます。
「らくだが針の穴を通る…」という表現について、「針の穴」と呼ばれるイェルサレムの城壁の穴があったのだという説も見かけました。その穴はらくだがやっと通れるサイズの穴だったそうだ。
でも、まぁ違うでしょう。
富んでいる者は、神の国に入れないという意味でしょう。

貧しくて苦しんだ人々が救われる。それは当然だという感覚で語っているのでしょう。
ヤコブもそのような感覚で語っているようです。

ヤコブ 1:10では、低くされた富んだ者は結局滅びる、と言ってるのだろうか。低くされたら富んだ者も救われるのか、どっちなのだろう。
…僕がちょっと読んだ感じでは、滅びるけどそれを喜べと言ってる気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:9

Καυχάσθω δὲ ἀδελφὸς ταπεινὸς ἐν τῷ ὕψει αὐτοῦ,

(口語訳) 低い身分の兄弟は、自分が高くされたことを喜びなさい。

Καυχάσθω /Καυχάομαι (誇る 大声で話す) − 動詞: 三人称 現在 中動相 命令法 単数
δὲ /δὲ (しかし) − 接続詞
 /ὁ 冠詞: 主格 単数 男性
ἀδελφὸς /ἀδελφὸς (兄弟) − 名詞: 主格 単数 男性
 /ὁ 冠詞: 主格 単数 男性
ταπεινὸς /ταπεινὸς (低い 謙虚な 貧しい) − 形容詞: 主格 単数 男性
ἐν /ἐν (~において) − 前置詞
τῷ /τῷ (the) − 冠詞: 与格 単数 中性
ὕψει /ὕψος (高い所 頂上) − 名詞: 与格 単数 中性
αὐτοῦ /αὐτός (彼自身の) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 単数 男性

---

δὲ は話が切り替わるのでついているようです。「しかし」というよりは「そうしてまた」と話を仕切り直す感じ。
αὐτοῦ が所有格、属格なのが難しい。対格で「彼自身を」となっていたら「彼自身を誇りなさい」と訳せるけど、所有格、属格なので「彼自身の」です。
属格には起源や分離を示す「~から / from」の意味もあるそうなので、「彼自身のゆえに」とでも訳せるのだろうか。

「そうしてまた、地位の低い兄弟は、高みにある彼自身のゆえに誇りなさい」

「高いところにある」とか「高みにある」とか「頂上にある」とかそんな意味のようです。
口語訳のように「高くされた」という上昇してゆくニュアンスがないのですが、意訳なのでしょうか。見落としかな。

「誇る καυχάσθω 」の用例は、
1コリ 1:31 それは、『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりである。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:8

ἀνὴρ δίψυχος ἀκατάστατος ἐν πάσαις ταῖς ὁδοῖς αὐτοῦ.

(口語訳) そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。

ἀνὴρ /ἀνὴρ (人) − 名詞: 主格 単数 男性
δίψυχος /δίψυχος (二心の) − 形容詞: 主格 単数 男性
ἀκατάστατος /ἀκατάστατος (安定を欠く) − 形容詞: 主格 単数 男性
ἐν /ἐν (in) − 前置詞
πάσαις /πᾶς (全て) − 形容詞: 与格 複数 女性
ταῖς /ὁ (the) − 冠詞: 与格 複数 女性
ὁδοῖς /ὁδός (道) − 名詞: 与格 複数 女性
αὐτοῦ /αὐτός (~自身の) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 単数 男性

---

動詞がない文章。省略された動詞を補って訳しているケースが多いようです。
何が略されているのか、僕は想像もつかないので、単語をそのままつなぐと、
「彼のその全ての道において、安定を欠く二心の者(は)」

口語訳の「二心の」という訳は、見事なぐらいそのまま直訳されている。
「心」にあたる部分はサイコという語ですね。英語のpsycheのスペルの「ps」はギリシャ語の「ψ」(ps)から来てたのですね。

「安定を欠く」という語も、たぶんστατος という語が組合わさってできた語な感じですが、ちょっと調べ方が分かってないです。
2ペテロ 2:14「彼らは心の定まらない者を誘惑し…」( ἀκαταπαύστους )に似た語があります。
2ペテロ 3:16の「…無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている」も。
これらは同じようなことを指しているようです。
2ペテロは、正統派意識というか、異端を排除しようという文脈になっているみたいですが。
ヤコブの手紙の方には、異端を排除してやろうという意図は今のところは感じないです。でも当時、教義の解釈の混乱があって、それに動揺している信徒がいたのではないかと思います。その点は2ペテロの状況と近いのではないでしょうか。

ヤコブは、「無学で心の定まらない人」が、他人の解釈に影響されてひどく不安に陥っているので、
何をやっても心の安定を欠いてる者は、神から何ももらえないぞ、と落ち着くように言っているようです。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:7

μὴ γὰρ οἰέσθω ἄνθρωπος ἐκεῖνος ὅτι λήμψεταί τι παρὰ τοῦ κυρίου,

(口語訳) そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。

μὴ /μὴ (~ない) − 副詞
γὰρ /γὰρ (~だから) − 接続詞
οἰέσθω /οἰμαι (期待する) − 動詞: 三人称 現在 中動相 命令法 単数
 /ὁ (the) − 冠詞: 主格 単数 男性
ἄνθρωπος /ἄνθρωπος (人) − 名詞: 主格 単数 男性
ἐκεῖνος /ἐκεῖνος (そのような~は) − 指示詞: 主格 単数 男性
ὅτι /ὅτι (英語のthatに近い) − 接続詞
λήμψεταί /λήμβάνω (受ける) − 動詞: 三人称 未来 中動相 直接法 単数
τι /τίς (何か) − 疑問詞 / 不定代名詞: 対格 単数 中性
παρὰ /παρὰ (~の傍らに、~から) − 前置詞 (動詞を伴って、行き来やもたらされること)
τοῦ /ὁ (the) − 冠詞: 所有格、属格 単数 男性
κυρίου /κυριος (主人) − 名詞: 所有格、属格 単数 男性

---

「そのような人は主から何か受けるだろうと期待してはいけないからです」という感じ。

「期待してはいけない」「そのような人は」「主から何か受けるだろうと」という語順になっている。
「受ける」という語が中動相になっている。
神に求めて、その願いを神が受けて、それを神が与えてくれて受け取る、というやりとりがあるというニュアンスなのでしょうか。
「主」に冠詞がついてます。1:1では冠詞なしでした。何か区別しているのでしょうか。たとえば、冠詞がついてるとヤハウェを指しているとか…?。それとも、最初に出てくる時はつかなくて、二度目からは「その主が」というニュアンスでつくとか。

「そのような人」で指しているのは、不安で荒れている人を指しているのではないかなと思います。

(ピリピ 1:6)「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」とパウロは書いてます。
ヤコブの手紙は、ピリピの手紙よりも大分後に書かれた可能性が高いですが、良いわざというものを「完成した」と思っていたかどうかは疑問です。
ヤコブ1:4では、完全なものとなるようにと言ってますが、完璧に出来たと言っているのではなく、できるだろうと期待しているわけです(接続法/仮定法で書かれてます)。
そういう楽観的な言葉で、不安に陥った信徒を落ち着かせている言い回しに感じます。

やっていることに疑いが生じたら落ち着いて神に問うてみろ、答えが返ってくることを疑うな、ぐらいの趣旨に思えます。
疑いを一切排除して信仰しないといかんと言ってるようにもとれますが、知恵が欠けてて困っている人へのアドバイスとして、ただ信じ込んでいろというのもなんでしょうから。
福音書のイエスも信仰を要求してますかね、からし種一粒ほど。
イエスさんが何を言ったとしても、ヤコブさんがどう思うかは分かりませんが。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:6

αἰτείτω δὲ ἐν πίστει μηδὲν διακρινόμενος· γὰρ διακρινόμενος ἔοικεν κλύδωνι θαλάσσης ἀνεμιζομένῳ καὶ ῥιπιζομένῳ.

(口語訳) ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。

αἰτείτω  /αἰτέω  (求める) − 動詞: 三人称 現在 能動 命令 単数
δὲ  /δὲ  (しかし) − 接続詞
ἐν  /ἐν (~の中で) − 前置詞
πίστει  /πίστει (信仰 誠実) − 名詞: 与格 単数 女性
μηδὲν  /μηδείς (無い) − 形容詞: 対格 単数 中性
διακρινόμενος  /διακρίνω (分離する 識別する 疑う) − 動詞: 現在 中動相 分詞 主格 単数 男性
 /ὁ  (the) − 冠詞: 主格 単数 男性
γὰρ  /γὰρ  (~だから) − 接続詞
ἔοικεν  /ἔοικα (似ている) − 動詞: 三人称 完了 能動 直接法 単数 (与格の語に掛かる)
κλύδωνι  /κλύδων (波) − 名詞: 与格 単数 男性
θαλάσσης  /θάλασσα (海) − 名詞: 所有格、属格 単数 女性
ἀνεμιζομένῳ  /ἀνεμίζομαι (風に揺られる) − 動詞: 現在 受動 分詞 与格 単数 男性
καὶ  /καὶ (そして) − 接続詞
ῥιπιζομένῳ /ῥιπίζομαι (吹き上げる) − 動詞: 現在 受動 分詞 与格 単数 男性

---

口語訳が「ただ」と訳しているのは、おそらくδὲ。「神に求めなさい。でも疑わずに…」と補足する文脈なので、「しかし」ではなく「ただ疑わずに…」と訳しているみたい。
口語訳の「信仰をもって」という部分は、「信仰において」とか「信仰にある」というような表現になっています。
「似る」は「波に」(与格 「~に」)に掛かると、woody63さんに教えていただいたpdfにありました(誤解でなければ)。日本語でも「波『に』似る」と言いますので、理解しやすいです。
「疑う」は、辞書でみると意味が多い。分ける、分離するというような意味が中心の語のようです。識別する、という意味は日本語の「分かる」の感覚に近いようです。「分離する」という語の「離しておく」(動かす)ようなニュアンスから「揺れる」「ためらう」「疑う」というような意味に派生したのでしょうか。
「疑う/揺れる」という語感からすると、海の波のたとえは、ギリシャ語の感覚では理解しやすいものなのかも知れません。
ヤコブはユダヤ人のキリスト教徒であったようですし、まだ教会が確立されてなかったような時代ならば、ユダヤ教の教えから離れることの不安は大きかったのではないかなと思います。弾圧が怖いとか、そういうだけでなく、ユダヤ教従来の考え方から離れることについて、これでいいのだろうかと不安になる人もいたのではないでしょうか。
なので、「疑わずに」というニュアンスは、科学・批判的な懐疑を指しているのではなく、従来の習慣と新しい習慣との間で不安を感じるようなものを指している気がします。
風の譬えの似た表現としては(エペソ 4:14)があります。
僕の感覚では一番近い話は(マルコ 4:35-41)です。
「疑う」という語に冠詞をつけて「疑う者」にしていますね。

「でも、疑うことなく信仰において求めなさい、疑う者は風に揺られ吹き上げられる海の波に似ているからです」というような感じでしょうか。
「信仰において」と「信頼において」の中間ぐらいのニュアンスの言葉があれば…思いつかないな。

レンブラント ガリラヤ湖の嵐の中のキリスト

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブログ訪問

油食林間さんの「原典聖書研究」というブログでは、聖書翻訳の誤訳について書かれている。
ルカ 6:31について書かれていて気になっていたので、疑問点を質問してみました。
その記事はこちら 「黄金律の誤訳

こちらの方はヴェルハウゼンなどのリベラル聖書学のことを、「破壊的聖書批評学」と呼んで批判されてます。
伝統的な聖書解釈と、リベラルな聖書学とはなかなか相容れないようです。…油食林間さんの解釈が伝統的かどうかはともかくとして。
僕はブルトマンや田川建三氏などが好きで、ヴェルハウゼンも翻訳があれば読みたいと思ってます。
学者みたいに、ネストレにこういう異読が載っていると理解できるようになりたくて、ギリシャ語をチビチビ勉強し始めたのでした。
まだまだ道のりは遠いけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:5

εἰ δέ τις ὑμῶν λείπεται σοφίας, αἰτείτω παρὰ τοῦ διδόντος θεοῦ πᾶσιν ἁπλῶς καὶ μὴ ὀνειδίζοντος καὶ δοθήσεται αὐτῷ.

(口語訳) あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

εἰ /εἰ (もし) − 接続詞
δέ /δέ (しかし) − 接続詞
τις /τις (誰か ある人) − 疑問詞 / 不定関係代名詞: 主格 単数 男性
ὑμῶν /σύ (あなた方) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 複数
λείπεται /λείπω (欠く) − 動詞: 三人称 現在 中動相 直説法 単数 (所有格・属格の語に掛かる)
σοφίας /σοφία (知恵) − 名詞: 所有格、属格 単数 女性
αἰτείτω /αἰτέω (求める) − 動詞: 三人称 現在 能動 命令法 単数
παρὰ /παρὰ (そばに、傍らに) − 前置詞
τοῦ /ὁ (theにあたる) − 冠詞: 所有格、属格 単数 男性
διδόντος /διδωμι (与える) − 動詞: 現在 能動 分詞 所有格、属格 単数 男性
θεοῦ /θεός (神) − 名詞: 所有格、属格 単数 男性
πᾶσιν /πᾶς (すべて) − 形容詞: 与格 複数 男性
ἁπλῶς /ἁπλῶς (気前良く、惜しみなく) − 副詞
καὶ /καὶ (そして) − 接続詞
μὴ /μὴ (~なく) − 副詞
ὀνειδίζοντος /ὀνειδίζω (叱責する) − 動詞: 現在 能動 分詞 所有格、属格 単数 男性
δοθήσεται /διδωμι (与える) − 動詞: 三人称 未来 受動 直接法 単数
αὐτῷ /αὐτός (彼) − 人称 / 所有代名詞: 与格 単数 男性

前半は「あなた方のなかの知恵の欠けている者は」のような意味かと思います。
「~者は」の部分は「ある人が」という語で、これが主格になってます。
「あなた方のある人」に、「もし知恵の欠けているならば」という条件がついている。
「欠ける」という語は所有格・属格の語に掛かる。「知恵の欠けた」という形になるので、日本語の感覚に近いです。
「すべて」という語の対格(すべてに)が、「すべての人に」という意味なのが難しいな。

なので、「あなた方のなかの知恵の欠ける者は、惜しまず咎めずにすべての人に与えてくれる神へ求めなさい、そうして彼に与えられるでしょう」という感じ。

「知恵」はソフィアという語です。フィロソフィーのソフィーですね。(1コリント 1:21)などにも出てくる語です。
「求める」という語は、ちょっと形は違うけど「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」(マタイ 7:7)にも出てくる語です。

ヤコブの文体の特徴なのでしょうか。わりと同じ単語が続けて出てくるので、単語を覚えるという意味では楽な気がします。

神が与えると言う時に賛美して、「惜しみなく、咎めることなく与えて下さる神」という言い回しが口をついて出てくるものなのだろうか。
それとも、知恵を出すのを惜しんだり、咎めたりするようなことが当時あって、それをちょっと批判しているのだろうか。
このあと貧しい人が集会で冷遇されたりすることへの批判があるけど、貧しいと教育が受けられず…というような状況でも批判しているのだろうか。
正規の教育が貧しくて受けられないということを批判しているならば、これはそんな連中の教養など問題にしなくていいのだ、重要なことは神に尋ねればいいのだ、ということで相手の知恵は神の知恵ではないのだと言ってるのかも。
…いや、単純に本気で神から与えられるのだと言いたいのかも知れないですが。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ツァイトガイスト 時代の精神」とニューエイジ

「ツァイトガイスト 時代の精神」は、ニューエイジ系の思想に影響されているのでしょうか。
ツァイトガイストとは一体どのような思想背景を持っているのでしょう。

ウィキペディアの「ニューエイジ」の項目を見てると、「みずがめ座の時代」(age of aquarius)など、ツァイトガイストで主張していたような説がそのまま出てくる。
これは神秘主義思想の一種らしいですが、僕はオカルティックなものは苦手なので、よく分かりませんが。
占星術がどうのという話をやめて、ツァイトガイストがもっと史的イエスの研究の方に進んでくれればいいのにと思っていたのだけど。みずがめ座がどうのという話が彼らにとってもっとも重要な部分だったならそれは期待できそうもないな。
なんか残念。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:4

δέ ὑπομονὴ ἔργον τέλειον ἐχέτω, ἵνα ἦτε τέλειοι καὶ ὁλόκληροι ἐν μηδενὶ λειπόμενοι.

(口語訳) 1:4 だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。

 /ὁ 限定的な冠詞(theにあたる): 主格 単数 女性
δέ /δέ (しかし、そして等) 接続詞
ὑπομονὴ /ὑπομονὴ (忍耐) 名詞: 主格 単数 女性
ἔργον /ἔργον (労苦) 名詞: 対格 単数 中性
τέλειον /τέλειος (完全な) 形容詞: 対格 単数 中性
ἐχέτω /ἐχω (持つ、持続する) 動詞: 三人称 現在 能動 命令法 単数
ἵνα /ἵνα (英語のso) 接続詞
ἦτε /εἰμί (英語のbe)動詞: 二人称 現在 能動 仮定法 複数
τέλειοι /τέλειος (完全な) 形容詞: 主格 複数 男性
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
ὁλόκληροι /ὁλόκληρος (完成した、完備した) 形容詞: 主格 複数 男性
ἐν /(~(の中)に in) 前置詞
μηδενὶ /μηδεὶς (何も・誰も~ない) 形容詞: 与格 単数 中性
λειπόμενοι /λειπω (欠ける、残す) 動詞: 現在 中性 中動相 分詞 主格 複数 男性

また、分詞が出てきました。
λειπόμενοιは中動相現在分詞。分詞は形容詞と同じように, 限定的(付加語的), 名詞的、述語的(副詞的)に用いられるとのこと。
少しずつ考えていきます。

マタイ 5:48の「あなたがたも完全な者となりなさい」と似たようなことを言っているようです。

---

後半の「ἐν μηδενὶ λειπόμενοι」は、欠けるという動詞λειπόμενοιが分詞なんですね。
μηδενὶが「何も~ない」という形容詞で、「何も欠けたところがない」となる。
欠けたところのないものにおいて完成した者となる、というような意味になるみたい。

前半がややこしい。
「しかし」にあたるδέ は、順接にも逆接にも使うようです。基本的には「しかし」だけど、文脈によっては「そして」と訳すみたい。こういう文章の2語目によく入っているようです。
「忍耐は」「労苦(を)」「完全な」という語と、「持続しなさい」という動詞の単語の並びが何だか難しい。
ギリシャ語は、動詞から考えた方がよいのでしょうか。そしたら主語が分かる。
「持続しなさい」が三人称なので、主語は「彼ら」になるのか。…「彼ら」って誰だ。

単語だけみると、「あなた方は忍耐を持続しなさい」と言ってる感じです。
でも、「忍耐を」ではなく「忍耐は」にあたる語です。「あなた方は」ではなく「彼らは」と違ってます。

「労苦(を)」「完全な」という語は、対格 単数 中性とそろっている。「労を全うすること(を)」のような意味でしょうか。
「労苦」というのは変な訳し方かもしれません。(面倒なことを)行う、ぐらいの意味でしょうか。名詞なので「行い」か。
「(面倒な)行いを全うすること」ぐらいの意味でしょうか。
「忍耐」と「行いを全うすること」との二つを「持続しなさい」と言っているのだろうか。三人称になっているのは、それらを指しているのか。

「むしろ、その忍耐は、労苦を全うすることを、持続しなさい、そうして完全な、欠けたところなく完成した者たちとなるでしょう。」
うーむ。まぁこんなかんじだろうか。
「完成した者たちとなるでしょう」の「なる」のところは接続法(仮定法)。事柄や動作を期待したり、心配したり、推測や疑惑などの主観を伴う表現になっています。

口語訳では、その忍耐力「を」となっているな。
忍耐が主語だと、変だからそう訳しているのか。文法的にそういうものなのか…。
目的語も主格でいいのかなぁ。

---

3/11 あぁ違った。
ἐχέτωをなぜか三人称複数だと思い込んでいた。
三人称単数なんだから、つまり、「忍耐は」が主語でいいんだな。…自分で単数と書いているのに間違っている。トホホ。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (4) | トラックバック (0)

Larry's World - Russ Freeman

アコースティックギターの明るく聴きやすい曲です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:3の続き

κατεργάζεται ὑπομονήν.

(口語訳) ヤコブ 1:3 あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。

κατεργάζεται
~を作り出す
κατεργάζομαι
動詞: 三人称 現在 中動相 直接法 単数

ὑπομονήν
忍耐
ὑπομονή
名詞: 対格 単数 女性

κατεργάζεταιは、ローマ 4:15にも出てきます。
ローマ 4:15 「いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。」
のなかの「招く」という語がそうです。律法は怒りを生じる…怒りを招くと訳しているようです。
ローマ 5:3「患難は忍耐を生み出し」のところなど。

「あなた方の信仰の検証が忍耐を生じると、あなた方は知っている」という感じ。
あれ、口語訳では「忍耐が生み出されるからである」とbecauseのニュアンスが後ろの文章に掛かっているな。
新改訳だと「あなたがたは知っているからです」と「知る」に掛けている。
語の並びからの印象では、口語訳の方がありそうですけど。
「知っているからです」という意味だったら、前にもそういう話をしていたような言い回しだ。
誘惑に陥ったら、喜びと思いなさい。そうやって忍耐が生み出されると「知っているのだから」という感じ。知っているから苦ではないでしょう、と言ってるみたいだ。
口語訳だと、知ってのとおり、誘惑に耐えると忍耐が生じるのだから、喜びなさい、という感じか。忍耐が生じるからと喜ぶ理由は良く分からないですが。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:3

γινώσκοωτες ὅτι τὸ δοκίμοιν ὑμῶν τῆς πίστεως κατεργάζεται ὑπομονήν.

(口語訳) ヤコブ 1:3 あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。

γινώσκοωτες ὅτι τὸ δοκίμοιν ὑμῶν τῆς πίστεως
認識する、知る
γινώσκω
動詞(verb)
現在(present)
能動(active)
分詞(participle)
主格(nominative)
複数(plural)
男性(masculine)
ὅτι
接続詞(conjunction)
英語のthatの用法に近い。becouse、sinceとも訳されている。

代名詞(pronoun)/冠詞(article)
主格(nominative)
単数(singular)
中性(neuter)
試す
δοκίμοιν
名詞
主格
単数
中性
あなたたちの
σύ
代名詞
人称(personal)/所有格(possessive)
所有格、属格(genitive)
複数
(彼女の)

代名詞(pronoun)/冠詞(article)
所有格、属格(genitive)
単数(singular)
女性形(feminine)
信仰(の)、誠実(の)
πίστις
名詞
所有格、属格
単数(singular)
女性形(feminine)

「認識しなさい」と命令されているのかと思ったら、そんな意味ではなかった。
動詞が文頭にあると命令文のように感じてしまいます。ギリシャ語はそんなことないのだな。あなた方という代名詞が省略されているようす。

「訳と註 3」 (田川建三著 p166~)からカンニング。
πίστιςは信仰と訳されることが多いとのことです。でも常に人間がもつ信仰を意味するとは限らないそうです。
この語の元来の意味は「信頼できる」「誠実である」とのことです。
パウロが「神のπίστις」(ローマ 3:3)というとき、「神の信仰」と訳すと意味がかなりズレてしまう。ここは「神の」と属格になっているので「神への信仰」という意味にはならない。
パウロの趣旨は、神は信頼できるということなので、「神の誠実」(ローマ 3:3 口語訳)と訳すのが良いとのことです。

ここのπίστεωςは「信仰の」(所有格・属格)です。「信仰を」と言いたくなりますが、言葉の掛かり方はちょっと違います。
これもまた、どうなっているのでしょう。
「あなたたちの信仰の試み(られること)が」ということですかね。
「誠実」と訳した場合には、「あなたたちの誠実さの試み(られること)が」という感じ。
ὅτιのbecauseのニュアンスは、どこにかかるのだろう。英訳では「知る」の方にかかるものがあります。「知っているからです because you know」と英訳されていようです。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (5) | トラックバック (0)

読書 上村静著「宗教の倒錯―ユダヤ教・イエス・キリスト教」

上村静著「宗教の倒錯―ユダヤ教・イエス・キリスト教」を読んだ。
キリスト教にある反ユダヤ主義について考える上での良書かと思います。
キリスト教批判ではあるけど、前向きな感じの批判ですね。
一般向けに書かれた聖書入門のようです。

(旧約)聖書のなかで罪を犯した人間たちに罰が与えられるが、神は彼らが生きていけるように配慮を示していることを丁寧に指摘しているのが、印象に残りました。
「神とは働きなのであり、その働きとは、究極的には<いのち>を生かす働きである。
言い換えれば、<いのち>を生かす働きに対するひとつの象徴的な名前が『神』なのだ」(p32)と。
神とはいのちを生かす働きと定義して、しかし、それに反するようなことが歴史上、現代も、しばしば見られる。それはなぜなのか…を問うてゆく。
聖書に描かれている時代背景を分かりやすく解説している。…もちろん、かなり端折っているのでしょうけど、聖書だけではなかなか分かりにくいところを、さまざまな文献からその時代を浮き彫りにしていて勉強になります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なかなか進まない。

ギリシャ語で「ヤコブの手紙」を読んでみようと、やってますが、
一日に単語3つぐらいしか進まないですね。
慣れるともう少しペースが上がるものなのでしょうか。

次に出てくるὅτιという単語の意味がよく分からない。
NeXt Bibleのインターリニアでotiという語を見ると、that、becouse、sinceなどと訳されていることは分かります。
そんな意味なのだろうと思って、辞書のサイトの「ὅτι」(hote)の項目を見ても…英語力がなくて何が何だか分からない。
どう訳されているのかは翻訳から推測できるのですが、今度はそれをギリシャ語辞書で確認する英語力が足りない。
that、becouse、sinceのような意味なのだろうということで進めて行って、そのうち文法書なんか読んで勉強しなおすか。

↓ランキング参加します。クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「ツァイトガイスト 時代の精神」 キリスト教は太陽信仰に由来するのか

「ツァイトガイスト 時代の精神」の動画の15分40秒あたりから、太陽信仰と見なされる根拠となる聖書箇所が挙げられている。
でも、文脈を確認してみると、太陽信仰を示唆するものはほとんどないと思います。

(マタイ 28:6)
もうここにはおられない。
かねて言われたとおりに、よみがえられたのである
さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。

⇒「よみがえられたのである」(マタイ 28:6)の部分は、英語訳ではhe is risen (彼は起こされた)のようです。
太陽が昇る(rise)ことの象徴表現だという説のようです。
riseと訳した元のギリシャ語のἐγείρωは、起きる、目を覚ますという意味の語です。死人が起こされたので「よみがえらされた」と訳してるわけです。
でも、おそらく太陽が昇るというのはἀωατέλλωを使うと思います(ヤコブ 1:11)。ギリシャ語だとニュアンスの違う語ではないかと思います。英語だとどちらもriseなのでしょうけど。

(2コリント 4:6)
「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、
キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのである。

⇒「栄光」と言うだけで、太陽信仰だというのはどうでしょう。

(ローマ13:12)
夜はふけ、日が近づいている。
それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、
光の武具を着けようではないか。

⇒光とか闇というのは、とても一般的な譬えに思えます。

(ヨハネ福音書)
3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
3:13-14 天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。
14:3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
9:5 わたしは、この世にいる間は、世の光である」。
19:5 イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った、「見よ、この人だ」。

⇒「新しく生まれる」ということが、陽が沈み、また昇ってくる太陽信仰を意味する、というのも強引な解釈です。
ヨハネ福音書で問題になりそうなのは、3:13「天に上った者」と9:5「世の光」ぐらいでしょう。
ヨハネ福音書は、光と闇の二元論をとっているので、光という表現は出てきますね。
「天に上った者」(3:13-14)については、続く文章で「モーセが荒野でへびを上げたように、上げられなければならない」とあります。「太陽のように」などと書いてあれば、分かりやすいのですが、前後関係からは太陽信仰を示唆する要素はないと思います。
「いばらの冠」となっているところが、ツァイトガイストの字幕では「光の冠」と訳してました。その翻訳の根拠はともかくとして、描かれている場面はローマに逮捕されたイエスが痛めつけられ、「いばらの冠」をかぶせられ、磔刑へといたるところです。人々は奇跡を起こせないイエスを罵る。
この一連の場面には「光の冠」のような神秘的な要素は出てこないのが特徴だと思います。

(マルコ13:26)
そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

⇒これは旧約聖書のダニエル 7:13の引用ですね。幻想的な黙示文学の表現ですが、それでもとくに太陽信仰の要素はないと思います。

キリスト教が太陽信仰に由来するというツァイトガイストの主張は、それほど根拠がないように思えます。

↓ランキングに参加してます。クリックしてくださいな。
人気ブログランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ツァイトガイスト(時代の精神)」への批判

5分あたりから見ると面白いです。

処女から生まれ、12月25日生まれの救世主たちの数々の神話が列挙されるくだりは面白いのだけど、占星術やゾディアックからキリスト教が生まれたというのはちょいと無理がある。
後になってから、それらの神話と合流して行ったのは事実でしょうけど、新約文献をさかのぼれば、さかのぼるほど、占星術とは関係なくなる。
新約の最古の文献(パウロやマルコ福音書)などになると、処女から生まれたなどの記載がない。
新約のなかにはイエスの誕生日が何月何日か書いていない。
12月25日をクリスマスとするのは、300年ぐらい経ってからきまった話である。
星座の十字星との関連については、そもそも十字架と言っても、そう訳しているだけであって、聖書の記載からは十字になっていたのかもはっきりしない(直訳すれば「柱」という語です)。
12という数字が天文学的なものに由来するのは、それでもよいのですが、まぁ12といえば12部族のことでしょう。全ユダヤ人に宣教するために遣わされたというのが「使徒」と呼ばれる所以なのですから。
金の小牛が、牡牛座だと言われてもなぁ。
十戒の石板を砕いたモーゼについて、「多くの聖書学者はこのモーゼの怒りはイスラエス人が間違ったものを崇拝していたからだと理解している」とのこと。聖書学者はあてにならないと言いたげである。
たぶん、ちゃんとした学者は、牡牛座だなどと言わない。
1列王記にあるヤロブアムがエルサレムに対立して金の子牛の像をダンとベテルの聖所においたのだが、それが背教とみなされた。その話が後に出エジプト記に金の子牛の事件として入れられることになった(「宗教の倒錯」上村静p47)。つまり、モーゼのシナイ山の記載は後年の作文であると見なしているわけです。学者は遥かに批判的に研究している。学者を馬鹿にして調べないでいるから、牡牛座がどうのなんて珍説が立派なものに見えてくるのではないでしょうか。

面白いキリスト教批判のムービーなのだが、何でもかんでも占星術に還元しようとして、トンチンカンな説に飛びついてしまってる感じがします。

↓ランキングに参加してます。クリックしてくださいな。
人気ブログランキングへ

Zeitgeist ツァイトガイスト(時代の精神)日本語字幕版

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヤコブの手紙 1:2の続き2

Πᾶσαν χαρὰν ἡγήσασθε, ἀδελφοί μου, ὅταν πειρασμοίς περιπέσητε ποικίλοις,

(口語訳) わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試練に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。

ὅταν πειρασμοίς περιπέσητε ποικίλοις
いつ~しようとも
ὅταν
接続詞(conjunction)
試練、苦難、試み
πειρασμός
名詞(noun)
与格(dative)
複数(plural)
男性(masculine)
陥る
περιπίπτω
動詞(verb)
二人称(2nd)
アオリスト(aorist)
能動(active)
仮定法(subjunctive)
複数(plural)
いろいろな
ποικίλος
形容詞(adjective)
与格(dative)
複数(plural)
男性(masculine)

「いろいろな」の語を辞書で見ると、本当に色がたくさんあるという意味が載っていた。
「試練」の単語は意味が多いな。
trial、worry、temptationとあるので、試練とか、悩み、誘惑というような意味のようです。
「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい」(マルコ 14:38)の「誘惑」も同じ語とのこと。
弾圧されて苦しんでいるというよりも、もう少し日常的な自制心が求められるようなシチュエーションを指しているのかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »