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ヤコブの手紙 1:7

μὴ γὰρ οἰέσθω ἄνθρωπος ἐκεῖνος ὅτι λήμψεταί τι παρὰ τοῦ κυρίου,

(口語訳) そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。

μὴ /μὴ (~ない) − 副詞
γὰρ /γὰρ (~だから) − 接続詞
οἰέσθω /οἰμαι (期待する) − 動詞: 三人称 現在 中動相 命令法 単数
 /ὁ (the) − 冠詞: 主格 単数 男性
ἄνθρωπος /ἄνθρωπος (人) − 名詞: 主格 単数 男性
ἐκεῖνος /ἐκεῖνος (そのような~は) − 指示詞: 主格 単数 男性
ὅτι /ὅτι (英語のthatに近い) − 接続詞
λήμψεταί /λήμβάνω (受ける) − 動詞: 三人称 未来 中動相 直接法 単数
τι /τίς (何か) − 疑問詞 / 不定代名詞: 対格 単数 中性
παρὰ /παρὰ (~の傍らに、~から) − 前置詞 (動詞を伴って、行き来やもたらされること)
τοῦ /ὁ (the) − 冠詞: 所有格、属格 単数 男性
κυρίου /κυριος (主人) − 名詞: 所有格、属格 単数 男性

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「そのような人は主から何か受けるだろうと期待してはいけないからです」という感じ。

「期待してはいけない」「そのような人は」「主から何か受けるだろうと」という語順になっている。
「受ける」という語が中動相になっている。
神に求めて、その願いを神が受けて、それを神が与えてくれて受け取る、というやりとりがあるというニュアンスなのでしょうか。
「主」に冠詞がついてます。1:1では冠詞なしでした。何か区別しているのでしょうか。たとえば、冠詞がついてるとヤハウェを指しているとか…?。それとも、最初に出てくる時はつかなくて、二度目からは「その主が」というニュアンスでつくとか。

「そのような人」で指しているのは、不安で荒れている人を指しているのではないかなと思います。

(ピリピ 1:6)「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」とパウロは書いてます。
ヤコブの手紙は、ピリピの手紙よりも大分後に書かれた可能性が高いですが、良いわざというものを「完成した」と思っていたかどうかは疑問です。
ヤコブ1:4では、完全なものとなるようにと言ってますが、完璧に出来たと言っているのではなく、できるだろうと期待しているわけです(接続法/仮定法で書かれてます)。
そういう楽観的な言葉で、不安に陥った信徒を落ち着かせている言い回しに感じます。

やっていることに疑いが生じたら落ち着いて神に問うてみろ、答えが返ってくることを疑うな、ぐらいの趣旨に思えます。
疑いを一切排除して信仰しないといかんと言ってるようにもとれますが、知恵が欠けてて困っている人へのアドバイスとして、ただ信じ込んでいろというのもなんでしょうから。
福音書のイエスも信仰を要求してますかね、からし種一粒ほど。
イエスさんが何を言ったとしても、ヤコブさんがどう思うかは分かりませんが。

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