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ヤコブの手紙 1:6

αἰτείτω δὲ ἐν πίστει μηδὲν διακρινόμενος· γὰρ διακρινόμενος ἔοικεν κλύδωνι θαλάσσης ἀνεμιζομένῳ καὶ ῥιπιζομένῳ.

(口語訳) ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。

αἰτείτω  /αἰτέω  (求める) − 動詞: 三人称 現在 能動 命令 単数
δὲ  /δὲ  (しかし) − 接続詞
ἐν  /ἐν (~の中で) − 前置詞
πίστει  /πίστει (信仰 誠実) − 名詞: 与格 単数 女性
μηδὲν  /μηδείς (無い) − 形容詞: 対格 単数 中性
διακρινόμενος  /διακρίνω (分離する 識別する 疑う) − 動詞: 現在 中動相 分詞 主格 単数 男性
 /ὁ  (the) − 冠詞: 主格 単数 男性
γὰρ  /γὰρ  (~だから) − 接続詞
ἔοικεν  /ἔοικα (似ている) − 動詞: 三人称 完了 能動 直接法 単数 (与格の語に掛かる)
κλύδωνι  /κλύδων (波) − 名詞: 与格 単数 男性
θαλάσσης  /θάλασσα (海) − 名詞: 所有格、属格 単数 女性
ἀνεμιζομένῳ  /ἀνεμίζομαι (風に揺られる) − 動詞: 現在 受動 分詞 与格 単数 男性
καὶ  /καὶ (そして) − 接続詞
ῥιπιζομένῳ /ῥιπίζομαι (吹き上げる) − 動詞: 現在 受動 分詞 与格 単数 男性

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口語訳が「ただ」と訳しているのは、おそらくδὲ。「神に求めなさい。でも疑わずに…」と補足する文脈なので、「しかし」ではなく「ただ疑わずに…」と訳しているみたい。
口語訳の「信仰をもって」という部分は、「信仰において」とか「信仰にある」というような表現になっています。
「似る」は「波に」(与格 「~に」)に掛かると、woody63さんに教えていただいたpdfにありました(誤解でなければ)。日本語でも「波『に』似る」と言いますので、理解しやすいです。
「疑う」は、辞書でみると意味が多い。分ける、分離するというような意味が中心の語のようです。識別する、という意味は日本語の「分かる」の感覚に近いようです。「分離する」という語の「離しておく」(動かす)ようなニュアンスから「揺れる」「ためらう」「疑う」というような意味に派生したのでしょうか。
「疑う/揺れる」という語感からすると、海の波のたとえは、ギリシャ語の感覚では理解しやすいものなのかも知れません。
ヤコブはユダヤ人のキリスト教徒であったようですし、まだ教会が確立されてなかったような時代ならば、ユダヤ教の教えから離れることの不安は大きかったのではないかなと思います。弾圧が怖いとか、そういうだけでなく、ユダヤ教従来の考え方から離れることについて、これでいいのだろうかと不安になる人もいたのではないでしょうか。
なので、「疑わずに」というニュアンスは、科学・批判的な懐疑を指しているのではなく、従来の習慣と新しい習慣との間で不安を感じるようなものを指している気がします。
風の譬えの似た表現としては(エペソ 4:14)があります。
僕の感覚では一番近い話は(マルコ 4:35-41)です。
「疑う」という語に冠詞をつけて「疑う者」にしていますね。

「でも、疑うことなく信仰において求めなさい、疑う者は風に揺られ吹き上げられる海の波に似ているからです」というような感じでしょうか。
「信仰において」と「信頼において」の中間ぐらいのニュアンスの言葉があれば…思いつかないな。

レンブラント ガリラヤ湖の嵐の中のキリスト

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