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ヤコブの手紙 1:9についての雑感

「低い身分の兄弟」という語は、「富んでいる者」と対称的に捉えられている。
なので意味としては「低い身分の兄弟」は「貧しい人たち」と同義なのだろうと思う。
ヤコブは貧しい人々が何の条件もなく救われることは、当り前だと思っているようです。

「貧しい人たち」という表現は、山上の垂訓などにあります。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」(マタイ 5:3)
マタイの場合は、「こころの」という語がついていて、貧乏人を指しているのではないようです。
しかし、「こころの」という部分はルカ 6:20との比較から、おそらくマタイが解釈的に付加したのだろうと聖書学の本では書かれています。
おそらく伝承の原型は、
「貧しい人たちは、さいわいである、神の国は彼らのものである」
と、貧乏な人たちを指していたと考えられています。
これは誰かと論争していたときの言葉だったのだろうと推測されています。
「彼らのものである」という部分は、つまり「あなたのものではなく」というニュアンスを持っているからです。

(マルコ 10:24-26)
弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、
「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。
富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。

富んでいる者は救われ、貧乏人など救われないというのが常識だったようです。
だから、神の国は貧しい人々のものだとイエスが宣言すると、人々から批判を受けたのでしょう。

ネットでは、富んでいる者が神の国に入ることについて、無理とは言っていないという解釈を見かけます。
「らくだが針の穴を通る…」という表現について、「針の穴」と呼ばれるイェルサレムの城壁の穴があったのだという説も見かけました。その穴はらくだがやっと通れるサイズの穴だったそうだ。
でも、まぁ違うでしょう。
富んでいる者は、神の国に入れないという意味でしょう。

貧しくて苦しんだ人々が救われる。それは当然だという感覚で語っているのでしょう。
ヤコブもそのような感覚で語っているようです。

ヤコブ 1:10では、低くされた富んだ者は結局滅びる、と言ってるのだろうか。低くされたら富んだ者も救われるのか、どっちなのだろう。
…僕がちょっと読んだ感じでは、滅びるけどそれを喜べと言ってる気がする。

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