ヤコブの手紙 1:01~10

ヤコブ 1:10

δὲ πλούσιος ἐν τῇ ταπεινώσει αὐτοῦ, ὅτι ὡς ἄνθος χόρτου παρελεύσεται.

(口語訳) また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。

 /ὁ (the) − 冠詞: 主格 単数 男性
δὲ /δὲ (しかし) − 接続詞
πλούσιος /πλούσιος (富んでいる者) − 形容詞: 主格 単数 男性
ἐν /ἐν (in) − 前置詞
τῇ /τῇ (the) − 冠詞: 与格 単数 女性
ταπεινώσει /ταπεινώσει (低下、地位を落とす) − 名詞: 与格 単数 女性
αὐτοῦ /αὐτοῦ (彼の) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 単数 男性
ὅτι /ὅτι (英語のthatの用法に近い) − 接続詞
ὡς /ὡς (~のように、そのような) − 接続詞
ἄνθος /ἄνθος (花) − 名詞: 主格 単数 中性
χόρτου /χόρτου (草) − 名詞: 所有格、属格 単数 男性
παρελεύσεται /παρελεύσεται (過ぎ去る) − 動詞: 三人称 未来 中動相 直接法 単数

---

「富んでいる者は低いところにある彼のゆえに。
草の花のように彼は過ぎ去るだろうから」
という感じでしょうか。「ゆえに」と訳せるものなのか自信ないですが。
低下とか、地位が下がること、卑しめられることなどを意味する名詞に、「彼の」という語がついて冠詞がついている。
「彼の地位の低下」とか「彼の卑しめられること」において、富んだ者は誇りなさいと訳すべきか。

「富んでいる者」は、おそらくその場にはいないのでしょう。
ヤコブ 2:6、5:1-6などの言葉は、目の前の人に言ってるわけではないでしょう。
富んでいる者については、「兄弟」とも呼ばれてもいないですし。そこにはいないのでしょう。
低い身分の兄弟については、高いところに上げられている。でも、これは兄弟(つまり信徒)全員ではないでしょう。語も単数ですし。
低い身分の人は特別に救われる。では、富んでいる者は救われるのでしょうか。
滅びる前提で語っているように思えます。
それとも「富んでいる者」は低くされたから滅びないので喜べという意味か。両方救われる話だったらコントラストになってないし。

「過ぎ去るだろう παρελεύσεται」と同じ語は、
マタイ 24:35 「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」の「滅びる」と訳されている語と同じです。
おそらくここでも滅びるという意味なのでしょう。

花や草は、枯れてしまうものの象徴だったのでしょうか。
「富んでいる者」は、草花のようにあっけなく枯れてしまうのだ、と。

(イザヤ 40:6-8)
…肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。
草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。
草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

(マタイ 13:6)の種を蒔く人の譬え
しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

マタイ 13:6は、次のヤコブ 1:11にさらに近い表現ですね。というか、この譬えがベースにあるのかな。
しっかり根付いていないと、枯れてしまうのだということ。
ヤコブが何に根付いているべきだと考えているのか、理解する足しになりそうです。

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ヤコブの手紙 1:9についての雑感

「低い身分の兄弟」という語は、「富んでいる者」と対称的に捉えられている。
なので意味としては「低い身分の兄弟」は「貧しい人たち」と同義なのだろうと思う。
ヤコブは貧しい人々が何の条件もなく救われることは、当り前だと思っているようです。

「貧しい人たち」という表現は、山上の垂訓などにあります。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」(マタイ 5:3)
マタイの場合は、「こころの」という語がついていて、貧乏人を指しているのではないようです。
しかし、「こころの」という部分はルカ 6:20との比較から、おそらくマタイが解釈的に付加したのだろうと聖書学の本では書かれています。
おそらく伝承の原型は、
「貧しい人たちは、さいわいである、神の国は彼らのものである」
と、貧乏な人たちを指していたと考えられています。
これは誰かと論争していたときの言葉だったのだろうと推測されています。
「彼らのものである」という部分は、つまり「あなたのものではなく」というニュアンスを持っているからです。

(マルコ 10:24-26)
弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、
「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。
富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。

富んでいる者は救われ、貧乏人など救われないというのが常識だったようです。
だから、神の国は貧しい人々のものだとイエスが宣言すると、人々から批判を受けたのでしょう。

ネットでは、富んでいる者が神の国に入ることについて、無理とは言っていないという解釈を見かけます。
「らくだが針の穴を通る…」という表現について、「針の穴」と呼ばれるイェルサレムの城壁の穴があったのだという説も見かけました。その穴はらくだがやっと通れるサイズの穴だったそうだ。
でも、まぁ違うでしょう。
富んでいる者は、神の国に入れないという意味でしょう。

貧しくて苦しんだ人々が救われる。それは当然だという感覚で語っているのでしょう。
ヤコブもそのような感覚で語っているようです。

ヤコブ 1:10では、低くされた富んだ者は結局滅びる、と言ってるのだろうか。低くされたら富んだ者も救われるのか、どっちなのだろう。
…僕がちょっと読んだ感じでは、滅びるけどそれを喜べと言ってる気がする。

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ヤコブの手紙 1:9

Καυχάσθω δὲ ἀδελφὸς ταπεινὸς ἐν τῷ ὕψει αὐτοῦ,

(口語訳) 低い身分の兄弟は、自分が高くされたことを喜びなさい。

Καυχάσθω /Καυχάομαι (誇る 大声で話す) − 動詞: 三人称 現在 中動相 命令法 単数
δὲ /δὲ (しかし) − 接続詞
 /ὁ 冠詞: 主格 単数 男性
ἀδελφὸς /ἀδελφὸς (兄弟) − 名詞: 主格 単数 男性
 /ὁ 冠詞: 主格 単数 男性
ταπεινὸς /ταπεινὸς (低い 謙虚な 貧しい) − 形容詞: 主格 単数 男性
ἐν /ἐν (~において) − 前置詞
τῷ /τῷ (the) − 冠詞: 与格 単数 中性
ὕψει /ὕψος (高い所 頂上) − 名詞: 与格 単数 中性
αὐτοῦ /αὐτός (彼自身の) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 単数 男性

---

δὲ は話が切り替わるのでついているようです。「しかし」というよりは「そうしてまた」と話を仕切り直す感じ。
αὐτοῦ が所有格、属格なのが難しい。対格で「彼自身を」となっていたら「彼自身を誇りなさい」と訳せるけど、所有格、属格なので「彼自身の」です。
属格には起源や分離を示す「~から / from」の意味もあるそうなので、「彼自身のゆえに」とでも訳せるのだろうか。

「そうしてまた、地位の低い兄弟は、高みにある彼自身のゆえに誇りなさい」

「高いところにある」とか「高みにある」とか「頂上にある」とかそんな意味のようです。
口語訳のように「高くされた」という上昇してゆくニュアンスがないのですが、意訳なのでしょうか。見落としかな。

「誇る καυχάσθω 」の用例は、
1コリ 1:31 それは、『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりである。

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ヤコブの手紙 1:8

ἀνὴρ δίψυχος ἀκατάστατος ἐν πάσαις ταῖς ὁδοῖς αὐτοῦ.

(口語訳) そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。

ἀνὴρ /ἀνὴρ (人) − 名詞: 主格 単数 男性
δίψυχος /δίψυχος (二心の) − 形容詞: 主格 単数 男性
ἀκατάστατος /ἀκατάστατος (安定を欠く) − 形容詞: 主格 単数 男性
ἐν /ἐν (in) − 前置詞
πάσαις /πᾶς (全て) − 形容詞: 与格 複数 女性
ταῖς /ὁ (the) − 冠詞: 与格 複数 女性
ὁδοῖς /ὁδός (道) − 名詞: 与格 複数 女性
αὐτοῦ /αὐτός (~自身の) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 単数 男性

---

動詞がない文章。省略された動詞を補って訳しているケースが多いようです。
何が略されているのか、僕は想像もつかないので、単語をそのままつなぐと、
「彼のその全ての道において、安定を欠く二心の者(は)」

口語訳の「二心の」という訳は、見事なぐらいそのまま直訳されている。
「心」にあたる部分はサイコという語ですね。英語のpsycheのスペルの「ps」はギリシャ語の「ψ」(ps)から来てたのですね。

「安定を欠く」という語も、たぶんστατος という語が組合わさってできた語な感じですが、ちょっと調べ方が分かってないです。
2ペテロ 2:14「彼らは心の定まらない者を誘惑し…」( ἀκαταπαύστους )に似た語があります。
2ペテロ 3:16の「…無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている」も。
これらは同じようなことを指しているようです。
2ペテロは、正統派意識というか、異端を排除しようという文脈になっているみたいですが。
ヤコブの手紙の方には、異端を排除してやろうという意図は今のところは感じないです。でも当時、教義の解釈の混乱があって、それに動揺している信徒がいたのではないかと思います。その点は2ペテロの状況と近いのではないでしょうか。

ヤコブは、「無学で心の定まらない人」が、他人の解釈に影響されてひどく不安に陥っているので、
何をやっても心の安定を欠いてる者は、神から何ももらえないぞ、と落ち着くように言っているようです。

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ヤコブの手紙 1:7

μὴ γὰρ οἰέσθω ἄνθρωπος ἐκεῖνος ὅτι λήμψεταί τι παρὰ τοῦ κυρίου,

(口語訳) そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。

μὴ /μὴ (~ない) − 副詞
γὰρ /γὰρ (~だから) − 接続詞
οἰέσθω /οἰμαι (期待する) − 動詞: 三人称 現在 中動相 命令法 単数
 /ὁ (the) − 冠詞: 主格 単数 男性
ἄνθρωπος /ἄνθρωπος (人) − 名詞: 主格 単数 男性
ἐκεῖνος /ἐκεῖνος (そのような~は) − 指示詞: 主格 単数 男性
ὅτι /ὅτι (英語のthatに近い) − 接続詞
λήμψεταί /λήμβάνω (受ける) − 動詞: 三人称 未来 中動相 直接法 単数
τι /τίς (何か) − 疑問詞 / 不定代名詞: 対格 単数 中性
παρὰ /παρὰ (~の傍らに、~から) − 前置詞 (動詞を伴って、行き来やもたらされること)
τοῦ /ὁ (the) − 冠詞: 所有格、属格 単数 男性
κυρίου /κυριος (主人) − 名詞: 所有格、属格 単数 男性

---

「そのような人は主から何か受けるだろうと期待してはいけないからです」という感じ。

「期待してはいけない」「そのような人は」「主から何か受けるだろうと」という語順になっている。
「受ける」という語が中動相になっている。
神に求めて、その願いを神が受けて、それを神が与えてくれて受け取る、というやりとりがあるというニュアンスなのでしょうか。
「主」に冠詞がついてます。1:1では冠詞なしでした。何か区別しているのでしょうか。たとえば、冠詞がついてるとヤハウェを指しているとか…?。それとも、最初に出てくる時はつかなくて、二度目からは「その主が」というニュアンスでつくとか。

「そのような人」で指しているのは、不安で荒れている人を指しているのではないかなと思います。

(ピリピ 1:6)「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」とパウロは書いてます。
ヤコブの手紙は、ピリピの手紙よりも大分後に書かれた可能性が高いですが、良いわざというものを「完成した」と思っていたかどうかは疑問です。
ヤコブ1:4では、完全なものとなるようにと言ってますが、完璧に出来たと言っているのではなく、できるだろうと期待しているわけです(接続法/仮定法で書かれてます)。
そういう楽観的な言葉で、不安に陥った信徒を落ち着かせている言い回しに感じます。

やっていることに疑いが生じたら落ち着いて神に問うてみろ、答えが返ってくることを疑うな、ぐらいの趣旨に思えます。
疑いを一切排除して信仰しないといかんと言ってるようにもとれますが、知恵が欠けてて困っている人へのアドバイスとして、ただ信じ込んでいろというのもなんでしょうから。
福音書のイエスも信仰を要求してますかね、からし種一粒ほど。
イエスさんが何を言ったとしても、ヤコブさんがどう思うかは分かりませんが。

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ヤコブの手紙 1:6

αἰτείτω δὲ ἐν πίστει μηδὲν διακρινόμενος· γὰρ διακρινόμενος ἔοικεν κλύδωνι θαλάσσης ἀνεμιζομένῳ καὶ ῥιπιζομένῳ.

(口語訳) ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。

αἰτείτω  /αἰτέω  (求める) − 動詞: 三人称 現在 能動 命令 単数
δὲ  /δὲ  (しかし) − 接続詞
ἐν  /ἐν (~の中で) − 前置詞
πίστει  /πίστει (信仰 誠実) − 名詞: 与格 単数 女性
μηδὲν  /μηδείς (無い) − 形容詞: 対格 単数 中性
διακρινόμενος  /διακρίνω (分離する 識別する 疑う) − 動詞: 現在 中動相 分詞 主格 単数 男性
 /ὁ  (the) − 冠詞: 主格 単数 男性
γὰρ  /γὰρ  (~だから) − 接続詞
ἔοικεν  /ἔοικα (似ている) − 動詞: 三人称 完了 能動 直接法 単数 (与格の語に掛かる)
κλύδωνι  /κλύδων (波) − 名詞: 与格 単数 男性
θαλάσσης  /θάλασσα (海) − 名詞: 所有格、属格 単数 女性
ἀνεμιζομένῳ  /ἀνεμίζομαι (風に揺られる) − 動詞: 現在 受動 分詞 与格 単数 男性
καὶ  /καὶ (そして) − 接続詞
ῥιπιζομένῳ /ῥιπίζομαι (吹き上げる) − 動詞: 現在 受動 分詞 与格 単数 男性

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口語訳が「ただ」と訳しているのは、おそらくδὲ。「神に求めなさい。でも疑わずに…」と補足する文脈なので、「しかし」ではなく「ただ疑わずに…」と訳しているみたい。
口語訳の「信仰をもって」という部分は、「信仰において」とか「信仰にある」というような表現になっています。
「似る」は「波に」(与格 「~に」)に掛かると、woody63さんに教えていただいたpdfにありました(誤解でなければ)。日本語でも「波『に』似る」と言いますので、理解しやすいです。
「疑う」は、辞書でみると意味が多い。分ける、分離するというような意味が中心の語のようです。識別する、という意味は日本語の「分かる」の感覚に近いようです。「分離する」という語の「離しておく」(動かす)ようなニュアンスから「揺れる」「ためらう」「疑う」というような意味に派生したのでしょうか。
「疑う/揺れる」という語感からすると、海の波のたとえは、ギリシャ語の感覚では理解しやすいものなのかも知れません。
ヤコブはユダヤ人のキリスト教徒であったようですし、まだ教会が確立されてなかったような時代ならば、ユダヤ教の教えから離れることの不安は大きかったのではないかなと思います。弾圧が怖いとか、そういうだけでなく、ユダヤ教従来の考え方から離れることについて、これでいいのだろうかと不安になる人もいたのではないでしょうか。
なので、「疑わずに」というニュアンスは、科学・批判的な懐疑を指しているのではなく、従来の習慣と新しい習慣との間で不安を感じるようなものを指している気がします。
風の譬えの似た表現としては(エペソ 4:14)があります。
僕の感覚では一番近い話は(マルコ 4:35-41)です。
「疑う」という語に冠詞をつけて「疑う者」にしていますね。

「でも、疑うことなく信仰において求めなさい、疑う者は風に揺られ吹き上げられる海の波に似ているからです」というような感じでしょうか。
「信仰において」と「信頼において」の中間ぐらいのニュアンスの言葉があれば…思いつかないな。

レンブラント ガリラヤ湖の嵐の中のキリスト

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ヤコブの手紙 1:5

εἰ δέ τις ὑμῶν λείπεται σοφίας, αἰτείτω παρὰ τοῦ διδόντος θεοῦ πᾶσιν ἁπλῶς καὶ μὴ ὀνειδίζοντος καὶ δοθήσεται αὐτῷ.

(口語訳) あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

εἰ /εἰ (もし) − 接続詞
δέ /δέ (しかし) − 接続詞
τις /τις (誰か ある人) − 疑問詞 / 不定関係代名詞: 主格 単数 男性
ὑμῶν /σύ (あなた方) − 人称 / 所有代名詞: 所有格、属格 複数
λείπεται /λείπω (欠く) − 動詞: 三人称 現在 中動相 直説法 単数 (所有格・属格の語に掛かる)
σοφίας /σοφία (知恵) − 名詞: 所有格、属格 単数 女性
αἰτείτω /αἰτέω (求める) − 動詞: 三人称 現在 能動 命令法 単数
παρὰ /παρὰ (そばに、傍らに) − 前置詞
τοῦ /ὁ (theにあたる) − 冠詞: 所有格、属格 単数 男性
διδόντος /διδωμι (与える) − 動詞: 現在 能動 分詞 所有格、属格 単数 男性
θεοῦ /θεός (神) − 名詞: 所有格、属格 単数 男性
πᾶσιν /πᾶς (すべて) − 形容詞: 与格 複数 男性
ἁπλῶς /ἁπλῶς (気前良く、惜しみなく) − 副詞
καὶ /καὶ (そして) − 接続詞
μὴ /μὴ (~なく) − 副詞
ὀνειδίζοντος /ὀνειδίζω (叱責する) − 動詞: 現在 能動 分詞 所有格、属格 単数 男性
δοθήσεται /διδωμι (与える) − 動詞: 三人称 未来 受動 直接法 単数
αὐτῷ /αὐτός (彼) − 人称 / 所有代名詞: 与格 単数 男性

前半は「あなた方のなかの知恵の欠けている者は」のような意味かと思います。
「~者は」の部分は「ある人が」という語で、これが主格になってます。
「あなた方のある人」に、「もし知恵の欠けているならば」という条件がついている。
「欠ける」という語は所有格・属格の語に掛かる。「知恵の欠けた」という形になるので、日本語の感覚に近いです。
「すべて」という語の対格(すべてに)が、「すべての人に」という意味なのが難しいな。

なので、「あなた方のなかの知恵の欠ける者は、惜しまず咎めずにすべての人に与えてくれる神へ求めなさい、そうして彼に与えられるでしょう」という感じ。

「知恵」はソフィアという語です。フィロソフィーのソフィーですね。(1コリント 1:21)などにも出てくる語です。
「求める」という語は、ちょっと形は違うけど「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」(マタイ 7:7)にも出てくる語です。

ヤコブの文体の特徴なのでしょうか。わりと同じ単語が続けて出てくるので、単語を覚えるという意味では楽な気がします。

神が与えると言う時に賛美して、「惜しみなく、咎めることなく与えて下さる神」という言い回しが口をついて出てくるものなのだろうか。
それとも、知恵を出すのを惜しんだり、咎めたりするようなことが当時あって、それをちょっと批判しているのだろうか。
このあと貧しい人が集会で冷遇されたりすることへの批判があるけど、貧しいと教育が受けられず…というような状況でも批判しているのだろうか。
正規の教育が貧しくて受けられないということを批判しているならば、これはそんな連中の教養など問題にしなくていいのだ、重要なことは神に尋ねればいいのだ、ということで相手の知恵は神の知恵ではないのだと言ってるのかも。
…いや、単純に本気で神から与えられるのだと言いたいのかも知れないですが。

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ヤコブの手紙 1:4

δέ ὑπομονὴ ἔργον τέλειον ἐχέτω, ἵνα ἦτε τέλειοι καὶ ὁλόκληροι ἐν μηδενὶ λειπόμενοι.

(口語訳) 1:4 だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。

 /ὁ 限定的な冠詞(theにあたる): 主格 単数 女性
δέ /δέ (しかし、そして等) 接続詞
ὑπομονὴ /ὑπομονὴ (忍耐) 名詞: 主格 単数 女性
ἔργον /ἔργον (労苦) 名詞: 対格 単数 中性
τέλειον /τέλειος (完全な) 形容詞: 対格 単数 中性
ἐχέτω /ἐχω (持つ、持続する) 動詞: 三人称 現在 能動 命令法 単数
ἵνα /ἵνα (英語のso) 接続詞
ἦτε /εἰμί (英語のbe)動詞: 二人称 現在 能動 仮定法 複数
τέλειοι /τέλειος (完全な) 形容詞: 主格 複数 男性
καὶ /καὶ (そして) 接続詞
ὁλόκληροι /ὁλόκληρος (完成した、完備した) 形容詞: 主格 複数 男性
ἐν /(~(の中)に in) 前置詞
μηδενὶ /μηδεὶς (何も・誰も~ない) 形容詞: 与格 単数 中性
λειπόμενοι /λειπω (欠ける、残す) 動詞: 現在 中性 中動相 分詞 主格 複数 男性

また、分詞が出てきました。
λειπόμενοιは中動相現在分詞。分詞は形容詞と同じように, 限定的(付加語的), 名詞的、述語的(副詞的)に用いられるとのこと。
少しずつ考えていきます。

マタイ 5:48の「あなたがたも完全な者となりなさい」と似たようなことを言っているようです。

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後半の「ἐν μηδενὶ λειπόμενοι」は、欠けるという動詞λειπόμενοιが分詞なんですね。
μηδενὶが「何も~ない」という形容詞で、「何も欠けたところがない」となる。
欠けたところのないものにおいて完成した者となる、というような意味になるみたい。

前半がややこしい。
「しかし」にあたるδέ は、順接にも逆接にも使うようです。基本的には「しかし」だけど、文脈によっては「そして」と訳すみたい。こういう文章の2語目によく入っているようです。
「忍耐は」「労苦(を)」「完全な」という語と、「持続しなさい」という動詞の単語の並びが何だか難しい。
ギリシャ語は、動詞から考えた方がよいのでしょうか。そしたら主語が分かる。
「持続しなさい」が三人称なので、主語は「彼ら」になるのか。…「彼ら」って誰だ。

単語だけみると、「あなた方は忍耐を持続しなさい」と言ってる感じです。
でも、「忍耐を」ではなく「忍耐は」にあたる語です。「あなた方は」ではなく「彼らは」と違ってます。

「労苦(を)」「完全な」という語は、対格 単数 中性とそろっている。「労を全うすること(を)」のような意味でしょうか。
「労苦」というのは変な訳し方かもしれません。(面倒なことを)行う、ぐらいの意味でしょうか。名詞なので「行い」か。
「(面倒な)行いを全うすること」ぐらいの意味でしょうか。
「忍耐」と「行いを全うすること」との二つを「持続しなさい」と言っているのだろうか。三人称になっているのは、それらを指しているのか。

「むしろ、その忍耐は、労苦を全うすることを、持続しなさい、そうして完全な、欠けたところなく完成した者たちとなるでしょう。」
うーむ。まぁこんなかんじだろうか。
「完成した者たちとなるでしょう」の「なる」のところは接続法(仮定法)。事柄や動作を期待したり、心配したり、推測や疑惑などの主観を伴う表現になっています。

口語訳では、その忍耐力「を」となっているな。
忍耐が主語だと、変だからそう訳しているのか。文法的にそういうものなのか…。
目的語も主格でいいのかなぁ。

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3/11 あぁ違った。
ἐχέτωをなぜか三人称複数だと思い込んでいた。
三人称単数なんだから、つまり、「忍耐は」が主語でいいんだな。…自分で単数と書いているのに間違っている。トホホ。

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ヤコブの手紙 1:3の続き

κατεργάζεται ὑπομονήν.

(口語訳) ヤコブ 1:3 あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。

κατεργάζεται
~を作り出す
κατεργάζομαι
動詞: 三人称 現在 中動相 直接法 単数

ὑπομονήν
忍耐
ὑπομονή
名詞: 対格 単数 女性

κατεργάζεταιは、ローマ 4:15にも出てきます。
ローマ 4:15 「いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。」
のなかの「招く」という語がそうです。律法は怒りを生じる…怒りを招くと訳しているようです。
ローマ 5:3「患難は忍耐を生み出し」のところなど。

「あなた方の信仰の検証が忍耐を生じると、あなた方は知っている」という感じ。
あれ、口語訳では「忍耐が生み出されるからである」とbecauseのニュアンスが後ろの文章に掛かっているな。
新改訳だと「あなたがたは知っているからです」と「知る」に掛けている。
語の並びからの印象では、口語訳の方がありそうですけど。
「知っているからです」という意味だったら、前にもそういう話をしていたような言い回しだ。
誘惑に陥ったら、喜びと思いなさい。そうやって忍耐が生み出されると「知っているのだから」という感じ。知っているから苦ではないでしょう、と言ってるみたいだ。
口語訳だと、知ってのとおり、誘惑に耐えると忍耐が生じるのだから、喜びなさい、という感じか。忍耐が生じるからと喜ぶ理由は良く分からないですが。

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ヤコブの手紙 1:1の続き2

᾿Ιάκωβος θεοῦ καί κιρίυ Ίησοῦ Χριστοῦ δοῦλος ταῖς δώδεκα φυλαῖς ταῖς ἐν τῇ διασπορᾷ χαίρειν.

(口語訳) 神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している十二部族の人々へ、あいさつをおくる。

ταῖς δώδεκα φυλαῖς ταῖς ἐν τῇ διασπορᾷ χαίρεινの部分です

ταῖς δώδεκα φυλαῖς ἐν τῇ διασπορᾷ χαίρειν
(彼女たちに)

代名詞(pronoun)
冠詞(article)
与格(dative)
複数形(plural)
女性形(feminine)
十二(に)
δώδεκα
形容詞(adjective)
与格
複数形
女性形
部族(に)
(主格単数の形)φυλή
名詞(noun)
与格
複数形
女性形
…にある
ἐν
前置詞(preposition)
(彼女に)

代名詞(pronoun)
冠詞(article)
与格
単数形(singular)
女性形
離散(に)
(主格単数の形)διασπορᾷ
名詞
与格
単数形
女性形
あいさつをおくる
χαίρω
動詞(verb)
現在(present)
能動(active)
不定詞(infinitive)

ταίς ἑν τῆ διασπορᾷ のところは、ταίς (複数) と τῆ (単数) の二つの語をどう訳すのでしょう。
ἑν τῆ διασπορᾷ で「離散にある」という意味になる。離散は単数なので、τῆ という冠詞でよいみたい。
そこにταίς をつける。
ταίς は複数形なので、「離散にある方々に」という意味になるのかな。

部族や離散にあたる語が女性形だけど、名詞の性と自然の性は必ずしも一致するわけではないとのことなので、女性だけにあいさつしているわけではないようす。ややこしいな。

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